2014年3月8日(土)に須磨寺(福祥寺)の石造十三重塔の写真を撮ってきましたので紹介します。


福祥寺(須磨寺)の本堂、護摩堂の東側の池のほとりに石造十三重塔があります。
一般に十三重塔は供養塔として死者の冥福を祈るために建てられることが多い。
奈良県山辺郡の来迎寺にあったものを、須磨一の谷、藤田邸(もと男爵)に移された後、
昭和36年(1961)に川崎重工業社長だった手塚氏が譲り受け、手塚氏がその年の9月6日
福祥寺(須磨寺)に寄進されたもののようです。
花崗岩でできており、高さは5.24mだそうです。
礎石(軸石)の北面中央に嘉暦2年7月(1327)の刻銘があります。
鎌倉時代に建てられた数少ない石造の遺品で県の指定文化財になっています。
下部(軸部)には金剛界四仏をあらわす梵字が彫られています。
彫り方の特徴から薬研彫りであることが判るそうです。
塔の上部は上から宝珠・水煙・九輪・請花となっています。
相輪の先の四方に小さな突起が見られる部分=水煙は石造の十三重塔には大変珍しい
ものだそうです。
神戸高校の教諭であった川原純一氏の研究で元は大和国山辺郡の来迎寺にあった層塔と
推定されています。


福祥寺(須磨寺)の本堂、護摩堂の東側の池のほとりに石造十三重塔があります。
一般に十三重塔は供養塔として死者の冥福を祈るために建てられることが多い。
奈良県山辺郡の来迎寺にあったものを、須磨一の谷、藤田邸(もと男爵)に移された後、
昭和36年(1961)に川崎重工業社長だった手塚氏が譲り受け、手塚氏がその年の9月6日
福祥寺(須磨寺)に寄進されたもののようです。
花崗岩でできており、高さは5.24mだそうです。
礎石(軸石)の北面中央に嘉暦2年7月(1327)の刻銘があります。
鎌倉時代に建てられた数少ない石造の遺品で県の指定文化財になっています。
下部(軸部)には金剛界四仏をあらわす梵字が彫られています。
彫り方の特徴から薬研彫りであることが判るそうです。
塔の上部は上から宝珠・水煙・九輪・請花となっています。
相輪の先の四方に小さな突起が見られる部分=水煙は石造の十三重塔には大変珍しい
ものだそうです。
神戸高校の教諭であった川原純一氏の研究で元は大和国山辺郡の来迎寺にあった層塔と
推定されています。