家で待機中の大晦日、多少時間ができたのでブックマークしていたサイトなどを巡回していて、年の最後にいいモノをみつけました。おなじみのTOKYO FMの番組「サントリー Saturday waiting bar AVANTI」の12月16日放送分の中でみつけたものです。本来、全文の引用はあまりよくないのですが、全部読まないと感動が(わかる人には・・ですが)伝わらないので引用させてもらいます。文中の太字・文字フォント拡大などは私がイジりました。
■ | 岡野雅行さん(岡野工業)の |
- 『痛くない注射針』の話
大谷内は設計図を持って、日本全国の金型屋、プレス屋、パイプ屋を100軒くらい回ったらしい。ところがどこでも「これは無理」「作れない」と断られ、「計画倒れか……」と諦めかけた。そしてある時、トヨタ自動車に勤めている同級生にその話をしたら、その同級生が「こういうのは岡野工業へ持っていけばできるから」と言ったらしい。
それで2人が連れだって、ウチへやってきた。図面を見せられて「こういう注射針を作りたいんですが……」と言われて、すぐに「あ、あのノウハウを使えば出来るな」とピンと来た。だから「出来るよ」と即答したら、「本当ですか?!」と本人たちが目を白黒させていた。
そのノウハウというのは、針を丸めて作る技術。そんな風に針を作る人なんて世界中どこにもいないし、元が太くて先が細いなんて針も世界中どこにもない。だからこの針は世界特許も文句なしで取れた。
この針を作る技術のベースは、45年前に作った「鈴」にある。どこでも売っている鈴のように見えるけど、実はコレ、1枚の板から作っている。どこも付けたり貼ったりしていない。ヒモを通す穴さえそう。この鈴を作った経験があったから「痛くない注射針」が作れた。他の優秀な会社も、こういう雑貨をやった経験がなかったから作れなかったのだろう。
ちなみにその鈴、45年前に発売元の会社の社長さんが特許を取って、それから20年で特許が切れた。ところが20年経ってもどこも真似が出来ず、結局作れなかった。これこそが本当の特許だと思う。東南アジアにはコピーを作るような会社がいっぱいあるけど、コピーさえもさせなかった。
極端なことを言えば、痛くない注射針よりも鈴の方が難しかった。針はプレス機でどんどん加工していくモノだけど、鈴は1個1個加工しなければいけないから。だから自分がその鈴の金型を作って他に売れば儲かるのかもしれない。だけどその社長に義理があるから作らないと決めている。
そのオヤジが死んだら考えてもいいけど、生きてる間は絶対に作らない。男にはそういう約束があるもの。
こういう約束を守れる男で、そして、こういう約束をする仲間がたくさんいる男でありたいです。私は。来年ための1つの教訓を年の最後にいただきました。
いくら東大卒の元官僚のエリートでお金をいっぱい稼いでも、「一緒にフジテレビの株をやろう」と持ちかけたくせにフジテレビの株が高くなったところでライブドアに「ゴメン」と言っただけで売り抜けてしまうような、しかもお互い違法なのを承知の上で、仲間をあっさりと裏切るような人間にはなりたくない。ま、ならないけど・・
今年最後のカキコはおそらくカウントダウンのころ、いつものバーからになるでしょうが、一応このいい話のところで・・
それではみなさんよい落としを!・・・じゃぁオチがついちゃうので・・・
それではみなさんよいお年を!
=補足の追記=
ちなみに、「ナノパス33」は2005年の「グッドデザイン大賞」を受賞しています。世界一細いインスリン用注射針で「蚊が人を刺すとき程度」の痛みしかないのだそうで・・、
『注射は誰もが嫌なこと。それを一日に数回もならなおさらである。現在糖尿病でインスリン自己注射を行なっている患者さんは国内で60万人。インスリン注射を止めることはできなくても、その痛みを少しでも和らげてあげたいとの思いで世界一細い針に挑戦し製品化に成功した。』
・・のが受賞理由とのこと。なるほどね。素晴らしい。
静鉄桜橋駅上からの風景。こんな松の木がまだここにあったんだなぁ~と再認識。
でもこの写真、富士山がなければ全国どこにでもある風景なんだけど、小さくても富士山が写っているだけでぜんぜん違う印象になるし、アクセントになる。だいたいどの辺りから撮った写真なのかもわかる。たいしたもんだ、富士山は。
元旦はやや曇りそうで富士山が見えるかどうか微妙~。今日のうちに何度も見て印象に残して明日の晩、初夢に出てきてほしいものです。“一富士、二鷹、3なすび”・・縁起物ですからね!
