高輪築堤は明治5年(1872)に開業した日本初の鉄道路線の一部。東京湾の沖合
数十メートルに造られ、堤の上を蒸気機関車が走った。現在の芝浦~新橋間
(JR田町から品川駅付近)約2.7Kmをつないだが大正時代に埋め立てられた。
幅は6.4mであった。
高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事で2019年4月、約1.3Kmにわたって盛り土を
囲う石垣や線路に敷かれた石、信号機の土台が見つかった。
JR東日本は2024年開業を目標とする高輪ゲートウェイ駅周辺の高層ビル開発である。
昨日(9月19日)お昼のNHKニュースで「高輪築堤跡 発掘調査 見学会」
という表題で次のように報道されました。(下の3枚の写真)
発掘調査の結果線路跡の枕木やレールの遺物について東京都港区教育委員会の
斉藤進さんは今後しっかりと発掘調査を進めていくとコメントされました。
また高輪築堤跡の一部が国の史跡として指定され保存されるとの報道もあった。
上の3枚の写真は下記出典で紹介された高輪築堤(空から観た遠景、第7橋梁付近、高輪鉄道之図)
第7橋梁の下は船を通すための水路があった。明治5年の鉄道開通時は一番上の写真の左手の
ビル群あたりが海岸線であり現在の景観とはかなり異なる。
出典:2021年8月11日 20:00 NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「伊藤vs大隈 日本を決めた政変の真相」
高輪築堤の史跡指定について
国の文化審議会は2021年8月23日、明治5年(1872)に東京・新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が
開業した際に造られ、東京都港区の高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発で出土した「高輪築堤」の
遺構の一部を史跡にするよう萩生田光一文部科学相に答申した。答申通り指定される見通し。
史跡にする手続きには数年かかるのが通常だが、遺構の存在は2020年12月にJR東日本が
公表したばかりで、異例の早さでの指定となる。遺構について文化審は今年3月、再開発を
念頭に「保存に緊急的に取り組む必要がある」と意見表明。文化庁が史跡指定の作業を
急いでいた。日本考古学協会などは現地での全面保存を求めたが、史跡となる部分以外は
一部を移築、大部分は取り壊すなどし、JR東が再開発を進める。遺構は高輪ゲートウェイ駅
西側で約800メートルにわたり断続的に見つかった。陸側には当時軍用地などがあり、
用地取得や測量が難しく、浅瀬の海上に盛り土をして線路を敷いた。線路の下に船を通す
水路があった「第7橋梁」を含む約80mと、その北側の約40mが良好な状態で残って
いるとして史跡になる。高輪築堤は往時の姿が錦絵にも描かれた。答申は「わが国の交通の
近代化や、用いられた土木技術の歴史を知る上で重要」と評価。既に指定されている
「旧新橋停車場跡」に追加し、名称を「旧新橋停車場跡および高輪築堤跡」にする。
史跡指定部分についてJR東日本は2021年4月、計画を変更し現地保存すると発表。
信号機跡を移築保存し、それ以外は記録として残すための調査と並行して取り壊しなど
を行う。同社は8月23日、調査は年内にも終わる見通しと明らかにした。再開発は当初の
予定通り2024年度の開業を目指し進める。
2021年5月に菅首相が現地を視察されています。
日本初の鉄道建設の経緯
伊藤博文や大隈重信が鉄道建設反対の大久保利通らを押し切って明治2年(1869)11月、
鉄道建設が決定されると、明治3年(1870)3月には東京~横浜間で測量を開始。
エドモンド・モレルが鉄道技師長としてイギリスから招かれ、測量が開始された。
測量に携わった鹿島建設のサイトに当時の状況や鉄道建設に関して詳述(下記リンク)
高輪築堤の基礎には松の杭を使い、石垣は江戸城や未完成の台場の石を流用して建造されたという。
埋め立ての土砂は八ツ山や御殿山より運搬された。
工事はわずか2年の工期で進められたが、土砂が波に流されるなど苦労も大きかったそうだ。
明治4年(1871)、鉄道建設を担当する鉄道寮が設置されると、野村弥吉(井上勝)は
鉱山頭兼鉄道頭に任命された。
そして、明治5年9月12日(この日は新暦10月14日であり、「鉄道の日」になっています)、
新橋駅~横浜駅(約29km)に、日本で初めての鉄道が開業した。
あまり語られていないが高輪付近の工事は難航し明治5年6月に横浜~品川間で先行開業した。
上の写真は鉄道建設建議書
出典:2021年8月11日 20:00 NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「伊藤vs大隈 日本を決めた政変の真相」
上の写真は少壮官僚時代の大隈重信と伊藤博文
大蔵省の官僚時代で大隈が伊藤の上司であった。
出典:2021年8月11日 20:00 NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「伊藤vs大隈 日本を決めた政変の真相」
上の写真は壮年期の伊藤博文と大隈重信
出典:2021年8月11日 20:00 NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「伊藤vs大隈 日本を決めた政変の真相」
明治5年以降の鉄道敷設の経緯について関西を中心に記述しておきます。
明治7年(1874)の5月11日には 大阪駅 - 神戸駅間(20M27C56L≒32.74km)
が旅客線として開業(三ノ宮駅 - 神戸駅間複線)。
大阪駅・西ノ宮駅(現在の西宮駅)・三ノ宮駅・神戸駅が開業。
明治10年(1877)2月6日 京都駅 - 大宮通仮停車場間(40C11L≒0.81km)
が延伸開業。大宮通仮停車場が廃止、京都駅が開業。
前日の2月5日には、神戸駅 - 京都駅間全通を記念して
明治天皇を迎えて京都駅で鉄道開通式を実施。
明治22年(1889)7月、東海道線が全線開通しています。
高輪築堤に関するYoutube動画
高輪築堤出土について(4街区)(音声なし)JR東日本
日本初の鉄道遺構公開 東京・高輪築堤、JR東
日本で最初の鉄道遺跡 高輪築堤が公開(2021年1月8日)
「高輪ゲートウェイ」駅近くで発見!日本初の鉄道支えた“遺跡”(2021年1月8日放送「news every.」より)
明治初期の鉄道遺構「高輪築堤」から日本の近代化を学ぶ 東京都港区教育委員会