毎年1月8日に鶴林寺で恒例の鬼追い(正式には修正会)が行われます。
この行事は天徳年間(957年10月27日~960年2月16日)から続く
伝統行事で1,000年以上の歴史があります。
2014年1月8日に初めて鶴林寺の修正会/鬼追いを観てきましたので
動画と写真で紹介します。
鶴林寺の基本情報
宗派は天台宗 本尊:薬師如来
創建:崇峻天皇2年(589) 播磨の法隆寺とも呼ばれています。
開基:聖徳太子
住所:加古川市加古川町北在家424 TEL:079-454-7053
公式HP:http://www.kakurinji.or.jp/mainpage/top-kakurinji.htm
鶴林寺の修正会の流れ
13時から鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納。
14時から悔過(けか)法要。
15時ごろ鬼が登場し、追儺(鬼の舞)があり
16時ごろ餅まきと法印授与があり終了となります
上の動画は鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納です。
鶴林寺の鬼追いと謡曲「安田吉道」とは深い関わりがあります。
鬼追いの始まりは村上天皇の御代(946-966)、播磨の国守として
具平(ともひら)親王が赴任された頃とあり具平親王の家臣に安田勝之進が
おりその子孫は代々安田吉道を名乗り慶長の頃から安田吉太夫(きちだゆう)
と名を改め鬼追いの世話役を務めてきたと記されています。
鬼追いの行事に先立ち披露されます。現在も鶴林寺仁王門の前の地域は安田と
呼ばれ鬼役などの世話役を務められています。
具平親王についてデジタル大辞泉の解説を引用させていただきます。
ともひら‐しんのう[964~1009]平安中期の文人・歌人。村上天皇の第7皇子。
中務(なかつかさ)卿。六条宮・千種(ちぐさ)殿・後(のちの)中書王とよばれる。
文才豊かで、和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽(おんよう)・医術などにも
通じた。著「弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)」など。
播磨鑑に具平ノ陵が見られる。実際に存在しているようです。
上の動画は本尊の薬師如来の前で行われる悔過(けか)法要です。
須弥壇に12カ月をあらわす「燈明12ヶ」右から1月・・・一番左が12月で
燈明の火の長さで天候をみる天候占。
早稲・中稲・晩稲をあらわす三把の「鬼の花」の穂のたれ具合で田占いも
見どころである。
悔過(けか)とは災禍の原因である私達の過ちを仏さまの前で懺悔し許しを請う
ことで修二会で有名な東大寺の二月堂では練行衆が悔過(けか)・懺悔(さんげ)
の行を2週間に渡り行います。
動画はメインイベントの鬼追いです。赤鬼と青鬼は本堂の内陣を7度半周ります。
7度半を迎えると赤鬼と青鬼は中央まで進むものの後ずさりしてしまう。
これは仏(薬師如来)の力で悪い鬼が良い鬼になり仏の使いになっていくのである
4匹の子鬼は2組に分かれ内陣の左右で棒で床を叩いたり棒どうしを打ち合わせる
動画は鬼追いが追いが終わると本堂の内陣の東側に高く吊られた鏡餅の所へ
赤鬼、青鬼、子鬼が集まり子鬼は棒でつついて餅を落とす所作をする。
良い鬼に変わった赤鬼と青鬼も手助けをする。
上の動画は修正会・鬼追いの見どころ説明 場面です。
動画は最後に参詣者が鶴林寺の僧侶から牛王宝印の判を額に押してもらう場面です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d8/5145d62c5033b34a96e479ef3d866a6b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/18/60dc419ad76c79bdf5de52008b24f791.jpg)
上の写真は当日(2014-1-8)の鶴林寺仁王門と会場となった国宝の本堂。
この行事は天徳年間(957年10月27日~960年2月16日)から続く
伝統行事で1,000年以上の歴史があります。
2014年1月8日に初めて鶴林寺の修正会/鬼追いを観てきましたので
動画と写真で紹介します。
鶴林寺の基本情報
宗派は天台宗 本尊:薬師如来
創建:崇峻天皇2年(589) 播磨の法隆寺とも呼ばれています。
開基:聖徳太子
住所:加古川市加古川町北在家424 TEL:079-454-7053
公式HP:http://www.kakurinji.or.jp/mainpage/top-kakurinji.htm
鶴林寺の修正会の流れ
13時から鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納。
14時から悔過(けか)法要。
15時ごろ鬼が登場し、追儺(鬼の舞)があり
16時ごろ餅まきと法印授与があり終了となります
上の動画は鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納です。
鶴林寺の鬼追いと謡曲「安田吉道」とは深い関わりがあります。
鬼追いの始まりは村上天皇の御代(946-966)、播磨の国守として
具平(ともひら)親王が赴任された頃とあり具平親王の家臣に安田勝之進が
おりその子孫は代々安田吉道を名乗り慶長の頃から安田吉太夫(きちだゆう)
と名を改め鬼追いの世話役を務めてきたと記されています。
鬼追いの行事に先立ち披露されます。現在も鶴林寺仁王門の前の地域は安田と
呼ばれ鬼役などの世話役を務められています。
具平親王についてデジタル大辞泉の解説を引用させていただきます。
ともひら‐しんのう[964~1009]平安中期の文人・歌人。村上天皇の第7皇子。
中務(なかつかさ)卿。六条宮・千種(ちぐさ)殿・後(のちの)中書王とよばれる。
文才豊かで、和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽(おんよう)・医術などにも
通じた。著「弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)」など。
播磨鑑に具平ノ陵が見られる。実際に存在しているようです。
上の動画は本尊の薬師如来の前で行われる悔過(けか)法要です。
須弥壇に12カ月をあらわす「燈明12ヶ」右から1月・・・一番左が12月で
燈明の火の長さで天候をみる天候占。
早稲・中稲・晩稲をあらわす三把の「鬼の花」の穂のたれ具合で田占いも
見どころである。
悔過(けか)とは災禍の原因である私達の過ちを仏さまの前で懺悔し許しを請う
ことで修二会で有名な東大寺の二月堂では練行衆が悔過(けか)・懺悔(さんげ)
の行を2週間に渡り行います。
動画はメインイベントの鬼追いです。赤鬼と青鬼は本堂の内陣を7度半周ります。
7度半を迎えると赤鬼と青鬼は中央まで進むものの後ずさりしてしまう。
これは仏(薬師如来)の力で悪い鬼が良い鬼になり仏の使いになっていくのである
4匹の子鬼は2組に分かれ内陣の左右で棒で床を叩いたり棒どうしを打ち合わせる
動画は鬼追いが追いが終わると本堂の内陣の東側に高く吊られた鏡餅の所へ
赤鬼、青鬼、子鬼が集まり子鬼は棒でつついて餅を落とす所作をする。
良い鬼に変わった赤鬼と青鬼も手助けをする。
上の動画は修正会・鬼追いの見どころ説明 場面です。
動画は最後に参詣者が鶴林寺の僧侶から牛王宝印の判を額に押してもらう場面です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d8/5145d62c5033b34a96e479ef3d866a6b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/18/60dc419ad76c79bdf5de52008b24f791.jpg)
上の写真は当日(2014-1-8)の鶴林寺仁王門と会場となった国宝の本堂。