今月に入って3回目の卒業式出席でした。 他の式典も重なり 「君が代」 を斉唱する機会の多い月となりました。
ところで、 「君が代」 の歌詞について理解していない知人が多いことに気付きました。 確かに、学校で習った記憶は、ありませんね。 友人も皆、無いと言います。 でも、意味を知っているのは、どこかで教えられたのでしょう。
大昔、石も成長すると考えられていたようです。 半分、土に埋まっている小石を蹴ろうとすると 「埋まっていると石は大きく成長するから蹴ってはいけない」 と祖母にたしなめられた、という話は、確か司馬遼太郎が何かのエッセイに書いていたような… とっても曖昧な記憶ですが、書架をかき回して確かめるほどでもないし、そういうことで。
一昨年、霧島神宮で、初めて 「細石」 を見ました。 確かに成長し続けているようでした。 その過程であると見受けられました。 神代の時代から、これくらいしか成長していないのかぁ、というのが感想。
歌詞の 「細石(さざれいし)」 が少しづつ大きくなって 「巌(いわお)」 にまで成長するような気の遠くなる時間。 さらにはその大きな巌に苔生してしまうほど長い時間。 前半の 「千代に八千代に」 の長さを具現化した表現方法でしょうか? 君の治世がそれほど長く続くことを願うのか。 もしくは、治世により平和な世が何時までも続くように、という願い?
それとも、自然の力に対する畏敬の念でしょうか? または、自然の法則に従うことで永久に繁栄したいという祈りでしょうか?
学問として学んだことが無いから、古語の解釈として正しいかどうかも判りませんが。
古今集の句は、
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
冒頭の部分を 「君が代は」 に変えたのが国歌です。
学校では、何故か、意味を教えません。 意味も知らずに歌わせるのは、如何なものかと考えます。 海外を旅すれば、どこの国民でも国歌や国旗に対する強い思い入れがあります。 自分の identity に誇りを持つには、そうであるべきだと思います。 世界は一つ、と考えても identity は大切にすべきです。 そのためには、意味をしっかりと教えるべきでしょう。 仮に、今の国歌や国旗に賛成できないのであれば、変更するように提案すれば良いと思います。 しかし、それまでは、国歌であり国旗です。 学校の現場では自信をもって教え歌わせ敬意を払わせるべきです。
PTAの立場からそう願います。 幸いにして、今まで接した全ての校長先生とは、意見が異なるということはありませんでしたが。
続いた卒業式の中で、ふと考えたことでした。