CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

天智天皇陵前の日時計の碑 on 2017-4-13

2021年04月17日 04時56分01秒 | 京都情報

新型コロナの影響で外出を控えており、ブログは昔に訪問した記事を中心に投稿

しています。

本日は2017年4月13日に訪問した天智天皇陵前の日時計を写真及び関連の写真を

紹介します。

当日はJR山科駅で下車し、京都山科の毘沙門堂門跡を訪問した後、琵琶湖疎水沿いに

桜を観て京都地下鉄東西線御陵駅をめざして歩いていて、途中で見つけたのが

日時計の碑」です。

毘沙門堂への訪問記は下記のブログで纏めています。

 京都山科 毘沙門堂 on 2017-4-13 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真が「日時計の碑」です。

三条通りに面して天智天皇山科陵前に建立されたものです。

日時計の碑は高さ170cm、幅95cmで天智天皇の時代に日本で最初に漏刻(水時計)を

建設したことに因んで建てられた。

正面に「天恩無窮」の文字と「日時計」の文字が刻まれています。

 天恩無窮の意味は「天皇の御恩は極まりない」です。

裏面は「昭和13年(1938)6月建立 京都時計商組合創立20周年記念」と刻まれています。

 

『日本書紀』に登場する天智天皇10年4月25日(太陽暦では671年6月10日)の
6月10日が時の記念日に定められ天智天皇を祀る近江神宮では
この日に「漏刻祭」が実施されています。

 

時の記念日 in 明石市立天文科学館 on 2013-6-10 | 散策とグルメの記録

一昨日(2013-6-10)は時の記念日ということで明石市立天文科学館が無料開放の日であったので行ってきました。無料な上に上の写真のような子...

散策とグルメの記録

 

上述のように天智天皇は初めて漏刻を作り水時計を作りました。

昭和56年(1981)に発見された飛鳥寺の西にある水落遺跡がその遺構といわれている。

水落遺跡については下記ブログで纏めています。

 飛鳥水落遺跡 on 2016-10-6 天智天皇は水時計で民や役人を管理しようとした? - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真は近江神宮内の古代火時計の展示と説明パネル 撮影:2020-3-3

 

上の2枚の写真は近江神宮の「時の記念日」に関する展示 撮影:2020-3-3

近江神宮には時計館宝物館(背後に写っている)があります。

上の写真も近江神宮の漏刻関連の展示 撮影:2020-3-3

 

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京都大原 三千院探訪記 on 2012-1-10

2020年09月16日 05時16分06秒 | 京都情報

一昨日(2020年9月14日)21:30よりNHK Eテレで下記の番組があり視聴した。

趣味どきっ! アイドルと巡る仏像の世界(2)「センターは誰?」

番組内容は、元アンジュルムの和田彩花と駒澤大学の村松哲文教授が、毎回ゲストの

アイドルを仏像の世界へいざなう8回シリーズ。2回目の今回は京都の三千院を訪ね、

阿弥陀三尊坐像に会う。
出演者
【司会】和田彩花,【講師】駒沢大学仏教学部教授…村松哲文,【ゲスト】古畑奈和

 

本ブログでは2012年1月10日に三千院を訪問した時の写真に上記番組での写真も

加えて三千院をみどころを紹介していきます。

 

京都大原 三千院の基本情報

住所:京都市左京区大原来迎院町540  TEL:075-744-2531

宗派:天台宗 山号:魚山 御本尊:薬師如来

歴史:三千院は8世紀、最澄の時代に比叡山に建立された円融房に起源をもち、のちに比叡山東麓の坂本(現・大津市)に移され、たび重なる移転の後、1871年(明治4年)に現在地に移ったものである

特記:青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つ

公式サイト:http://www.sanzenin.or.jp/

公式FB:https://ja-jp.facebook.com/kyotooharasanzenin/

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

往生極楽院

上の2枚の写真は往生極楽院 このお堂の中に国宝の阿弥陀三尊の仏像が安置

撮影:2012-1-10

国宝の阿弥陀三尊像

上の写真は阿弥陀三尊 中央の阿弥陀如来坐像は座った姿勢でも像の高さが約2m

と大きい像である。右手は観音菩薩、左手は勢至菩薩。

上の2枚の写真は観音菩薩坐像と勢至菩薩坐像のアップ

観音菩薩は慈悲で庶民を救い、勢至菩薩は知恵で救うと言われています。

 

