2014年12月17日に坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の碑(近江屋跡)の写真を
撮りましたので紹介します。
所在地は河原町通りに面している回転寿司の京のとんぼ(四条河原町店)
の前で住所は京都市中京区河原町通蛸薬師下る塩屋町330
Goo地図はこちら
京のとんぼはかっぱ寿司が展開する店で食べ放題コースを売りとしています。
上の写真が坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の碑(近江屋跡)で坂本龍馬の像(下の写真)
も掲示されています。
上の写真は説明版です。
上の写真は説明版の拡大版です。(日本語、英語、中国語、ハングル語)
上の写真は坂本龍馬・中岡慎太郎先生銅像(丸山公園内)
撮影:2010-6-24
上の写真は近江屋で無念の死を遂げた坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の墓前
にある坂本龍馬・中岡慎太郎先生銅像(旧霊山官修墳墓内)
撮影:2010-6-24
霊山(りょうぜん)神社から入る明治維新史蹟「旧霊山官修墳墓」には、明治
維新の誕生につくした志士たち1043名の霊(みたま)が祀(ま)られています。
木戸孝允(桂小五郎)の勅撰碑、池田屋の犠牲者、坂本龍馬、中岡慎太郎及び
藤吉の墓、禁門の変で散った長州の久坂玄瑞、来島又兵衛、入江九一、
寺島忠三郎安政の大獄で処刑された若狭藩士の梅田雲浜(うんひん)
天誅組の吉村寅太郎(武市瑞山・坂本龍馬・中岡慎太郎などとともに
「土佐幕末四天王」と呼ばれていた)などが眠っています。
京都霊山護国神社は、明治元年(1968)5月に、明治維新の実現のために倒れた
志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。
坂本龍馬に関する簡単な年譜を添付しておきます。
-天保6年(1836)、1月3日、現在の高知県高知市上町(高知城下)に生まれる。
-天保8年(1838)、2月大塩平八郎の乱
-弘化3年(1846) 龍馬12歳
母の幸が急死 永眠する。
小高坂の楠山塾で学ぶが6ヶ月で退塾。
-嘉永元年(1848) 龍馬14歳
高知城下の日根野弁治の道場へ入門し下士の習う小栗流和兵法を学ぶ。
-嘉永6年(1853) 龍馬19歳
1月 日根野弁治から小栗流和兵法(柔術)の目録を伝授される
3月17日 江戸遊学のため土佐を出立
4月、剣術修行のため江戸(東京都)に出て、北辰一刀流剣術開祖
千葉周作の弟の千葉定吉の桶町千葉道場(小千葉道場)に入門する。
6月3日にアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー ペリーが率いる4隻の
軍艦が浦賀に来航、龍馬も土佐藩の一員として浜川台場から黒船を遠望する。
12月には佐久間象山の私塾(西洋砲術)にも通っている。
-嘉永7年(1854) 龍馬20歳
日米和親条約が締結される
-安政元年(1854)に土佐に帰郷。
幼なじみの近藤長次郎の紹介で画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。
(ジョン万次郎からの情報を絵に描く)
日米和親条約 引き続き日英、日露、日蘭和親条約締結
-安政2年(1855)龍馬21歳、父・八平が永眠する。
-安政3年(1856)龍馬22歳、再び江戸・小千葉道場に遊学。
-安政4年(1857)龍馬23歳、盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。
この事件については小生のBlogを参照してください。
-安政5年(1858)龍馬24歳、剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝(長刀目録)。
日米修好通商条約 6月19日(現在暦では1858年7月29日)
コレラの流行 死者約20万人
9月 安政の大獄始まる
-安政6年(1859)龍馬25歳、
4月 吉田松陰、江戸へ護送される
5月17日 漂流中に米国船に助けられた浜田彦蔵がアメリカから長崎に帰着
-安政7年、万延元年(1860) 龍馬26歳
2月26日 咸臨丸、サンフランシスコに到着
3月3日 桜田門外で大老井伊直弼暗殺される
-万延2年、文久元年(1861) 龍馬27歳
8月 江戸で武市半平太ら土佐勤王党を結成
10月20日 皇女和宮の一行が京を出発
-文久2年(1862) 龍馬28歳
1月14日~ 龍馬萩で薩長士連合密議
3月 龍馬脱藩 勝海舟に師事
-文久3年(1863)龍馬29歳
1月8日 坂本龍馬の斡旋で高松太郎・千屋寅之助・望月亀弥太ら勝海舟門下となる
8月18日の政変 翌日七卿落ち(長州藩へ)
9月23日 井上聞多・伊藤俊輔ら長州ファイブ、ロンドンに到着
-文久4年、元治元年(1864)龍馬30歳 神戸海軍操練所時代
6月5日 新撰組 池田屋襲撃
7月18日~20日 禁門の変
8月2日 幕府、長州藩征討令を35藩に命じる
8月5日 4ヶ国艦隊17隻、下関砲撃を開始
11月10日 勝海舟、神戸海軍操練所を免職となる
元治2年 慶応元年(1865) 龍馬31歳 薩長同盟に奔走
5月6日 坂本龍馬・土方久元と桂小五郎、下関で薩長同盟について会合
5月24日 坂本龍馬、大宰府の三条実美を訪問し薩長同盟案を示す