“1時に三鷹、三番線”・・ってのはたぶん違います (^_^;) 全然関係ないじゃん!待ち合わせじゃないって!
この大掃除中、神社の建物の中に町名の由来がかかれた看板が置かれていました。もっと目のつくところへ掲示すればいいのに・・と思いましたがまぁそれはいいとして・・、
このあたり、町名は「銀座」ですが、住居表示前の旧町名は「七軒町」。その由来が書かれていました。ウチの町内は東海道の江尻宿のあたりになります。なりますが、東海道は町内の角のところで90度曲がっていて町内のメイン道路は東海道ではありません。街道から分かれた道が巴川に突き当たっていて、そこが渡船場だったとのこと。これは明治時代の「御巡幸道筋絵図」にも書かれています。このころはまだ家が7軒ほどしかなかったので「七軒町」とついたようです。
近くの旧地名で「甲斐屋敷」というものがあったそうで、ここ七軒町は清水の港から巴川の水運で上がり、甲州へと回送される米の一時貯蔵所の倉庫が多かったとのこと。興津からの「甲州みち」は甲斐の国にとって塩と米の重要ルートだったことがわかり、それによって武田信玄がこの地を欲しがったことがわかります。やはり海へ繋がるルートは船という大量物流が可能でそれによる貿易で国を繁栄させたいという意図が見えてきます。名将は戦いだけでなく国を治めることにも腐心していたんでしょう。そういえば現在の江尻小学校のところにあった江尻城は信玄の命でつくられていましたね。
そこから船で巴川を渡り、対岸から上町・港橋方面へと繋がる道があったようです。実は浜田ポンプ場内にはJRの線路から静鉄を渡る旧道があります。ポンプ場ができる以前の周りがたんぼだった頃にはよく歩いて通りましたが、現在では通れなくなっています。
大正6年にその名の通り「大正橋」がかけられてとても便利になり、ここの町内も住む人が増えたんだそうです。現在町名を示すものは静鉄タクシーの営業所が「七軒町営業所」となっているぐらいでしょうか。
大掃除をしながら町内の歴史の勉強ができました!
旧七軒町、現在は「銀座」の一部ですがJR清水駅まで徒歩7分ほど、静鉄新清水駅まで徒歩3分ほど、港及び港湾道路まで車なら1分、さつき通りは町内に接し、国道1号線までも車なら2分、東名清水ICまで車で10分かからない場所にあります。たいへん便利!ほかにもいい場所はあるんでしょうが、この地を離れたくないですねぇ。
本日は22:00からいつものビア・バーでのカウントダウン営業で盛り上がる予定です。あと2本ぐらい記事を携帯からアップする予定ですので、「よいお年を」はもうちょっとあとです。いろいろあった2006年もあと少しだぁ!
ただ、灯油ファンヒーターに関しては、エアコンの高機能化とマンションなどのオール電化化、高気密住宅の増加により家の中で燃焼することによる空気環境悪化を嫌う人が増えていること、松下電器の例のCO中毒事故もあって、需要はどんどん落ちているようで、松下電器も事業から撤退した。他にもどこだったか大手の家電メーカーが撤退を決めたようだ。(サンヨーだったかなぁ??) これで、国内メーカーではコロナ・ダイニチとあと数社だけになったようで、もう少し寡占化が進むとベーシックなタイプは中国など海外メーカーが安くつくり、機能が多い国産タイプはひょっとするとヤミでなくても「カルテル状態」に近づき、価格が上昇してくるかもしれない。買うなら今?
