CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

JR鷹取駅の地下コンコースのJR鷹取工場関連の写真 on 2017-8-22&9-21

2017年09月23日 03時49分29秒 | 神戸情報
JR鷹取駅の地下コンコースにJR鷹取工場関連の写真が展示されています。
この写真を紹介すると共に現在図書館から借りている鷹取工場回想(創業100年の記録)
西日本旅客鉄道株式会社 神戸支社鷹取工場編 平成12年(2000)からの情報も
加えて書いていきます。




上の2枚の写真はJR西日本 鷹取工場の全景写真と説明書き
撮影時期は明記されていませんので不明ですが平成7年(1995)の阪神淡路大震災以前のもの?


上の写真は平成9年(1997)4月1日現在の平面図
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)


上の写真は昭和8年(1933)3月末の鷹取工場
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page36


上の写真は明治33年創業当時(山陽鉄道鷹取工場)の平面図
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page2


上の写真は江戸時代の地形図に鷹取工場の位置を示したもの
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page2

明治7年(1874)大阪-神戸間で鉄道が開通し、新橋工場に次いで日本で
2番目の山陽鉄道株式会社神戸工場が開設、その後明治33年(1900)3月1日
鷹取工場が開設されました。
(兵庫工場の増大する工事量に追いつけず、また同工場の拡張も不可能であったので
新たに移転計画が立案され須磨区大池町5丁目1番1号に鷹取工場が創設された。)
敷地面積は53,405坪。
神戸工場はその後大正5年(1916)廃止されその機能は鷹取工場が受け継がれ
ました。敷地面積17.6haで石炭車や橋桁の製造から始まり機関車、客車、貨車の
新規製作、修繕などがおこなわれてきました。鉄道工場としては東の大宮、
西の鷹取と呼ばれてきました。
鷹取工場は平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で建物の90%が被害を
受け操業不能となったが震災後避難所として230名の避難者を受け入れ浴場を
開放するというサービスも行われました。
平成12年((2000)鷹取工場の機能は網干総合車両所に移転しました。
鷹取工場跡地は震災復興土地区画事業により震災復興住宅の建設、
妙法寺川左岸公園、スポーツ施設などが整備されてきました。






上の写真は鋳造柱と説明版


上の写真は鋳造柱の銘板(イギリス製)




上の2枚の写真は国産の鋳造柱と銘板(鉄道作業局の文字)
明治39年(1906)12月1日より国有となり鉄道作業局鷹取工場となっています。




上の2枚の写真はコンコースの飾りつけ レールと車輪のデザイン






上の写真(3枚)は再現された義経号(昭和27年(1952))、D51(昭和13年(1938))、
860形式蒸気機関車(明治26年(1893)に製作された国産初の蒸気機関車)です。


上の写真は平成7年(1995)阪神淡路大震災での被害状況を示した図面です。
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)page233

関連ブログ:JR鷹取工場

       JR西日本鷹取工場の跡地フレール須磨付近の光景 on 2015-7-3

       国鉄7100形蒸気機関車 義経号の写真

       温故知新の碑 in JR西日本グランド on 2013-12-21

       2013-9-8(日)に歩いた道

       神戸駅前の国鉄D51形蒸気機関車

       妙法寺左岸公園の案内板が伝える阪神淡路大震災の記録
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新たに建立された須磨寺八角... | トップ | SDGs(持続可能な開発目標) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神戸情報」カテゴリの最新記事