
栗橋関所は利根川河川敷に設置され、敷地約120坪
建坪約16坪の小規模なものでした。
関所には4名の番士が任命され幕末の番士は足立、島田、
富田、加藤の四家でした。
番士の勤務は毎日朝6時から夕方6時まで2人1組で
5日間交代でした。手当ては20俵。
上の写真は足立家で現在も番士の子孫が住まわれている。
その敷地は約1,400平方メートル。
この足立家には膨大な関所日記が残されているそうです。
関所番士屋敷は寛永元年(1624)に栗橋関所の番士の
住まいとして江戸幕府が設置しました。

上の写真は栗橋関所跡の碑です。
栗橋関所は元和7年(1621)以降河川敷の現在地に
設けられました。元和7年(1621)以前は
日光街道は五霞町元栗橋にあり関所も別の場所に
あったが利根川の水害でつけかえられた。