*** “オール電化化”って変換しにくい。話題になった漢検『変漢ミス』コンテスト」の「年間変漢賞」、「遅れてすいません。怪盗アンデス(正しくは「遅れてすいません。回答案です」)」 のような誤変換ではないもののうまくできない。で、また、「オール電化化・・オール電化化・・」などとやっているうちに、指がすべって“おーるでんかか → おーべいか”になってしまい、出てきた変換が “欧米か” になってしまった (^_^;)
また出たか!・・などと言わないように ***
ところで、昨日の記事でなんで突然アクセスが1日416にもなったんだろう?不思議・・
おっと、本題にたどり着くまでの前置きがまた長くなってしまった・・
「来年の事を言うと鬼が笑う」といいますが、さすがにもう12月30日の「晦日」、そろそろいいでしょう。
先日、今年の反省・・じゃなかったよかったことだけを抜き取り書きましたが、来年の計画を立てないといけません。2007年に、今わかっている範疇で何をしたいか?何をするのか?というのをざっと決めなきゃ・・ということです。
なぜ「決めなきゃいけない」のか?・・というのは、1年を通してだいたいのことを決めておかないと、ディスクゴルフの遠征やら旅行などお金がかかりそうなことと、ちょっと高い買いたい物をリストアップしておかないと低収入ゆえお金が続きません。そのクセ、飲むほうはちっとも節約できていないのですが・・(毎年、「飲まなきゃお金貯まるのになぁ~」と結局嘆いてばかりで出来ていない。) なので、1年間を通して考えてみるのです。ディスクゴルフの2007年公式戦日程が出ていませんが、まぁ最初からアテにしていないのと、遠くはそうそう行けないので、テキトーに行くとして計算には入れておいて、日程が出たところであらためて考えてみます。滋賀県のように早め早めに出ると助かるんだけどねぇ~>>川ちゃん、滋賀県はさすがじゃ!
まず、買いたいものは、「新しいPC」か「DVD・HDDレコーダーVHSつきの地デジチューナーつき」のどちらか。PCはWin98の今のマシンがもういっぱいいっぱいで「リソースが足りません」でハングアップすること多数のため買い替えたい。ただ、さすがにもうVHSビデオも移行したい、でも両方は買うことが出来ないのでどちらかを。HDDレコーダーを買う時には家の中のテレビアンテナ配線をやり直す予定なのでその工事費もみておかないといけまへん。工事は以前下請として使っていた強電から弱電・防犯セキュリティ・PC配線及び設定までできるとってもやさしい電気工事屋さんを知っているのでそのプロにお願いするつもりです。山田さん、たのんまっせ!(こう書くともうほとんどこちらに傾いているな、オレ)
で、上記のPCかレコーダーかの費用を差し引いてあとはいつ・どこで・何をするのか?となります。「飲むのを減らせばいいじゃん!」とか言わないで下さい。私の現在のネットワークはほとんど飲み屋で生まれたものですし、最初からできっこない目標なんてのは、前の会社での「前年比5%アップさせたのに、翌年30%アップという無理なノルマを押し付けられて最初からやる気をなくす(でも給料は上がらない)」という経験からか、設定しません。どだいムリなものはムリ! てなわけで・・
1月~3月 ここはもうほとんど3月のドリームカップに向けての練習がメインとなります。練習はたいがい東京だし、東北組との合同練習となるとまた遠くになります。練習へ行ったりする交通費関連で日程も埋まり、おサイフの中身も減るでしょう。フリスビーを投げること自体がすごく好きだし、小旅行も好きなので苦にはなりません。
4月前半 ドリームカップが終わり、新茶がはじまるまでの短い間、関東~近畿の間ぐらいでディスクゴルフの大会があるば行きたいし、そうでなければ伊豆あたりで安宿でいいので温泉に1泊したいですね。魚が旨いところがいいんだけど、伊豆だとほとんどハズレはありませんから。
4月後半~6月 新茶・二番茶の時期で忙しく、会社も休みが極端に減ります。出かけたりするのはムリでしょう。そのストレスが酒へと変わるのでやっぱりお金は残りませぬ。やれやれ。
7月 まだ来年までは車検がないのでやや助かります。特別予定はしていませんが、やっぱり恒例の東京湾納涼船かな!?
