本住吉神社に下記の日に訪問しましたので写真と動画で紹介します。
訪問日:2016年7月3日、2018年5月4日
本住吉神社の基本情報
住所:神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 TEL:078-851-3746
御祭神:表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉大神の三柱
神功皇后(おきながたらしひめのみこと)
御利益:海上・航空の安全、安産、
創建:摂政元年(201)
創建年は大阪の住吉大社が摂政11年(211)なので約10年早く本住吉神社が創建
されていたと日本書紀 巻第九に記載の大津淳中倉長峡(おおつのぬなくらのながを)を
莵原郡住吉であると本居宣長が比定しています。
大阪の住吉大社は第16代の仁徳天皇(在位313-399)の頃、本住吉神社の三神を移された
神功皇后は第14代仲哀天皇の后で、八幡大神として祀られている応神天皇の母の
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)と言われる伝説の人物です。
基本情報の摂政元年を201年としたが仁徳天皇の時代の363年とする説もあります。
この説を採用した場合、大阪の住吉大社の創建は373年になります。
本住吉神社の由緒などをもう少し詳しく記述します。
神功皇后が三韓遠征の帰途、難波に向かう神功皇后の船がぐるぐると廻り進まなくなった。
務古(むこ)の湊に引き返して卜(占い)をすると、天照大神を廣田(西宮の廣田神社)、
稚日女尊(わかひるめのみこと)を活田(神戸市中央区の生田神社)に、事代主尊
(ことしろぬしのみこと)を長田(神戸市長田区の長田神社)そして表筒男命、中筒男命、
底筒男命の三神を大津淳中倉長峡に祀れば航海を守護するとの御神誨(ごしんかい)=
(お告げ)があったので、それぞれ神主を選んで祀らせた。
大津淳中倉長峡の地が莵原郡住吉であり、大阪の住吉大社には後にここから移されたもの
であるために、こちらを本住吉と呼ぶと伝えられています。
江戸時代に入り尼崎藩の初代藩主・戸田氏鉄が元和6年(1620)8月に社領として田地
六反を寄進したのを先例に、尼崎藩は代々田地六反を社領として安堵してきた。
この時、「住吉大神を大津渟名倉長狭(おおつのぬなくらのながお)に祀れ、そこで行き交う船を看ん」とおつげがあったので、神功皇后は住吉大神をこの地(神戸市東灘区)に鎮めた。
上の2枚の写真は2016年7月3日撮影の本住吉神社 拝殿
上の写真は拝殿と本殿の側面 撮影:2016-7-3
上の写真は拝殿に通ずる参道 撮影:2016-7-3
上の2枚の写真は2018年5月4日撮影の本住吉神社 拝殿
5月4日と5日は例大祭で8基のだんじりが各地区を巡行する。
以下特記していないものはすべて2018-5-4撮影のものです。
上の写真は7基の地車の保管庫
一番北側(写真では左側)から茶屋區、山田區、呉田區、吉田區、住之江區、空區、西區
の地車が保管されています。例大祭の時はテント庫で反高林區の地車が加わり8基と
なります。
ここでガラッと話題を変えて江戸時代の本住吉神社の姿を古地図より観ていきます。
上の写真は寛政8年(1796)~寛政10年(1798)に刊行された摂津名所図会に
描かれた本住吉神社周辺の絵です。正面の鳥居の前は西国街道です。
この付近には約40軒の茶屋があったようで茶屋の地名の由来となっています。
西国街道沿いの塞ノ神や高札場も描かれています。
鳥居をくぐって拝殿前の左手に「さざれ石」が描かれています。表面はくぼんでいるのに
雨水は貯まらず毎年旧暦6月の土用になると自然と水をたたえるという不思議な石です
境内の神宮寺も描かれています。摂津名所図会の説明書きに「神宮寺旧跡」があり
本住吉神社の北東550mにあったこと石仏が一体あったことが記載されています。
現在の「古寺」「観音林」の地名にその名残りを留める。
ここで示したものは部分図で写っていませんが参道の南側は海岸まで松並木の道
が続き浜辺は「御崎浜」と呼ばれていたこと、「酒造多し」の注があります。
求塚(東求塚)や雀松原なども描かれています。
上の写真は西国街道の石碑
上の写真は文化1年(1804)刊行の播州名所巡覧図絵で描かれた本住吉神社です。
上の写真は天明8年(1788)刊行と推定されている「住吉村絵図」です。
本住吉神社の他に阿弥陀寺、薬師堂、坊ケ塚古墳などが描かれています。
ここで話をもとに戻し境内の写真案内をしていきます。
正面鳥居
上の写真は正面鳥居 現在の鳥居は阪神淡路大震災で旧鳥居(万治3年(1660))が
倒壊した為、平成7年(1995)10月に新築されたものです。
手前右の社号標は明治40年(1907)建立。左手の燈籠は明治2年(1869)建立
撮影:2016-7-3
手水舎
上の写真は手水舎 撮影:2016-7-3
豊磐窓社と奇磐窓社
上の2枚の写真は豊磐窓社(拝殿に向かって右手)と奇磐窓社(拝殿に向かって左手)
これらの社は門の守神です。撮影:2016-7-3
神楽殿と社務所
上の写真は神楽殿と社務所 撮影:2016-7-3
水神社
上の写真は水神社の祠
大山祇社と猿田彦社
上の写真は大山祇社(山の神)と猿田彦社(邪気払いの神)の祠
塞之神と大海社
上の写真は塞之神(邪気ふさぎの神)と大海社(海神と御子)の祠
