山陽電車の広報誌「ESCORT]2019年12月号で山陽網干駅周辺の紹介記事があり
ダイセル異人館と龍門寺の紹介記事が掲載されていました。
これに触発され2019年12月27日(金)に山陽網干駅周辺を散策してきましたので
写真紹介していきます。
山陽網干駅の周辺には2017年11月5日に室津に午前中に訪問後、午後に訪問。
さらに魚吹八幡神社に2018-3-25、2019-3-30に訪問していますが今までブログ記事
にしていなかったのでこれらの訪問記を含めてシリーズとして紹介していきます。
今回はシリーズの第21回で境橋を紹介します。
過去の記事:
このシリーズの全目次
山陽電車網干駅周辺散策記 その24(最終回) 網干湊跡 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
山陽電車網干駅周辺散策記 番外編 田捨女について - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
上の2枚の写真は境橋の欄干
新在家と興浜の境に元々、小川がありそこに架かっていた石橋が境橋です。
道路拡幅のため取り外されましたが慶応元年(1865)の年号が彫られていた
石材が現地に保存されています。
上の写真は現地説明板です。そのまま書き出しておきます。
境橋
「網干地方は万治元年(1658)から明治維新まで、興浜地区は丸亀藩(京極家)
の所領、新在家地区は竜野藩(脇坂家)の所領に分割されていた。
この石橋は両藩の境界の掘割に架けられていたので境橋と呼ばれた。
昔は、ここに通行門が設けられ、朝夕時刻を定めて門が開閉されていた。
昭和60年、道路拡張と下水道工事のため橋としての機能は失われたが、
由緒ある境橋をここに永く保存することになった。」
姫路市教育委員会
網干地方史談会
上の写真は境橋の遠景です。
上の写真は境橋の近くにある道標で。「右 むろ道 左 ひめぢ道」と
書かれています。
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