由宇小学校開校地
明治5年(1872)の学制頒布による「邑に不学の戸なく、
家に不学の人なからしめん」の精神に基づき由宇村でも
旧岩国藩士豊川鉄太郎屋敷(写真の場所)を買い上げ
玖珂郡第五番由宇小学が翼6年3月20日に開校した。
当時の児童数は男178名女82人(当時の由宇の人口は約3400人)
下等小学4年、上等小学4年で義務教育制ではなかった。
笠塚、貞清、横道、中村、山田、有家(あらけ)の寺子屋を支校とした。
明治12年1879)学制の変更と児童数の増加で東教場と西教場へ
移転した。
明治5年(1872)の学制頒布による「邑に不学の戸なく、
家に不学の人なからしめん」の精神に基づき由宇村でも
旧岩国藩士豊川鉄太郎屋敷(写真の場所)を買い上げ
玖珂郡第五番由宇小学が翼6年3月20日に開校した。
当時の児童数は男178名女82人(当時の由宇の人口は約3400人)
下等小学4年、上等小学4年で義務教育制ではなかった。
笠塚、貞清、横道、中村、山田、有家(あらけ)の寺子屋を支校とした。
明治12年1879)学制の変更と児童数の増加で東教場と西教場へ
移転した。