御本尊(薬師如来立像)のお前立ち

御本尊は秘仏であり御開帳の時にしか観覧できません。

 

童(わらべ)地蔵

上の写真はわらべ地蔵 撮影:2012-1-10

わらべ地蔵の作者は杉村孝さんだそうです。

玉座のある部屋

上の2枚の写真は玉座のある部屋と部屋から見える庭園

 

有清園庭園及び聚碧園庭園

庭には杉が植えられスギコケの間に灯篭や石仏などの石造品や石が配置されています。

 

上の写真は三千院有清園庭園及び聚碧園庭園の説明書き    

 

出口付近

宸殿

弁財天

 

御殿門

上の写真は御殿門の前での記念撮影 撮影:2012-1-10

 

三千院の近くの光景

 

 

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JR亀岡駅コンコースの石田梅岩像 on 2020-3-24

2020年04月02日 04時35分54秒 | 京都情報

2020年3月24日、亀岡市の亀山城跡など明智光秀所縁の場所を訪問するために

亀岡に来ていました。

JR亀岡駅のコンコースに石門心学の開祖「石田梅岩」がありましたので写真紹介

します。

亀岡市民の方は大部分の方が石田梅岩の名前を知っておられると思いますが

神戸市民である私は初めて知った偉人であります。

上の2枚の写真が石田梅岩像です。

読み難いのでそのまま転記しておきます(下に添付)

石田梅岩(ISHIDA BAIGAN)(1685-1744)は江戸中期に、現在の亀岡市東別院町に生まれました。

本名を興長、呼び名は勘平(KANPEI)といい、律義な父の影響を受けたと伝えられており、

京都の商家で、仕事に励むとともに、『人の人たる道』を求めて勉学にも努力を重ね、やがて

『石門心学の祖』(SEKIMONSHINGAKU)となりました。

享保14年(1729)梅岩45歳の時、京都 車屋町御池上ルで「聴講無料・出入り自由・女性もどうぞ」

という、江戸時代としては型破りな講座で、日常生活における正直・勤勉・倹約・孝行などを

わかりやすく講義し、『商人道徳』の確立に大きく貢献しました。

延享元年(1744)60歳の生涯をとじましたが、梅岩の教えは全国に普及するとともに、時代を

超えた現在でも高く評価されています。生涯学習都市を宣言している亀岡市では、梅岩は

「市民の学ぶ心」のシンボルでもあります。    平成20年4月・亀岡駅舎改築記念

上の写真は石田梅岩の教えが書かれています。

商人に対しての教えであり判り易い文章で簡潔に説いています。

近くにリーフレットが置かれておりここからもう少し詳しい石田梅岩の生涯を辿ります。

まず、略年譜を作成しました。

貞享2年(1685) 9月15日丹波国桑田郡東懸村(亀岡市東別院町東掛)で誕生

       父:石田権右衛門 母:たね 2男1女の次男 名は興長。通称は勘平 号は梅岩

元禄8年(1695)11歳 初めて京都の商家で奉公

元禄12年(1699)15歳 商家を辞して帰郷

宝永4年(1707)23歳 再度上京、商家黒柳家に奉公

享保元年(1716)32歳 父・権右衛門が逝去(71歳)

享保12年(1727)43歳 小栗了雲(隠遁の学者)と出会う

           この頃商家黒柳家への奉公辞す

享保14年(1729)45歳 車屋町御池上る町の自宅で講義開始(聴講料不要)

文元年(1736)52歳 母・たねが逝去(82歳)

文2年(1737)53歳 堺町通六角下東側に転居

文4年(1739)55歳 7月「都鄙問答」刊行

延享元年(1744)60歳 5月「倹約斉家論」刊行

           9月24日 逝去

           9月27日 洛東鳥辺山延念寺に葬られる

 

 

上の写真はリーフレット表紙の石田梅岩の肖像画(京都明倫舎蔵)

上の写真は石田梅岩の生家

上の写真は梅岩講釈之図(京都明倫舎蔵「石田勘平一代記」挿入図)

