CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その8 蜻蛉(かげろう)

2024年12月25日 04時57分08秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第8回は第52帖の蜻蛉(かげろう)です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

シリーズのIndex
第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回


上の地図は宇治十帖の古跡の位置 を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104

源氏物語の宇治十帖での主要人物である光源氏の異母弟宇治八宮の庵は
宇治上神社の周辺と設定されています。 

前置きが長くなりましたが蜻蛉の古跡を紹介していきます。
蜻蛉の所在地は京都翔英高等学校(下の写真の背後に写っています)の南端にあります 。



上の2枚の写真は蜻蛉之古跡碑、線刻阿弥陀三尊仏など
黒い石には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が刻まれています。
撮影:2024年12月2日

上の写真は線刻阿弥陀三尊仏の説明板 撮影:2024-12-2


上の写真は平成18年(2006)10月、宇治市文化財愛護協会によって建てられた現地説明板
撮影:2024年12月2日


上の写真は源氏物語ミュージアムの展示「蜻蛉」
撮影:2024年12月1日


蜻蛉の名前の由来
薫君はある秋の夕暮れ、蜻蛉がはかなげに飛び交うの見て次の歌を詠む
ありと見て 手には取られず 見れば又 ゆくへも知らず 消えし蜻蛉 」 

浮舟の概略あらすじ
薫27歳の頃の話。
浮舟の姿が見えなくなって、宇治の山荘の人々は慌て戸惑いますが、
消息がわからないことから、入水を推察して、世間体を繕うため母親を説得して
形ばかりの葬儀を済ませます。匂宮は悲嘆の余り病床に伏してしまいます。
実情を知った薫君は自らの恋の不運を嘆きながらも、手厚く四十九日の法要を営んだ。
六条院では明石中宮が光源氏や紫上のために法華八講を催した。
薫君は、都で華やかな日々を送りながらも、亡くなった大君、匂宮に渡してしまった中君、
行方も知れずに消えてしまった浮舟と、八宮ゆかりの姫君たちのことを思い、
物悲しい思いに沈んでしまいます。

参考サイト




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【若一調査隊】250基の古墳が... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

京都情報」カテゴリの最新記事