総合末社
上の写真は総合末社の祠
左より天満ノ社(学問の神)、高良社(長寿の神)、木花咲世姫(一願授徳の神)、
綿津見神(海の神)、天水分神(祈雨の神)、大山咋命(造酒の神)、大物主命
(金毘羅の神)、大国主命(国土経営の神)の8柱
大日社
上の写真は大日社の祠
稲荷社
上の写真は稲荷社の祠
また話題を変えて昭和20年(1945)8月6日の空襲で本住吉神社の被害状況について
本住吉神社発行の本住吉神社紀のPage38と39からそのまま引用添付します。
さらに明治44年(1911)の本住吉神社の写真も添付しておきます。
出典:神戸アーカイブ写真館
ここで2018年5月4日に実施された本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじり 蔵出し
の様子を写真と動画で綴ります。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじり 蔵出し on 2018-5-4
9時半頃、本住吉神社境内の地車の保管庫より8基のだんじりを引き出す画面です。
一番北側の茶屋區から始まり山田區、呉田區、吉田區、住之江區、空區、西區、
反高林區の順番で進められました。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじりのお祓い on 2018-5-4
お祓いが終了後、下記の順番で本住吉神社から各地区に練り回しに出発して行きました
①山田区 ②空区 ③吉田区 ④呉田区 ⑤住之江区 ⑥反高林区 ⑦西区 ⑧茶屋区
赤字の地区の地車については動画でその他はだんじりの写真を添付しました。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ①山田區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ②空区だんじり 蔵出し on 2018-5-4
③吉田区
④呉田区
⑤住之江区
⑥反高林区
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ⑦西區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ⑧茶屋區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
上の2枚の写真は本住吉神社の境内で記念写真を撮った茶屋区の地車。
参考として大阪の住吉大社の写真(3枚)を添付して筆を置きます 撮影:2012-3-27
訪問日:2016年7月3日、2018年5月4日
本住吉神社の基本情報
住所:神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 TEL:078-851-3746
御祭神:表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)
底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉大神の三柱
神功皇后(おきながたらしひめのみこと)
御利益:海上・航空の安全、安産、
創建:摂政元年(201)
創建年は大阪の住吉大社が摂政11年(211)なので約10年早く本住吉神社が創建
されていたと日本書紀 巻第九に記載の大津淳中倉長峡(おおつのぬなくらのながを)を
莵原郡住吉であると本居宣長が比定しています。
大阪の住吉大社は第16代の仁徳天皇(在位313-399)の頃、本住吉神社の三神を移された
神功皇后は第14代仲哀天皇の后で、八幡大神として祀られている応神天皇の母の
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)と言われる伝説の人物です。
基本情報の摂政元年を201年としたが仁徳天皇の時代の363年とする説もあります。
この説を採用した場合、大阪の住吉大社の創建は373年になります。
本住吉神社の由緒などをもう少し詳しく記述します。
神功皇后が三韓遠征の帰途、難波に向かう神功皇后の船がぐるぐると廻り進まなくなった。
務古(むこ)の湊に引き返して卜(占い)をすると、天照大神を廣田(西宮の廣田神社)、
稚日女尊(わかひるめのみこと)を活田(神戸市中央区の生田神社)に、事代主尊
(ことしろぬしのみこと)を長田(神戸市長田区の長田神社)そして表筒男命、中筒男命、
底筒男命の三神を大津淳中倉長峡に祀れば航海を守護するとの御神誨(ごしんかい)=
(お告げ)があったので、それぞれ神主を選んで祀らせた。
大津淳中倉長峡の地が莵原郡住吉であり、大阪の住吉大社には後にここから移されたもの
であるために、こちらを本住吉と呼ぶと伝えられています。
江戸時代に入り尼崎藩の初代藩主・戸田氏鉄が元和6年(1620)8月に社領として田地
六反を寄進したのを先例に、尼崎藩は代々田地六反を社領として安堵してきた。
この時、「住吉大神を大津渟名倉長狭(おおつのぬなくらのながお)に祀れ、そこで行き交う船を看ん」とおつげがあったので、神功皇后は住吉大神をこの地(神戸市東灘区)に鎮めた。
上の2枚の写真は2016年7月3日撮影の本住吉神社 拝殿
上の写真は拝殿と本殿の側面 撮影:2016-7-3
上の写真は拝殿に通ずる参道 撮影:2016-7-3