最盛期には、門人400名にのぼり、京都呉服商人の手島堵庵(1718~1786)をはじめ

中沢道二(1725~1803)・・・堵庵の弟子、「松翁道話」を著した布施松翁(1725~1784)

心学道話の最高峰とされる「鳩翁道話」の柴田鳩翁(1783~1839)このほかに・斎藤全門・

大島有隣等優れた人材を輩出した。

石門心学を学ぶ学校=心学講舎は全国に170以上設立された。

明治維新以降、日本の近代化ができたのは石門心学としたのは米国の社会学者ロバート・N・ベラー

(1927~2013)の「徳川時代の宗教(Tokugawa Religion)」(1957)で彼はこの著の中で

カルヴァン主義商業倫理の日本版とされ、日本の産業革命成功の原動力とした。

上の写真は石田梅岩の遺品

 

 

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京都府亀岡市 八百捨 でのランチ on 2020-3-24

2020年03月29日 04時42分53秒 | 京都情報

2020年3月24日、京都府亀岡市の京料理・仕出し 八百捨でランチを頂きました

ので写真紹介します。

八百捨は江戸時代から旅籠を営みはじめ、130年前からは八百屋、現在は京料理店

として長くこの地を支えてきた名店の一つです。

八百捨(やおすて)の基本情報

住所:亀岡市旅籠町19 TEL:0771-22-0449

営業時間:9:00~19:00 ランチは11:00~14:00  

定休日:木曜日(祝日の場合は営業)

公式サイト:http://yaosute.jp/

所在地のGoo地図を添付しておきます。

上の2枚の写真は当日注文したランチ懐石 1,200円(税別)

繊細な味付けでペロリと食べてしまいました。

お値段もリーズナブルでお勧めします。

公式サイトにおすすめランチメニューとして写真入りで紹介されています。

落ち着いた雰囲気で食事を楽しめ、叔母さま族にも満足頂けると思います。

上の写真は食後のホットコーヒー 1,200円の料金内です。

上の写真はランチ懐石以外のメニュー表(店前に掲示)

お寿司や幕の内があります。

上の写真はお店の外観です。

上の写真は旧山陰道の筋(八百捨のある場所付近)

この付近に本陣がありました。亀山は亀山城の城下町であると同時に京都と

丹波・丹後・山陰方面を結ぶ山陰道の宿場町でもありました。

旅籠町には大名などが宿泊する本陣が置かれると共に旅籠が建ち並んでいた。

 

上の写真は亀岡市観光協会が作成したリーフレットの中で紹介された八百捨

 

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元離宮 二条城の東大手門と唐門

2018年06月24日 14時53分57秒 | 京都情報
本日(2018-6-24)、2017年9月19日BS朝日の下記放送を録画で観た。
 京都ぶらり歴史探訪 「二条城と坂本龍馬~大政奉還の真実~ 」


この番組の中から東大手門と唐門について写真紹介していきます。

元離宮 二条城の公式サイト:
 https://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/index.html


東大手門


2017年3月22日に二条城東大手門は建設当時の姿に蘇りテープカットの儀式が
行われました。
東大手門は二条城が築城された慶長8年(1603)につくられたが、寛文2年(1662)頃に
再建され、今の姿になったとされる。工事は平成26年(2014)10月から行われ、
老朽化した屋根瓦の葺き替えや漆喰を塗り替え、金箔貼りの当時の姿をよみがえらせた。




上の2枚の写真は改修後(上)と改修前(下)の二条城東大手門


上の写真は上空より二条城東大手門付近を俯瞰したものです。


上の写真は寛永3年(1626年)9月6日に行われた後水尾天皇の二条城行幸が描かれた
二条城行幸図 (洛中洛外図) 屏風の左隻 広島海の見える杜美術館 蔵
2代目将軍の徳川秀忠が大御所として、さらに3代目将軍徳川家光が天皇をお迎え
しています。

2017年6月1日のうみもりブログで上記屏風に関する詳しい解説があります。

本ブログではこの時に現在2層である東大手門が1層に建て替えられたことが
番組で指摘されていましたのでその部分を強調しました。(下の2枚の写真)




唐門











上の6枚の写真は表側と真下から撮られた二条城唐門です。

明治17年(1884)に二条城は宮内省の所管となり「二条離宮」と改称された為
菊の御紋の紋章となっています。




上の2枚の写真は二条城唐門の内側の飾りで仙人と瑞鳥が描かれています。

最後に二条城を上空より観た遠景を添付しておきます。
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土足参内 in 京都御所 on 2017-10-14