8月 盆休みっていつもどこも混んでるからあまり出かけないんだけど(暑いし)、行ったことのないディスクゴルフコースにでも行ってみたい。栃木あたりでまとめて行きたいですね。
9月~12月についてはまだなんともいえません。もうちょっと考えます。ただ、時期に限らず・・というかJリーグの日程が正式に出たらエスパルスのアウェイ応援もかねてどこかへ行きたいです。できれば、以前書いたように「寝台特急“富士”で大分→福岡・うみなかでディスクゴルフ→JAL先得で飛行機で帰路」がいいですね。
さて、来年はどんな年になるのか?自分はもちろんのこと、世の中も平穏なものであってほしいものです。楽しいこといっぱいやりたいね!
明日からのお休み、いろいろ行きたいところなどがあったのだが、この年の瀬に来てオヤジが風邪(インフルエンザ?)をこじらせて咳、鼻水ともに止まらず、さらに口内炎が出来てメシが食えず・・・結果体力が落ちてしまって病院へ連れて行くハメに。
そしてそのまま入院とあいなりまして、私は大晦日までと3日からは稼業の手伝いをせなばならなくなった。他にも家の用事などもせねばならない。
その結果、行きたいことややりたいことの計画が全部パ~! 仕方ないこととはいえ、世間一般でも言う“盆と正月”の正月なのに、休むことができなくなってしまった。
チッくしょ~~~~! ・・と、小梅太夫のマネをしてもはじまらない。
つまんね~の・・
近くの郵便局は終わってて、徒歩でコンビニをはがき求めて渡り歩くハメに…
幸い、三件目で買うことはできたがウチで晩飯がなかったこともあり、結局飲み屋へ…
腹もへっていたから食べたのはおにぎり一個とこの沖あがり鍋。
いつ食べても美味いけど、今日の静岡は最高気温21℃と、とても暖かいので鍋食べたら汗かいちゃった (^_^;)
いなくなるのはディープインパクトだけじゃない。12月22日にJR東海から発表された「平成19年3月在来線ダイヤ改正及び平成19年7月新幹線ダイヤ改正について」のリリースには、私にとってちょっと深い衝撃的な (ディープ・インパクトな・・・と、ここでシャレてる場合じゃない) 内容が載っていた。
特に今回発表されたダイヤ改正は、静岡地区の在来線ではJR発足後初の大規模改正で、従来のダイヤを一旦白紙に戻し、日中の運行を大きく見直すこととなった。新幹線の話題はここではちょっと置くこととして、在来線の概要をまず見てみると(静岡地区関連のみ)・・・
1)静岡地区を中心に、313系新製車両を投入します。
2)静岡地区の東海道線で列車を増発し、利便性を高めます。
・ご利用の多い区間で昼間時間帯の列車を増発します。
・浜松~静岡間のホームライナーを増発します。
3)快速「ムーンライトながら」の時刻を、ご利用いただきやすい時間帯に変更します。
4)特急「東海」を廃止します。
8)その他
・特急、ホームライナーの禁煙車を増やします。
・・・というのが主なところ。このうち一番ショックだったのがやはり太字にした(4)の特急東海号の廃止である。
確かにいつもすいていた。近年、小田原を過ぎるとだんだんと乗客が増えるなぁと思ったのはJR東日本が特急料金を値下げしたからで、JR東海は下げていないから静岡県内では実は相当高いと思う。その代わりに速かったけど・・。
なんとなくダイヤ改正のたびに廃止がウワサになっていたので、いよいよという感じなのだが、この特急「東海」は清水駅利用者にとってとても便利な列車だった。
朝の上りは9:02清水発で東京駅着が11:10。2時間8分で乗換えナシで着く。東京で午前中の用事でないかぎりはこのあまり朝早くない時間帯がいい。これで自由席で¥5,040.-。
同じぐらいの時間帯で静岡経由でひかりに乗っても、ひかりは1時間に1本でその時刻がちょうどよくなく東京着が11:13であまり変わらない(ただし、清水発を9:50まで遅らせられる)それで¥5,670.-と「東海」のほうがちょっとお得でしかも乗換えナシ。
さらに時間に余裕があれば小田原で小田急のロマンスカーに乗り換えればもう千円ぐらい安くなる。急がないけど鈍行はいやだという人にはとてもよかった。
そして、鎌倉あたりの観光と横浜への足としては新幹線だと新横浜経由になるのでこちらのほうが便利だった。
