成人式では「社会に貢献できる大人になりたい」
という志をよく耳にする。
立派なようだが、以下コラムの最後の方で書いたとおり、
一抹の不安を感じないでもない。
★働き方改革より大切なモノ。すべてのブラック企業を「ホワイト化」!
コミュ力を無限大にする秘伝の技術・前編
https://www.el-aura.com/kaneko20180424/
また、こんなブログも昔、書いた。
★社会に貢献なんてしなくていい
https://blog.goo.ne.jp/cameleotino/e/af2ddc89618a024f6bd4f1e01b2ecbdf
大人になって、この社会がクソ過ぎることに気づいて、
「意地でも社会には貢献なんかせん!」
と思うほうがむしろ健全な気さえ、個人的にはしてしまう
むろん、社会のおかげでいままで生きて来られたのだから、
社会に感謝すべき、という意見もあるだろう。
たしかに、食べもの(動植物)や生態系サービスに対して
そのように感謝するのはすごく好感が持てる。
親に感謝、誰かに感謝、ペットや虫に感謝……も素敵だ。
だが、「社会に」感謝するというのがどうもぞっとしないのだ。
「社会」が、ヒトの生きる権利を保障するのは当たり前以前の問題。
それでドヤ顔するべきではない。
今の物価のまま、国民の平均年収が
一億円を超えるような社会にでもなったら、
「社会」とやらに少しは感謝してもいいかもしれぬ(笑)
個(他の動物、植物なども含む)にはとことん優しくなるべきだが、
社会に対しては、小姑も真っ青な、厳しい目を向けていい。
そうしないと、社会は進歩していかない。
ひいては人類が進化しない。
文明を築くために犠牲を強いた他の生物に対しても、
この程度の社会しか作れないのでは、見せる顔がない。
若者は、必ずしも社会に貢献しなくてもいい
利用できるだけ利用して、
甘い汁を吸う、くらいの気持ちでもいいんだよ。
私は、善いわがままと悪いわがままがあると思ってる。
食べ物の好き嫌い、お古は嫌だ、というのは悪いわがまま、
満員電車は嫌、ブラック企業は嫌い、というのは善いわがままだ。
自然や地球、お世話になった個人には徹底的に謙虚に、
「社会」にはわがまま放題でいいと思う。
もし「素敵な社会だ」と心の底から思えたとき、社会に貢献すればいい。