2018年03月13日 05時22分29秒 | 京都情報
2017年10月14日、京都御所で土足参内が行われたことを2018-3-9(金)、
21:00~22:00のNHK BSプレミアムの番組「新日本風土記 比叡山」で知りました。

憶えのためブログ記事を書いておきます。












上の6枚の写真は京都御所での土足参内の様子です。

土足参内(どそくさんだい)とは、千日回峰の創始者・相応和尚(最澄上人の孫弟子)以来
千年の格式と伝統があります。
由来は、文徳天皇の女御の病を京都市中の高僧の呪法効き目なく、12年籠山中の相応和尚が
行者姿で参内加持したところ、病はただちに平癒したといわれる。
千日回峰を満行した行者のみが許されるもので、京都御所小御所に土足のまま参内、
国家安泰を加持するものです。
江戸時代の大名ですら浅沓(あさぐつ)に履き替えて入った宜秋門を草鞋(わらじ)の
ままで入ることを許されたことから「土足参内」の呼び名が付いたという。
前回は光永圓道師が2009年に行い、今回千日回峰を満行した大阿闍梨(だいあじゃり)の
釜堀浩元(こうげん)さんがお勤めをされました。
記録が残る比叡山焼き打ち(1571年)以降51人目で、戦後14人目にあたるそうです。

釜堀浩元さんは大津市坂本の延暦寺善住院住職をされておられます。

当日の土足参内の日程は以下の通り

10時   寺町通りの京都御所のすぐ東の「静浄華院」から行列を整えて御所へ参内
10時30分 小御所で御加持奉修
11時   小御所退出

次に上記のNHK番組で千日回峰の様子も紹介されていましたので写真添付しておきます。
(下の3枚の写真)





Wikipediaより千日回峰行についての解説をそのまま引用紹介します。

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で
行われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。
「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」で、残りの「25日」は
「一生をかけて修行しなさい」という意味である
7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。
無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と
260箇所で礼拝しながら、約30 km を平均6時間で巡拝する。
途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐」と、短剣、
埋葬料10万円を常時携行する。
未開の蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。

堂入り

5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。
入堂前には行者は生き葬式を行い、無動寺明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる
断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。堂入り中は明王堂には五色の幔幕が張られ、
行者は不動明王の真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で
閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。水を汲みに出る以外は、
堂中で10万回真言を唱え続ける。
堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨となり、
信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行から、衆生救済の
利他行に入る。6年目にはこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60 km の行程を100日続ける。
7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84 km におよぶ京都大回りで、
後半100日は比叡山中30 km の行程に戻る。


釜堀浩元さんは平成23年(2011)3月に千日回峰を始められ、2017年9月18日に
満行されました。約7年間の荒行で地球約1周分の約4万キロを踏破したことになるそうです。



上記番組では釜堀浩元さんへのインタビューもされており、阿闍梨への道は師僧と同じ
白い衣を着れた喜びの方が大きかった
と述べられました。




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京都宇治 とにまる  ぶんぱく店でのランチ on 2018-1-24

2018年02月16日 05時16分26秒 | 京都情報
2018年1月24日、京都文化博物館にある京都宇治 とにまる  ぶんぱく店で
ランチを頂きましたので写真紹介します。

とにまる  ぶんぱく店の基本情報

住所:京都市中京区東片町623-1 京都文化博物館1階  TEL:075-221-8101
営業時間:11:00~20:00  定休日:月曜日(祝日の場合は翌日の火曜日)、年末年始
ジャンル:甘味処


公式サイト:https://tonimaru.com/
Instagram: https://www.instagram.com/kyoame_tonimaru/

Facebook: https://www.facebook.com/kyoame.tonimaru/


上の写真は当日いただいた甘酢さっぱりたれ唐揚げ定食 980円(税込)
と追加メニューのホットコーヒー200円(税込)
割合美味しかった。


上の写真はランチメニュー表



上の写真は西京漬け鰆(さわら)焼き定食 980円(税込)の内容


上の写真は野菜たっぷりカレー 980円(税込)の内容


上の写真は甘味のメニュー(ショーウィンドウ提示)