ただ、逆にいえば、この朝の東海2号以外はあまり使えるダイヤではなく、下り東海1号・3号も上りの4号もだいたいガラガラであった。下りの3号は16:00ちょうど東京発とちょっと出発が早く、東京での用事を早く切り上げないといけなかった。それと、これ以降の東海道線在来線の特急は寝台特急しかなく、その点でも不便で、まして横浜から帰ってくるときなどはどうしても新幹線利用になってしまっていた。熱海以東のダイヤが詰まっていて、なかなかいいダイヤにできなかったのも利用が少なかった理由だろう。夕方の3号・4号を東京発、静岡発はそれぞれ19:00ごろにすればビジネス出張客も東京発16:00じゃ会議はまだ真っ最中だし、静岡発も17:23じゃ17:00に会議や打ち合わせが終わって出張先を出ても駅での乗車に間に合わないから。
それでも急行「東海」から続く国鉄時代からの名列車。113系等は、側面まで回りこんだ運転台の窓・貫通扉とそれによりフレキシブルな連結が可能になったことなどで後の私鉄まで含んだ近郊型電車の代表格で「東海型」とも呼ばれていた。その「東海」も「113・115系」もまさか同時になくなるとは(↓参照)・・。
それにしても東京行きの選択肢が狭まるのがイヤだねぇ~。在来線だと沼津から鈍行グリーンか「あさぎり」、小田原までじっとガマンでロマンスカーってところですかね?
その他では、ホームライナーの増発は静岡-浜松間のことなので関係なし。ムーンライトながらもほとんど関係なし。ただし、下りは豊橋まで全席指定になるのはいいと思う。特急「ふじかわ」・「あさぎり」・「踊り子」が全車両禁煙車になるのは大賛成!興津-富士間で本数を減らされるのは残念。
あと、113系115系など国鉄時代の車両が全廃されるそうで・・“今回の車両投入により、
静岡地区では全ての車両が当社発足以降に製造された車両に統一されます。”とリリースに書いてあったが、それは211系5000番代もなくなる・・ってこと??
113・115系は211系を比較対照にしても乗り心地の悪さとモーター音のデカさは酷かったのでさすがに交替となるのはいいのけれど、1つだけ・・・113系ってたしか1963年生まれで私と同じ。同い年の仲間が引退となるのがちょっと残念かな・・。
そして、ディープインパクトは、やはり、圧勝で終えた。デビュー3戦目の弥生賞のクビ差以外は、勝ったレースは全て2馬身差以上、それもいつも後方から前にいる馬をぶっちぎっての勝利。競馬の素人が見たってわかるその圧倒的な強さは、社会現象を起こすのも当然だった。今日はムチは1発だけ。それで充分だった、他馬は後方へと消え去っていった。
まだまだ来年も走れるとは思うが、関係者は種牡馬の道を選んだ。5歳になって1つでも負けると種付けの価格にも影響するし、ヘタにケガをして(サイレンススズカのように)安楽死にでもなったらそれこそ日本競馬界最大の損失だからだ。「名馬は死しても血を残す」、それこそこの日本最強馬の血統を、遺伝子を残すことが大切だからだ。
有馬記念が終わると、「あ~今年も終わりなんだなぁ~」と思うものだが、今回は1年の終わりとともに“1つの時代が1頭の馬とともに終わってしまった”という、なんだろうぽっかり穴があいてしまったような感じになってしまった。“終焉”という言葉が合うのだろうか。
もう4コーナーで前に出始めて、手ごたえがはっきりしたところで涙が出てきてしまった。勝利するのはそこで見えてしまい、もうこの走りが見れなくなってしまうと思うと、いや、思いたくなかったのだ。
シンザン、シンボリルドルフ、オグリキャップ、ナリタブライアン、グラスワンダー等々、各時代の名馬というものはその時代とともにファンの記憶に焼き付けられる。でもテイエムオペラオ-だって1年間G1レースを勝ちっぱなしで無敗だったこともあるのに、社会的にディープほどにはならなかった。やはりディープインパクトは最強馬だ。その現役時代を生で見れた時代に生きていることがうれしい。あと20年ぐらいして、飲み屋で隣りになった若者に「語る」んだろうなたぶん。
ありがとうディープインパクト、今度はいい子供たちをたくさん出してね!
