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姫路 船場城西・城南地区の散策 その2 初井家住宅

2022年10月20日 03時55分13秒 | 姫路市
姫路 船場城西・城南地区の散策シリーズの第2回として2022年10月3日に
訪問した初井家住宅の写真を紹介します。

シリーズこれまでの記録



上の写真が初井家住宅の全景です。 内部は非公開
姫路を代表する文化人、歌人初井しづ枝の家。北原白秋に師事した初井しづ枝の作品は、姫路文学館に収蔵されている。初井家は屋号を「英賀屋」といい、主屋は弘化元年(1844)に建てられ、その姿は西国街道の風情を今に伝える。
初井家住宅は姫路市の都市景観重要建築物等に指定されています。

初井しづ枝についてWikipediaより引用
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。
来歴
兵庫県姫路市大黒町(現・大国壱丁町)に、薬種商井上又次・たねの三女として生まれる。本名・しづ江。姫路高等女学校(現・兵庫県立姫路東高等学校)を卒業し、大阪道修薬学校(現・大阪薬科大学)に入学。薬剤師の検定試験を受けて合格。姫路に帰郷し、親戚の病院へ調剤の見習いに通う。

その後、姫路高女時代から交際していた初井佐一と結婚(当時20歳)。佐一の生家・初井家は姫路を代表する大地主で素封家であった。歌誌『アララギ』の会員で短歌を作っていた夫に勧められて作歌を始め、1926年に「日光」に入社、北原白秋に師事。1927年、「短歌民族」に参加。

戦後は農地解放により初井家が没落。生活に苦しみながらも「桐の花短歌会」を結成し、『女人短歌』の創立に参加。1953年、宮柊二主宰「コスモス」の創刊に参加し、主要同人となる。1957年、『藍の紋』で第3回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)に選ばれる。1966年、兵庫県文化賞。1970年、姫路市文化功労賞。1971年、『冬至梅』で読売文学賞を受賞。生涯を過ごした姫路の初井家住宅は、市の都市景観重要建築物等(第32号)に指定されている。



作風
透徹した硬質の歌風で戦後の歌壇に清新の気をもたらした。戦中・戦後の時代の変遷の中で、生活の激変、婚家の没落などといったテーマに取り組んだ。


上の写真は初井家住宅に掲示の案内板「町名由来 龍野町」
町名由来 龍野町
揖保郡龍野(現龍野市)に通ずる道に当るのでこの名があるといいます。又一説には龍野からの移住した人々が住んだからとも言います。
秀吉が天正8年(1580)姫路城の城下町を建設するにあたり、攻め落とした英賀城下の町人を移住させ、楽市を開いた「制札」が知られています。以後、江戸時代には姫路の代表的な商店街として栄え、多くの有名な商家がありました。今日でも西国街道沿いの古い民家の残る貴重な町並みです。車門前の一丁目から、車崎の六丁目まで続いています。
『妹背』より 


上の写真は西国街道沿の文化財のマップで初井家は⑩の位置にあります。
住所表示は姫路市龍野町1丁目26
所在地のGoo地図を添付しておきます。

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