上の2枚の写真はお店の入口。同時に米屋格子を再現展示




上の2枚の写真はろうじ(路地)店舗の遠景と店舗一覧


上の写真はろうじ(路地)店舗の現地説明板



上の写真は京都文化博物館〈新館)の外観

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阪急電車烏丸駅の乗降通路の洛中洛外図(高津家本)陶板壁画 on 2018-1-24

2018年02月15日 06時38分59秒 | 京都情報
2018年1月24日、阪急電車烏丸駅の乗降通路で洛中洛外図(高津家本)陶板壁画
を偶然見つけましたので写真紹介します。

この壁画は、高津古文化会館所蔵の洛中洛外図を基にしてつくられた物で、
制作は慶長末期から元和初期と推定される。作者は不明。
昭和59年(1984)に駅の四條通東洞院地下道が完成したのを記念して作られたもの。


上の写真は陶板壁画全体の遠景です。






上の3枚の写真は部分拡大図。


上の写真は現地説明板。

写真が上手く撮れていないのでまたの機会に再度写真を撮れればイイナと思っています

付近の地上写真も添付しておきます。


上の写真は四条通り(大丸付近)


上の写真は錦市場西側の入口付近



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ポータルカフェ スバコ JR京都伊勢丹店 でのモーニングビュッフェ on 2018-1-24

2018年02月15日 05時57分30秒 | 京都情報
2018年1月24日、JR京都駅のコンコースにあるポータルカフェ スバコ 
JR京都伊勢丹店で頂いたモーニングビュッフェを写真紹介します。

ポータルカフェ スバコの英文名:Portal Cafe SUVACO


ポータルカフェ スバコ JR京都伊勢丹店の基本情報

住所:京都市下京区烏丸通塩小路下る東塩小路町901 JR京都伊勢丹 2F
TEL:075-342-2577(直通)  営業時間:7:00~23:00
定休日:なし(無休)


公式サイト:https://www.kyoto-station-building.co.jp/search/search.cgi?mode=syousai&gen=food&area=nanboku&no=9







上の3枚の写真が当日頂いたものです。食べすぎですネ。
これで980円(税込)正確には979円はお得な感じです。


上の写真はお店の入口




上の2枚の写真はモーニングビュッフェの看板


上の写真は営業時間が書かれた看板


おまけに京都タワーの写真を添付しておきます。

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便利堂創業130周年記念「至宝をうつす」見学記 in 京都文化博物館 on 2018-1-24

2018年01月26日 04時20分07秒 | 京都情報
2018年1月24日、数年に1回という寒気の中、表題のイベントを観覧するために
京都文化博物館に出かけていました。

最大の目的はコロタイプで製作された初公開の高松塚古墳壁画(原寸大に加工)を
観ることでした。展示は京都文化博物館本館4階の展示室。
高松塚古墳の壁画の展示を中心に憶えのためにメモしておきます。


上の写真は高松塚古墳壁画の西壁です。
出典:写真撮影禁止だったので展示ガイドのリーフレットよりコピー。
西壁には飛鳥美人として超有名になった女子群像(写真の右手)、真ん中に白虎
左手に男子群像、さらに白虎の上方に月像が配置されています。

その他に北壁、東壁、天井星座(部分)が原寸大に加工されて展示。

5×7インチのカラーフイルムをスキャンし、そのデータをつなぎ合わせて
原寸大まで拡大し、さらに部分撮影されていた壁画写真をレイヤーリングして
製作されたそうです。(作業は2017年)

高松塚古墳壁画発見・撮影45周年を記念してコロタイプ印刷を世界で唯一
継続させている便利堂が創業130周年ということもあり企画されました。



高松塚古墳壁画の全体のイメージとしては上の写真(私の銅版画作品)のような配置

但し西壁(左側)の白虎や東壁の青龍の配置は下方ではなく現物では女子像と男子像に
配置されています。


上の写真は西壁の女子群像を中心とした今回の展示の説明書き
出典:開催案内リーフレットの裏面

女子群像はこんなイメージです。


開催案内のリーフレットは下に添付しました。


展示では昭和47年(1972)3月22日と24日に現地で撮影された時の石室模型
さらに壁画及び撮影機材一式を模型で再現されていました。
この展示はリアルで非常に判り易かった。