先日、Jリーグアウォーズの表彰式があり、各賞が発表された。我が清水エスパルスからは、“態度が”大型新人、藤本淳吾選手が新人王に選ばれただけ。ちょっと寂しい結果となった。(もちろん藤本がとても良い選手だが)
この表彰式より以前に「優秀選手賞」が28名発表されており、その28名の中から「ベストイレブン」が選ばれるということになっていた。清水エスパルスからは若手DF:“強き魂、ハードコンタクト”でもうすっかりおなじみの青山選手と、新人王になった藤本選手が選ばれていた。だが・・・、
その28名中、MFは12名。しかし、その中に藤本選手の名はあるものの、なぜあれだけ活躍した、敵の攻撃の芽を摘んで摘んで摘みまくった伊東輝悦選手の名前がないのだろうか?優勝した浦和とはいえ、ケガなどで出場試合22、出場時間全3060分中たった1725分のポンテがいて、全試合出場、出場時間が3047分、4位躍進の本当の立役者、伊東テルがなぜ入っていないのか?Jリーグの査定委員の目は節穴なのか?MVPとかベストイレブンとかはいいとしても28人の優秀選手にも入れてもらえないのはどうしてだ?いろいろな評論家がテルを絶賛しているのに。
・・・と、思っていたら、週3回発行の「よくそんなにサッカーだけで原稿を揃えられるなぁ~」と感心しきりのサカー専門誌ではなく、専門紙の“エルゴラッソ”が、今季Jリーグベストイレブンを選出していた。そこには、G大阪遠藤保仁選手、川崎の中村憲剛選手、浦和の(清水市出身!)鈴木啓太選手とともに、しっかり伊東輝悦選手が選ばれていた。
そこに書いてあった文章には納得がいった。
“中盤の残る2枚には、なかなか評価されにくい地味な仕事をこなした2枚を選んだ。鈴木は衆目の一致するところだろうが、今季の伊東も評価されるべきだ。中盤での振る舞いは達人芸である。”
テルの写真の下にも・・
“ポジショニングを見ているだけで感動できる稀有な選手。” ・・とある。
そうだよ!そうだよ!そうなんだよ! やはり、見る人は見ているのである。「ポジショニング」・・・サッカーの才能のうちの重要な要素の1つだ。“そこにいること”・・テルはそのポジショニングがとてもいい。それはサッカーのセンスが良く、「次の展開を予測する能力」が抜群にいいからだ。おそらく教えてもテルほどになるのはムリだろう、天性のものだと思う。
そして、伊東選手の予測能力の高さは守備面だけが強調されがちだが、攻撃面でも発揮されている。一見なにげないバックパスもリスクを避け、サイドを変えるためのつなぎとして堅実かつ的確にできている、攻撃の基点として。清水の試合を見ると、DFラインからロングボールでなければほとんどのボールがまずテルを経由する。それは攻撃をはじめるためにまずどこから行こうか・・常に読みながらテルはやっているのである。
そして、攻撃面での伊東テルの極めつけのプレーはなんといっても1996年アトランタオリンピック・男子サッカー第1次リーグにおいて、日本代表がブラジル代表を1対0で下した試合、“マイアミの奇跡”。あの試合で状況を読み取り、ボランチの位置から長い距離をずっと走り、最後にゴールへと押し込んだのは誰だったのか?そう!この伊東輝悦選手だったのである!!
天皇杯と、来季も頼むぞ、テル!
今年もあと12日、自分のイベントとしては忘年会とクリスマス・イヴのディナーが残るぐらい。天皇杯のエスパルスも気になるところですが、年末になるにつれ仕事のほうがパニくってくるのでちょいと憂鬱でもあります。他にはもう、そうそう楽しいことは起こりそうもないし、「好事魔多し」ともいうので、気を引き締めて乗り切り、楽しい年末年始のお休みに突入したいものです。
てなわけで(←このフレーズ好きなんだよなぁ~なぜか)、私的に今年を振りかえり、“よかったことTOP5”を挙げてみようと思います。ただ、今年前半のことはあまり思い出せないんだよねぇ・・。
第5位! ジャン!
