本日は東京駅のレンガ駅舎を静かに見つめている、鉄道の父、井上勝(野村弥吉)の
銅像を写真紹介します。
上の3枚の写真が日本の鉄道の父と呼ばれている井上勝像です。
設置場所は東京駅前の丸の内駅前広場
台座には「正二位勲一等子爵井上勝君像」と書かれています。
上の写真の全てGoogleのストリートビューより撮ったものです。
東京駅前の井上勝像は、終戦間近の昭和19(1944)年に撤去されましたが、それから
15年を経た昭和34(1959)年に、没後50年を記念して二代目が建立されました。
その後、昭和から平成にかけて東京駅前に建っていました。しかし、戦時中の空襲で
2階建てになった東京駅舎を、再び創建当時の3階建ての姿に復元工事することが決まった
平成19(2007)年にまたまた撤去されました。
その東京駅舎復元工事が無事完成し、丸の内駅前整備も進んだ平成29(2017)年12月に、
二代目の銅像が駅前に戻ってきました。
伊藤博文や大隈重信が鉄道建設反対の大久保利通らを押し切って明治2年11月、
鉄道建設が決定されると、明治3年には東京~横浜間で測量を開始。
明治4年、鉄道建設を担当する鉄道寮が設置されると、野村弥吉(井上勝)は鉱山頭兼鉄道頭に
任命された。
そして、明治5年9月12日、新橋駅~横浜駅(約29km)に、日本で初めての鉄道が開業した。
明治7年(1874)の5月11日には 大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74km)
が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。
大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅・神戸駅が開業。
明治10年(1877)2月6日 京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81km)
が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。
前日の2月5日には、神戸駅 - 京都駅間全通を記念して
明治天皇を迎えて京都駅で鉄道開通式を実施。
明治22年(1889)7月、東海道線が全線開通しています。
長州ファイブ
ここで話題を変えて井上勝(野村彌吉)と長州ファイブに関する話題に移ります。
井上勝(1843-1910)は現在の山口県萩市で生まれた。幕末の文久3年(1863)から
英国に密航・留学した長州ファイブ(他の4人は井上聞多・伊藤俊輔・山尾庸三・遠藤謹助)
の1人で、明治元年(1868)9月にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで鉱山技術、
鉄道技術を学び卒業した。山尾庸三と共に帰国して新政府に出仕すると、井上勝は
鉱山兼鉄道頭、鉄道頭、工部大輔、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任した。
このことから鉄道の父と呼ばれている。東京駅と萩駅に銅像あり。
長州ファイブは2006年に映画化されています。
映画「長州ファイブ -CHOSYU Five-
井上勝の墓所は品川の東海寺大山墓地
墓地の写真が掲載されたサイトにリンクさせていただきます。
「日本の鉄道の父」井上勝像と井上勝墓 | 近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 (senseki-kikou.net)
上の写真が長州ファイブのメンバーの写真です。
上の写真は円熟期の長州ファイブのメンバー
長州ファイブ=長州五傑(ちょうしゅうごけつ)については下のブログで詳述しています。
BS歴史館 もうひとつの幕末維新 (2)「スーパー留学生 長州ファイブ」を視聴して on 2014-8-5 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
井上勝を主人公にした小説を紹介しておきます。
1)江上剛 著「コロカネの道をゆく」PHP文芸文庫
2)山本巧次 著「開化鉄道探偵」創元推理文庫