また、関連資料の展示で昭和47年(1972)3月21日の夜9時頃、関西大学の
故網干善教先生(関西大学名誉教授)から便利堂の写真部に連絡が入ったこと
3月22日と24日に大八木威男(当時38歳)と上洞猛雄(当時28歳)が撮影をしたこと。
3月23日にポジを現像したことなど当時のノートメモと共に展示。

さらに大八木威男氏の当時の回想の言葉が記載されていました。
吉川弘文館の「歴史の花かご」に写真家の大八木威男が、「高松塚古墳撮影の思い出」
という文を書いておられるようです。

朝日新聞の昭和47年(1972)3月29日号の別刷りで飛鳥美人像が紹介されたことを
説明記載し、且つ朝日新聞の現物も展示されていました。

発掘当時に関西大学考古学教室の学生であった森岡秀人氏は当時を回顧して
下記サイトでその様子を語っておられます。(毎日新聞 2017-10-24)
 https://mainichi.jp/articles/20171024/ddn/013/040/036000c
森岡秀人氏の直接の指導教官であった故網干 善教先生(あぼし よしのり、1927年9月29日 -
2006年7月29日)と共に高松塚古墳発掘の総指揮をとられた故末永雅雄先生
(橿原考古学研究所の初代所長。関西大学名誉教授)の卓越した指導も大きかった。


また、関西大学博物館の下記サイトに発掘時の様子が記載されています。
 http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/kohun/

便利堂の代表的な仕事の一つに法隆寺金堂の壁画があります。
6号壁画の部分を題材にした銅版画の作品を2015年度後期に製作していますので
写真紹介します。勢至観音菩薩(下記写真及びサイト)



 兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2015年度後期 第3作

関連するサイトとして岩波書店のサイトにリンクさせていただきました。
 https://www.iwanami.co.jp/news/n22906.html

今回の特別展の内容詳細を書かれたサイト
  http://takumisuzuki123.blog.fc2.com/blog-entry-113.html?sp


高松塚古墳&キトラ古墳に関する小生のブログ

 2017年5月12日(金)放送の歴史秘話ヒストリア「飛鳥美人 謎の暗号を解け~高松塚壁画のヒミツ~」を視聴して

 奈良散策記 その13 高松塚古墳(最終回)

 奈良散策記 その5 キトラ古墳 on 2011-5-16

  NHKBSプレミアム 飛鳥の大宇宙 ~キトラに眠るのは誰だ~を視聴して

 7月16日放送のNHK BSプレミアム 「キトラ 最古の天文図のミステリー」を視聴して
 
 キトラ古墳壁画体験館 四神の館 on 2016-10-6

 法楽山 専称寺と網干 善教先生

 
文化庁の高松塚古墳&キトラ古墳に関するサイト

 高松塚古墳・キトラ古墳

外部リンク

 高松塚壁画館

 Wikipedia

 神戸新聞(2017-5-13 夕刊)奈良・高松塚の国宝壁画を公開 飛鳥美人鮮やかに

 神戸新聞(2017-6-13朝刊)高松塚壁画カビ除去し青竜鮮明に 文化庁が写真公開

 明日香村-高松塚古墳情報

 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

 飛鳥資料館(国立奈良文化財研究所)

 便利堂コロタイプギャラリーでの展示詳細


この記事を終わるに当たって京都文化博物館の建物と基本情報を記載します。




上の2枚の写真は京都文化博物館の別館建物と重要文化財の銘板

この建物は辰野金吾(1854-1919)とその子弟である長野宇平治(1867-1937)が設計し、
明治39年(1906)に竣工した日本銀行京都支店の建物であったものです。
昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定、昭和61年(1986)4月京都府に寄贈
され、昭和63年(1988)10月京都文化博物館別館として公開平。
平成17年(2005)リニューアル工事が実施され現在に到っています。

京都文化博物館の基本情報

住所:京都市中京区東片町623−1 TEL:075-222-0888
開館時間: 総合展示は10:00~19:30
      特別展示は10:00~18:00
定休日:月曜日 他に12/28~1/3
入場料:一般500円、大学生400円、高校生以下は無料、特別展は別途料金


公式サイト:http://www.bunpaku.or.jp/

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