Fit in fits

たまに富士山を撮影しています。「富士山と乗り物のコラボ」を撮ることが多いです。他のネタはほんの少し。

五月のすがすがしい朝に

2008-05-08 21:04:58 | 雑記帳
 昨日は暑くもなく寒くもなく風も穏かで、風通しのいい部屋にいればうとうとと眠ってしまいそうな1日でした。

 そんな日のすがすがしい朝、祖母が旅立っていきました。

 明治41年、1908年生まれで99歳、あと半年、11月で満100歳となる目前でした。数え年だと101歳となります。

 お正月の1月3日に入院し、その後状態は良くなり退院、また入院しそしてまたすぐ退院とを繰り返していましたが、連休前あたりに入院してすぐのときもお見舞いにいけばニコニコと応対してくれていました。が、今回はそのままでは家に帰ってきませんでした。

 お正月に入院しても退院し、寒かった1月2月を乗り越え、部屋の窓のすぐ横にある大きな桜を今年も眺めることができました。
 以前は米作もお茶もみかんも作る農家でした。私が赤ん坊のころには牛も馬も飼っていました。カラスだって飼ってました。(頭がいいから面白いんだって)
 桜の木が新緑になり、その桜の隣りにある、みかんの木の花が咲き始めたのを確かめたかのように、その日に逝ってしまいました。

 思えば3年ほど前に、「もうダメだろう」という状態で救急車で運ばれ、集中治療室に入ったが、医者曰く「96歳にしては驚異的な回復」と言われて後に退院、そんなピンチをあと2回ほど経験しつつも、「不死身のおばあちゃん」でした。
 それでも歳もトシですから、いつかこの日がくるのはわかってはいたし、それもそう遠くないことは理解していたつもりですが、やっぱり・・・

 かなり前から耳は遠く、足もよくなかったですが、94歳ぐらいまで畑に出て農作業をしていました。99歳になっても、ボケとか痴呆とか認知症などは一切なく、補聴器と筆談でしっかり会話はできました。

 いつもニコニコしてて、入院していても看護士さんに何をしてもらっても、どこで何をしてもされても、必ず最後に「ありがとね」と言える、私たち身内だけでなくヨソのどの人に訊いても、「いいおばあちゃんだねぇ~!」と言われる、世界最高のおばあちゃん。

 1世紀を生き抜き、戦争も体験、家は空襲で焼かれ、避難した防空壕にも爆弾が落ちたが不発弾で(これが爆発してたらオレはいなかったことになる)命拾いし、戦後の混乱もその後の減反も乗り越え、大きく日本が変わった1世紀を、本当は苦しいこともたくさんあっただろうけど、いつもニコニコと見つめてきました。

 本当は身内の不幸などは公開する日記に書くことじゃないと思うけど、大好きだったおばあちゃんのために書き留めておこうと思いました。

 おばあちゃん、ありがとう。安らかに。

コメント (5)
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