2024年1月12日に神戸市須磨区の現光寺本堂の襖に描かれた国宝「源氏物語絵巻」の複写絵の
写真を撮っていますので紹介します。
上の写真は現光寺本堂の襖に複写された国宝「源氏物語絵巻」の複写絵の遠景
国宝になっている「源氏物語絵巻」の原図は下記場所に保管
1)五島美術館 に保管 絵4面、詞9面 所有者:東急株式会社
保管場所住所:東京都世田谷区上野毛3-9-25
昭和27年(1952)3月29日 国宝指定
2)徳川美術館に保管 絵15面、詞28面 所有者:徳川黎明会
保管場所住所:愛知県名古屋市東区徳川町1017
昭和27年(1952)3月29日 国宝指定
上の写真は五島美術館 に保管分で紙本着色 平安時代の作
夕霧 21.8cm×39.4cm 夕霧が手にした落葉宮の母君からの返書を嫉妬心に
かられた雲井雁が後から奪おうとする場面
上の写真は五島美術館 に保管分で紙本着色 平安時代の作
御法 21.8cm×48.3cm 源氏と明石中宮が臨終近い紫の上を見舞う場面
上の写真は五島美術館 に保管分で紙本着色 平安時代の作
鈴虫一 21.8cm×47.3cm
ある十五夜の夕、持仏堂にこもった女三の宮が庭で鳴く鈴虫の音を聞く場面
上の写真は五島美術館 に保管分で紙本着色 平安時代の作
鈴虫二 21.8cm×48.2cm
十五夜の夕、源氏が若い公達と冷泉院に参上して管弦し語りあかす場面
上の写真は境内にある須磨の関の碑です。
NHK大河ドラマ「光る君へ」第38回「まぶしき闇」10月6日放送の紀行で紹介されました。
境内の裏手から明治初年、「川東左右関所跡」という文字が刻まれている標石が掘り出された。
また現光寺の山号が藩架山であること、近くに「藩架(ませがき)」とか「やぐら」という地名が
残っているがマセ垣は、藩架のことで、「関の一画を示す垣」の意だといわれる。
そのため、この寺の付近の千守(森)川の河口付近に「須磨の関」があったとする説がある。
「おはすべき所は行平中納言の藻潮(もしほ)たれつつ わびける家居近き わたりなりけり
海面(うみづら)やや入りて あわれにすごげなる 山なかなかり」 源氏物語 須磨の巻の
一説が書かれています。光源氏が京より移り住んでわび住まいしたところと 古来より
語り継がれている。
海面(うみづら)やや入りて あわれにすごげなる 山なかなかり」 源氏物語 須磨の巻の
一説が書かれています。光源氏が京より移り住んでわび住まいしたところと 古来より
語り継がれている。
上の写真は現光寺の本堂です。右手の松は月見の松
本堂は1995年の阪神淡路大震災で全壊したが平成14年(2002)に再建された
謡曲「須磨源氏」は、日向国の社宮藤原興範が、伊勢参宮の途次、須磨の浦に立ち寄ると、
老樵夫(きこり)賀桜の木陰から現れ、光源氏一代の略歴を物語り、自分はその化身であることをほのめかす。その夜、旅まくらの興範の前に、菩薩となっている光源氏が、気高く優雅な姿で天下り、在りし日の須磨のくらしを回相しつつ青海波の舞を舞って夜明けと友に消えうせるという典雅な曲である。
須磨は観月の名所として名高く平安時代の王朝ロマンの主人公光源氏が、複雑なしがらみの中で傷ついた心を慰めるのに格好の地だと千年前に生きた紫式部も知っていたのでしょう。
以上は謡曲史跡保存会作成の説明書きより一部引用しました。
謡曲「須磨源氏」は、日向国の社宮藤原興範が、伊勢参宮の途次、須磨の浦に立ち寄ると、
老樵夫(きこり)賀桜の木陰から現れ、光源氏一代の略歴を物語り、自分はその化身であることをほのめかす。その夜、旅まくらの興範の前に、菩薩となっている光源氏が、気高く優雅な姿で天下り、在りし日の須磨のくらしを回相しつつ青海波の舞を舞って夜明けと友に消えうせるという典雅な曲である。
須磨は観月の名所として名高く平安時代の王朝ロマンの主人公光源氏が、複雑なしがらみの中で傷ついた心を慰めるのに格好の地だと千年前に生きた紫式部も知っていたのでしょう。
以上は謡曲史跡保存会作成の説明書きより一部引用しました。
現光寺の基本情報
住所:神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6 TEL:078-731-9090
宗派:浄土真宗 本願寺派 山号:藩架山(ませがきざん)
御本尊:阿弥陀如来
創建:康永2年(1343) 御住職:片岡大梧(第22世)
上の写真は源氏寺碑である。
源氏物語の主人公光源氏が従者数人と京より須磨に蟄居していたところと古来より伝えられ
ています。この石碑はもともと現在の場所より北西約20mはなれた場所に建てられていま
したが平成7年(1995)1月17日阪神淡路大震災後、都市計画道路千森線の整備に
あわせて新しく平成14年(2002)再建された現光寺の門前に移されました。
源氏物語の主人公光源氏が従者数人と京より須磨に蟄居していたところと古来より伝えられ
ています。この石碑はもともと現在の場所より北西約20mはなれた場所に建てられていま
したが平成7年(1995)1月17日阪神淡路大震災後、都市計画道路千森線の整備に
あわせて新しく平成14年(2002)再建された現光寺の門前に移されました。
上の写真は源氏寺碑の説明板
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