慶応2年(1866) 龍馬32歳
慶応3年(1867)龍馬33歳
6月9日 船中八策
11月15日 近江屋で刺客により殺害される
撮りましたので紹介します。
所在地は河原町通りに面している回転寿司の京のとんぼ(四条河原町店)
の前で住所は京都市中京区河原町通蛸薬師下る塩屋町330
Goo地図はこちら
京のとんぼはかっぱ寿司が展開する店で食べ放題コースを売りとしています。
上の写真が坂本龍馬、中岡慎太郎遭難の碑(近江屋跡)で坂本龍馬の像(下の写真)
も掲示されています。
上の写真は説明版です。
上の写真は説明版の拡大版です。(日本語、英語、中国語、ハングル語)
上の写真は坂本龍馬・中岡慎太郎先生銅像(丸山公園内)
撮影:2010-6-24
上の写真は近江屋で無念の死を遂げた坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の墓前
にある坂本龍馬・中岡慎太郎先生銅像(旧霊山官修墳墓内)
撮影:2010-6-24
霊山(りょうぜん)神社から入る明治維新史蹟「旧霊山官修墳墓」には、明治
維新の誕生につくした志士たち1043名の霊(みたま)が祀(ま)られています。
木戸孝允(桂小五郎)の勅撰碑、池田屋の犠牲者、坂本龍馬、中岡慎太郎及び
藤吉の墓、禁門の変で散った長州の久坂玄瑞、来島又兵衛、入江九一、
寺島忠三郎安政の大獄で処刑された若狭藩士の梅田雲浜(うんひん)
天誅組の吉村寅太郎(武市瑞山・坂本龍馬・中岡慎太郎などとともに
「土佐幕末四天王」と呼ばれていた)などが眠っています。
京都霊山護国神社は、明治元年(1968)5月に、明治維新の実現のために倒れた
志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。
坂本龍馬に関する簡単な年譜を添付しておきます。
-天保6年(1836)、1月3日、現在の高知県高知市上町(高知城下)に生まれる。
-天保8年(1838)、2月大塩平八郎の乱
-弘化3年(1846) 龍馬12歳
母の幸が急死 永眠する。
小高坂の楠山塾で学ぶが6ヶ月で退塾。
-嘉永元年(1848) 龍馬14歳
高知城下の日根野弁治の道場へ入門し下士の習う小栗流和兵法を学ぶ。
-嘉永6年(1853) 龍馬19歳
1月 日根野弁治から小栗流和兵法(柔術)の目録を伝授される
3月17日 江戸遊学のため土佐を出立
4月、剣術修行のため江戸(東京都)に出て、北辰一刀流剣術開祖
千葉周作の弟の千葉定吉の桶町千葉道場(小千葉道場)に入門する。
6月3日にアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー ペリーが率いる4隻の
軍艦が浦賀に来航、龍馬も土佐藩の一員として浜川台場から黒船を遠望する。
12月には佐久間象山の私塾(西洋砲術)にも通っている。
-嘉永7年(1854) 龍馬20歳
日米和親条約が締結される
-安政元年(1854)に土佐に帰郷。
幼なじみの近藤長次郎の紹介で画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。
(ジョン万次郎からの情報を絵に描く)
日米和親条約 引き続き日英、日露、日蘭和親条約締結
-安政2年(1855)龍馬21歳、父・八平が永眠する。
-安政3年(1856)龍馬22歳、再び江戸・小千葉道場に遊学。
-安政4年(1857)龍馬23歳、盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。
この事件については小生のBlogを参照してください。
-安政5年(1858)龍馬24歳、剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝(長刀目録)。
日米修好通商条約 6月19日(現在暦では1858年7月29日)
コレラの流行 死者約20万人
9月 安政の大獄始まる
-安政6年(1859)龍馬25歳、
4月 吉田松陰、江戸へ護送される
5月17日 漂流中に米国船に助けられた浜田彦蔵がアメリカから長崎に帰着
-安政7年、万延元年(1860) 龍馬26歳
2月26日 咸臨丸、サンフランシスコに到着
3月3日 桜田門外で大老井伊直弼暗殺される
-万延2年、文久元年(1861) 龍馬27歳
8月 江戸で武市半平太ら土佐勤王党を結成
10月20日 皇女和宮の一行が京を出発
-文久2年(1862) 龍馬28歳
1月14日~ 龍馬萩で薩長士連合密議
3月 龍馬脱藩 勝海舟に師事
-文久3年(1863)龍馬29歳
1月8日 坂本龍馬の斡旋で高松太郎・千屋寅之助・望月亀弥太ら勝海舟門下となる
8月18日の政変 翌日七卿落ち(長州藩へ)
9月23日 井上聞多・伊藤俊輔ら長州ファイブ、ロンドンに到着
-文久4年、元治元年(1864)龍馬30歳 神戸海軍操練所時代
6月5日 新撰組 池田屋襲撃
7月18日~20日 禁門の変
8月2日 幕府、長州藩征討令を35藩に命じる
8月5日 4ヶ国艦隊17隻、下関砲撃を開始
11月10日 勝海舟、神戸海軍操練所を免職となる
元治2年 慶応元年(1865) 龍馬31歳 薩長同盟に奔走
5月6日 坂本龍馬・土方久元と桂小五郎、下関で薩長同盟について会合
5月24日 坂本龍馬、大宰府の三条実美を訪問し薩長同盟案を示す
慶応2年(1866) 龍馬32歳
慶応3年(1867)龍馬33歳
6月9日 船中八策
11月15日 近江屋で刺客により殺害される