元日の天皇杯決勝も含め、エスパルスの躍進!
2005年にはJ1降格争いに顔を出すなど低迷していた清水エスパルス。天皇杯に入ってからは青山の台頭などもあり見事決勝へ! 元日に浦和には負けたものの、大会を通じてのサッカーの内容も良く、2006年に期待を持たせる内容となった。
明けて2006年のJリーグ、開幕3連勝から始まり上位にくらいついていたエスパルス。久々に清水の街にも“今日は勝ったね”などと活気が出てきた。やっぱりプロは勝ってなんぼだけど、負けたとしても内容が良かったので応援するほうも納得がいくシーズンだった。専門誌を見ても軒並み「今年の清水は内容がよかった」、「いいサッカーをしている」等々評価が良かった。兵働、藤本、枝村、青山の若手が好調、そして伊東のいぶし銀のプレー、控え選手が出ても変わらぬスタイル・・・他にもいろいろいい点がたくさん見られた。
あと2つ勝ってまた元日に国立でお正月を迎えたい。国立でみんなと「あけましておめでとう応援頑張ろうね!」と言いたい。そして2007シーズンでは悲願のリーグ優勝を遂げてほしい。エスパルス、頑張れ!
第4位! ジャジャン!
ここのブログに書いた記事が元になって、高校生がラジオドラマにしてくれて、それが放送コンクールで全国大会にまで行った!
岡山のピカさんの娘さんが私の記事を元に脚本を書いて、それがNHK放送コンクールで東京の本大会まで行けた!私だってそれを聞けばやっぱりウレシイものである。私は社会ネタもよく書いているが、書いた甲斐があるというもの。これからもニュースから、特に「これはおかしい」と思ったもの、それと、思わず「読んでうれしくなったニュース」などを拾って記事にしていきたい。
第3位! ジャカジャン!
10月、北海道へ行って旧友と遊び、温泉へ泊まり、ディスクゴルフもしたこと!
学生時代の友人で札幌在住のNクンと久しぶりに再会、そして遊んだ!食べた!飲んだ!北海道は最高だね!
初めての十勝で、ディスクゴルフもやった。北海道でディスクゴルフをするのは念願だったのだ!ワインもブランデー原酒もベーコンも豆も豚丼もみ~んな美味しかった。
モール温泉という珍しい温泉と層雲峡温泉、キタキツネもエゾリスも出会った。旭山動物園にも行った!景色もどこもキレイだった。あぁ楽しかった~!
第2位! ジャンジャカジャ~ン!ジャンジャンジャン!ジャンジャカジャ~ン!
11月の静大附属中「夢講座」!
中学生相手にアルティメットを教えるという、ディスクゴルフ協会には無謀な企画を、「何とかなるやろ」と受けてしまったはいいが、さてどうしようと思っていたところに、我が“ずっこけ♪あるまじろ”代表、宮城は古川在住のたかちゅき♪をはじめ、大阪のま~し~、横浜のさとちゃんがボランティアで駆けつけてくれて助けてくれたこと。そして、その日~翌日までの一連の過程がネタ満載の珍道中になったこと。もう、楽しくて楽しくて!!
仲間のありがたさ、大切さ、楽しさを再確認できた日だった。みんなありがとうね!
他にも、今年1年で初めてお会いできた方(yaconyanさんや紺主任さんなども含め)、一緒に遊んだり飲んだりした方、いつも練習に付き合ってくれる中学時代からの旧友・・などなど、(ちょっと早いけど)みなさんお世話になりました (^o^)丿 ホントにホントにありがと~~~~~!!
さぁ!いよいよ!
じゃじゃじゃじゃぁ~~~! の 第1位は!!・・・
照れくさくて書けな~い! でも、ちょっとだけ。
きっかけは私がハートを掴んだらしい。でも今は逆に私がハートを奪われてしまったようだ。
こんな絵柄がプリントされたディスクを今日の景品で頂きました。レアものディスクだし入賞できてよかった!