CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸港 水陸両用車 スプラッシュⅡ

2019年04月20日 06時48分04秒 | 昔こんなものがあった 平成編
スプラッシュ号は2007年9月日本で始めて運行された水陸両用車である。
料金は3,000円で運用されていました。

観光ルートは
メリケンパーク駐車場を出て、国道2号線を通り 居留地を見学。
それから フラワーロードを通って、北野坂を上り 異人館(北野通り)を見学。
新神戸から 地下鉄山手線・地上を通って、山手幹線道へ抜け トアロードを大丸前まで行って
南京街を覗いた後、ハーバーランドの’はね橋’から 海上クルーズをして
再び はね橋から 上陸して メリケンに戻ってきます。


見学は 全て 車内から、所要時間 約80分。

スプラッシュ号は車両の整備不良で一時、運転を停止していましたが2013年10月
21日より運転再開されています。

しかし、年月日は不明であるがいつの間にか姿を消してしまいました。
2014年か2015年頃に廃止か?

本ブログでは筆者が2013-12-3に撮った動画を添付しておきます。お客様も満員のようでした。

神戸港 水陸両用車 スプラッシュⅡ on 2013-12-3


水陸両用車による観光についてWikipediaより解説文を引用紹介します。
水陸両用車を使った観光ツアーを、原型車両であるDUKWおよび水鳥のカモ/アヒル(Duck)
になぞらえて「ダックツアー」と呼ぶ。
1946年に米国のウィスコンシン州で最初のダックツアーが始まったとされる。
日本では日本水陸観光が行うツアーの総称を表す。


下記は整備不良に関する記事です。
「スプラッシュ2」は2012年7月15日に神戸港を運航中、かじが利かずに
動けなくなる故障が発生。翌16日には、もう1台の「スプラッシュ1」も神戸市
中央区の市道を走行中、ブレーキが利かなくなり、歩道に乗り上げポール5本を倒す
事故を起こした。乗客22人にけがはなかった。 」
株式会社ダックツアー・タイコーは2012年8月18日からスプラッシュⅠ、Ⅱを
運休しているが、国土交通省は重大事故につながりかねないとして、同社に
同月22日付で運行自粛を要請した。

スプラッシュ1は8月18日にも同区内の県道を走行中、左後輪のボルトが外れ、
ツアーを中止。いずれも整備不良が原因とみられるという。



ラジオ関西のサイト(2018-11-7付け)に新型の水陸両用車がUmieの前を
走っている写真が紹介されていますのでリンクしておきます。
 https://jocr.jp/giants/20181106212804/

神戸新聞NEXT 2019-4-26 で4月28日と5月1~5日の6日間限定で、
神戸ポートタワーを発着点に1日4便を運航する。との報道がありました。
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三木城攻め平井山本陣での評定劇 on 2013-12-7

2019年04月20日 06時17分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
2013年12月7日、三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念ウォーキングに
参加した折、平井本陣での評定劇を観覧しました。
動画で紹介します。

三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念ウォーキングでの平井本陣での評定劇 on 2013-12-7


三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念ウォーキングでの平井本陣での評定劇


2013年12月7日(土)、三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念シンポジウムの
関連行事として三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念ウォーキングが同日の午前中に
ありました。三木合戦における羽柴秀吉の平井本陣と竹中半兵衛の墓がウォーキングの
メインの訪問先でした。
平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)において三木市の甲冑保存会の皆様による三木合戦に
おける三木城攻略の評定劇が披露されていました。
黒田官兵衛及び竹中半兵衛の二兵衛が羽柴秀吉に進言し竹中半兵衛が主張した兵糧攻めが
採用される劇です。268名のウォーキング参加者が熱心に熱演を観て感動していました。
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平成時代回顧 その1 天皇、皇后陛下の海外訪問

2019年04月20日 06時07分21秒 | Weblog
平成時代もあと少しで幕をとじようとしています。

そこで、本ブログにおいても平成回顧の記事を書くことにしました。
シリーズ1回目は天皇、皇后陛下の海外訪問について書いていきます。
 出典は宮内庁公式サイト&日経新聞2019年1月1日(朝刊)

天皇陛下が皇后陛下と共に海外を訪れた回数は19回に達する。

平成3年(1991)タイ、マレーシア、インドネシア
  タイ、マレーシア、インドネシアの招待により国際親善のためご訪問

平成4年(1992)中国
  中国の招待により国際親善のためご訪問
  「中国国民に対し多大の苦難を与えた」と述べられました。

 宮内庁のサイトに中国訪問に際しての宮内記者会代表質問の内容が掲載されています。
  http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html