上の2枚の写真は2018年5月4日撮影の本住吉神社 拝殿
5月4日と5日は例大祭で8基のだんじりが各地区を巡行する。
以下特記していないものはすべて2018-5-4撮影のものです。
上の写真は7基の地車の保管庫
一番北側(写真では左側)から茶屋區、山田區、呉田區、吉田區、住之江區、空區、西區
の地車が保管されています。例大祭の時はテント庫で反高林區の地車が加わり8基と
なります。
ここでガラッと話題を変えて江戸時代の本住吉神社の姿を古地図より観ていきます。
上の写真は寛政8年(1796)~寛政10年(1798)に刊行された摂津名所図会に
描かれた本住吉神社周辺の絵です。正面の鳥居の前は西国街道です。
この付近には約40軒の茶屋があったようで茶屋の地名の由来となっています。
西国街道沿いの塞ノ神や高札場も描かれています。
鳥居をくぐって拝殿前の左手に「さざれ石」が描かれています。表面はくぼんでいるのに
雨水は貯まらず毎年旧暦6月の土用になると自然と水をたたえるという不思議な石です
境内の神宮寺も描かれています。摂津名所図会の説明書きに「神宮寺旧跡」があり
本住吉神社の北東550mにあったこと石仏が一体あったことが記載されています。
現在の「古寺」「観音林」の地名にその名残りを留める。
ここで示したものは部分図で写っていませんが参道の南側は海岸まで松並木の道
が続き浜辺は「御崎浜」と呼ばれていたこと、「酒造多し」の注があります。
求塚(東求塚)や雀松原なども描かれています。
上の写真は西国街道の石碑
上の写真は文化1年(1804)刊行の播州名所巡覧図絵で描かれた本住吉神社です。
上の写真は天明8年(1788)刊行と推定されている「住吉村絵図」です。
本住吉神社の他に阿弥陀寺、薬師堂、坊ケ塚古墳などが描かれています。
ここで話をもとに戻し境内の写真案内をしていきます。
正面鳥居
上の写真は正面鳥居 現在の鳥居は阪神淡路大震災で旧鳥居(万治3年(1660))が
倒壊した為、平成7年(1995)10月に新築されたものです。
手前右の社号標は明治40年(1907)建立。左手の燈籠は明治2年(1869)建立
撮影:2016-7-3
手水舎
上の写真は手水舎 撮影:2016-7-3
豊磐窓社と奇磐窓社
上の2枚の写真は豊磐窓社(拝殿に向かって右手)と奇磐窓社(拝殿に向かって左手)
これらの社は門の守神です。撮影:2016-7-3
神楽殿と社務所
上の写真は神楽殿と社務所 撮影:2016-7-3
水神社
上の写真は水神社の祠
大山祇社と猿田彦社
上の写真は大山祇社(山の神)と猿田彦社(邪気払いの神)の祠
塞之神と大海社
上の写真は塞之神(邪気ふさぎの神)と大海社(海神と御子)の祠
総合末社
上の写真は総合末社の祠
左より天満ノ社(学問の神)、高良社(長寿の神)、木花咲世姫(一願授徳の神)、
綿津見神(海の神)、天水分神(祈雨の神)、大山咋命(造酒の神)、大物主命
(金毘羅の神)、大国主命(国土経営の神)の8柱
大日社
上の写真は大日社の祠
稲荷社
上の写真は稲荷社の祠
また話題を変えて昭和20年(1945)8月6日の空襲で本住吉神社の被害状況について
本住吉神社発行の本住吉神社紀のPage38と39からそのまま引用添付します。
さらに明治44年(1911)の本住吉神社の写真も添付しておきます。
出典:神戸アーカイブ写真館
ここで2018年5月4日に実施された本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじり 蔵出し
の様子を写真と動画で綴ります。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじり 蔵出し on 2018-5-4
9時半頃、本住吉神社境内の地車の保管庫より8基のだんじりを引き出す画面です。
一番北側の茶屋區から始まり山田區、呉田區、吉田區、住之江區、空區、西區、
反高林區の順番で進められました。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 だんじりのお祓い on 2018-5-4
お祓いが終了後、下記の順番で本住吉神社から各地区に練り回しに出発して行きました
①山田区 ②空区 ③吉田区 ④呉田区 ⑤住之江区 ⑥反高林区 ⑦西区 ⑧茶屋区
赤字の地区の地車については動画でその他はだんじりの写真を添付しました。
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ①山田區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ②空区だんじり 蔵出し on 2018-5-4
③吉田区
④呉田区
⑤住之江区
⑥反高林区
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ⑦西區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
平成30年度 本住吉神社 例大祭 宵宮 ⑧茶屋區だんじり 蔵出し on 2018-5-4
上の2枚の写真は本住吉神社の境内で記念写真を撮った茶屋区の地車。
参考として大阪の住吉大社の写真(3枚)を添付して筆を置きます 撮影:2012-3-27
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