林芙美子
明治36(1903)年~昭和26(1951)年。
本名林フミコ。山口県生まれ。
本籍は,、鹿児島県東櫻島古里温泉と言う所らしい。
6歳の頃から母と行商人の養父とともに九州各地を旅して
歩いたらしく、その際各地の小学校を転々とし
(十数回の転校)尾道に移り住み、第二尾道尋常小学校
5年に編入する。そこで早大卒の小林正雄先生(担任)と
出会う。先生により才能が開花した。
『放浪記』でベストセラー作家となり、
『稲妻』『浮雲』『めし』などの傑作を次々と発表する。
『晩菊』で女流文学者賞を受賞。
「放浪記」も一節 「海が見えた海が見える
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい」この文を刻んだ像が
山陽本線尾道駅の東、うず潮小路と名付けられた商店街
アーケード入り口にあります。
毎年6月29日の命日には、この像の前で「放浪忌」が
開かれるそうです。
また志賀直哉の旧宅を使った尾道市の「文学記念室」には、
芙美子の書斎が再現され、晩年に使った机やメガネ、万年筆
遺稿などが所蔵されている
明治36(1903)年~昭和26(1951)年。
本名林フミコ。山口県生まれ。
本籍は,、鹿児島県東櫻島古里温泉と言う所らしい。
6歳の頃から母と行商人の養父とともに九州各地を旅して
歩いたらしく、その際各地の小学校を転々とし
(十数回の転校)尾道に移り住み、第二尾道尋常小学校
5年に編入する。そこで早大卒の小林正雄先生(担任)と
出会う。先生により才能が開花した。
『放浪記』でベストセラー作家となり、
『稲妻』『浮雲』『めし』などの傑作を次々と発表する。
『晩菊』で女流文学者賞を受賞。
「放浪記」も一節 「海が見えた海が見える
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい」この文を刻んだ像が
山陽本線尾道駅の東、うず潮小路と名付けられた商店街
アーケード入り口にあります。
毎年6月29日の命日には、この像の前で「放浪忌」が
開かれるそうです。
また志賀直哉の旧宅を使った尾道市の「文学記念室」には、
芙美子の書斎が再現され、晩年に使った机やメガネ、万年筆
遺稿などが所蔵されている