  又は宮内庁のTOPより
  ホーム>おことば>記者会見>天皇皇后両陛下>天皇皇后両陛下の記者会見など>
   中華人民共和国ご訪問に際し(平成4年)

平成5年(1993)ベルギー、イタリア、ドイツ、(バチカン)
  ベルギー国王ボードワン陛下の葬儀にご参列のためご旅行
  イタリア、ベルギー、ドイツの招待により国際親善のためご訪問
   (バチカンお立ち寄り)

平成6年(1994)米国(本土、ハワイ州)、フランス、スペイン、(ドイツ)
  アメリカ合衆国の招待により国際親善のためご訪問
  フランス、スペインの招待により国際親善のためご訪問
  (ドイツお立ち寄り)

平成9年(1997)ブラジル、アルゼンチン、(ルクセンブルグ)、(米国)
  ブラジル,アルゼンチンの招待により,国際親善のためご訪問
   (ルクセンブルク・アメリカ合衆国お立ち寄り)

平成10年(1998)米国、デンマーク、(ポルトガル)
  英国、デンマークの招待により国際親善のためご訪問
   (ポルトガルお立ち寄り)

平成12年(2000)オランダ、スウェーデン、(スイス)、(フィンランド)
  オランダ,スウェーデンの招待により国際親善のためご訪問
  (スイス,フィンランドお立ち寄り)


平成14年(2002)ポーランド、ハンガリー、(チェコ)、(オーストラリア)
  ポーランド,ハンガリーの招待により,国際親善のためご訪問
  (チェコ,オーストリアお立ち寄り)

平成17年(2005)ノルウェー、(アイルランド)、米国(サイパン島)
  ノルウェーの招待により,国際親善のためご訪問
     (アイルランドお立ち寄り)
  戦後60年に当たり戦争によりサイパンで亡くなられた人々を慰霊し平和を祈念するためご訪問

平成18年(2006)シンガポール、タイ、(マレーシア)
  シンガポールの招待により外交関係樹立40周年に当たり国際親善のためご訪問
  タイの招待により国王陛下即位60年記念式典にご臨席のためご訪問
  (マレーシアお立ち寄り)

平成19年(2007)スウェーデン、英国、エストニア、ラトビア、リトアニア
  スウェーデン及び英国からリンネ生誕300年に当たりリンネ協会の名誉会員である
  天皇陛下及び皇后陛下に対しご訪問願いたい旨の招請を受けご訪問
  エストニア,ラトビア及びリトアニアの招待により国際親善のためご訪問

平成21年(2009)カナダ、米国(ハワイ州)
  カナダの招待により国際親善のためご訪問
  米国ハワイ州での皇太子明仁親王奨学金財団50周年記念行事に際し国際親善のためご訪問


平成24年(2012)英国
  英国女王陛下のご招待により女王陛下ご即位60周年記念午餐会にご出席のためご訪問

平成25年(2013)インド
  インドの招待により国際親善のためご訪問

平成27年(2015)パラオ
  戦後70年に当たり戦争により亡くなられた人々を慰霊し平和を祈念するため
  また、国際親善のためご訪問

2015年4月9日のテレビ番組よりパラオ訪問関連写真を添付(下の4枚の写真)
 

 

 

 

平成28年(2016)フィリピン
  フィリピンの招待により国交正常化60周年に際し国際親善のためご訪問

平成29年(2017)ベトナム、(タイ)
  ベトナムの招待により国際親善のためご訪問(タイお立ち寄り)
 7日間にわたりベトナムとタイ訪問 両陛下が帰国(17/03/07)



注)(   )は立ち寄り先


関連サイト:
  https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:第125代天皇外国訪問

  天皇陛下の海外ご訪問 慰霊の旅と平和への願い 関東学院大教授・君塚直隆
   (2017-10-19 産経新聞電子版

  よくわかる天皇と皇室>天皇陛下の足跡



訪問国
天皇陛下は皇后さまと共に訪問されたのは36ヶ国に及ぶ。
日本が第二次大戦で戦った相手は一般に言われるように「ABCD」でした。Aのアメリカ、
Bのイギリスは、昭和天皇が公式訪問を行っています。
Cの中国とDのオランダには、昭和天皇は公式訪問を行っておらず天皇陛下の代に
残された形になっていました。
中国へは平成4年(1992)、オランダへは平成12年(2000)に訪問されました。

 
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