先日twitterでも、こんなツイートをした。
『個人的に、NGT48山口さんは偉いと思う。
事なかれ主義が横行するこの社会で、
自らが傷つくことを覚悟し、真実を告発しようとしたのだから。
「泣き寝入り」ってある意味、自己中心的な行為ではないか。
おおごとになって自分が傷つくのを恐れるあまり、
次の犠牲者が出る可能性を放置する行為だからね。』
語弊があるかもしれませんが、、
『臆病・小心=自己中心性・自己愛の肥大』ではないだろうか。
自分が傷つくのを過度に恐れるということは、
自分が可愛くて仕方がないからだと考えられるからだ。
そんな自己中心性と対極にあるのが、
山口真帆さんの勇気ある行動だと思うのだ
例えば自分が理不尽な目に遭ったとき、あるいは理不尽を目撃したとき、
自己愛に打ち勝って、真実を白日に晒すのが勇気ある行動だ。
泣き寝入りしたら、自らも傷ついたままだし、
新たに傷つけられる人が出る可能性がある。
もちろん、
心が弱ったときに「勇気ある行動」を強いるのは酷である。
勇気ある行動をとれないのが普通、当たり前。
勇気を出せたら特別にすばらしい、ということだ
そういえば、某芸能人Mが
「パワハラに負けるな」という意味を込めて「死んだら負け」
と発現して炎上した件があった。
命はなくしたけれど、社会に大きな影響を与え、
日本が大きく変わるきっかけを作った人もいるから、
けっして「死んだら負け」とは思わない。
(まして「辞めたら負け」「逃げたら負け」なんて愚の骨頂だ)
私は、「会社を辞めるのを怖いと思うようになったら負け」だと思う。
逃げることも会社に歯向かうこともできなくなり、
運悪く変な上司や経営者に当たったら、人生詰むのが必須だからである。
やはり臆病・肥大した自己愛を捨てない限り、
人は幸せになれないのかもしれない、最近そんなことを思う。