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畝尾坐健土安神社 on 2016-12-22

2017年02月12日 04時04分38秒 | 奈良情報
2016年12月22日、奈良文化財研究所・飛鳥藤原宮跡発掘調査部の北東側に
鎮座する畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)を訪問
しましたので写真紹介します。

畝尾坐健土安神社の基本情報

住所:奈良県橿原市下八釣町136  
御祭神:健土安比売命 天児屋根命 近世に天照大神社と称す


所在地の地図(Goo地図)はこちら



上の写真は拝殿 拝殿のすぐ前に鳥居が建っています
健土安比売命は、古事記の記述ではイザナミ神が、火之迦具土神を生み、病臥
された時、尿から、波邇夜須比古神と共に生まれた波邇夜須毘売神。
いわゆる、土の神である。

畝尾坐健土安神社は埴安(はにやす)の地に祀られた土の神と言える


上の写真は「式内大社 畝尾坐健土安神社」と書かれた石碑と神社の遠景





上の2枚の写真は拝殿正面より本殿を臨む


上の写真は側面より本殿を臨む


上の写真は庚申と愛宕山を祀った石碑の境内社


上の写真は現地の説明板
「畝尾坐健土安神社(うねおにますたけはにやすじんじゃ)
 奈良県橿原市下八釣町(当地)にある神社。天香久山 北西麓、畝尾都多本神社
 北隣に鎮座。祭神は健土安比売命・天児屋根命。近世に天照大神社と称したが、
 「延喜式」神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社大、月次新嘗」に比定(大和志)。
 旧村社。畝尾の訓について、「延喜式」金剛寺本はウネヒ、九条家本はウネヲとし、
 十市郡には畝尾都多本神社の名もみえる。「古事記」神代巻の「香山も 畝尾の
 木の本」はウネヲと読むのが定説になっており、式内社の場合は香山のうねりを
 もった山の尾に鎮座する神と解釈されている。畝尾坐健土安神社は「日本書紀」
 神武天皇即位前紀己未年二月二〇日条に「天皇、前年の秋九月を以て、 潜に
 天香山の埴土を取りて、八十の平瓫を造りて、躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ。
 遂に区宇を安定むること得たまふ。故、土を取りし処を号けて、埴土と白ふ」と
 みえる埴安に鎮座し た土霊とされる。天平二年(七三〇)神戸の租稲 九〇束の
 うち四束を祭神料に充てられ(「大倭国正税帳」正倉院文書)、天安三年(八五九)
 一月二七日、従五位下より従五位上に昇叙した(三代実録)。また大同元年
(八〇六)に大和国に神封一戸を充てられた畝尾神は(新抄格勅符抄)、当社のことか
 畝尾都多本神社のことか明らかでない。なお 「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午
 九月条に埴土を取ったと記す「天香山社」は、同じく十市郡の式内社天香山坐櫛真命神社
 のことではなく、当社をさすとする説がある(大和志料)。神社と天香久山の間に
 赤埴山という小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。「磯城郡誌」は「赤埴山。
 香久山の西北に接続し、全山赤色粘土なれば赤焼土器に適するならん。土人これを
 赤せん山と称し、香久山の中央西側は白色粘土なるを以て、土人これを白こと称せり」
 と伝える。
                  『大和・紀伊 寺院神社事典』より引用」



上の写真は現地周辺の地図 北が左になっていますので注意




上の写真は天香山植安伝承地道と書かれた石碑
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