ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアの国々からなる太平洋島嶼国は、親日的で、
国際社会において日本の立場を支持するなど、日本にとって重要な国々です。
太平洋・島サミット(Pacific Islands Leaders Meeting: PALM)は、日本がこれらの
国々との関係を強化する目的で、1997年に初めて開催され、以後3年毎に日本で
開催されています。今年はその開催年にあたりコロナの影響から2021年7月2日に
オンラインで開催されました。
報道例1:朝日新聞 島嶼国にワクチン300万回分 首相、島サミットで表明:朝日新聞デジタル (asahi.com)
報道例2:読売新聞 太平洋島嶼国へワクチン提供…菅首相、「島サミット」で表明へ : 政治 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
報道例3:NHK
上の2枚の写真は7月3日(土)朝のNHKテレビ報道より
参加国は日本、キリバス、クック諸島、サモア、ソロモン諸島、ツバル、トンガ、ナウル、
ニュージーランド、ニウエ、バヌアツ、パプアニューギニア、パラオ、フィジー、
マーシャル、ミクロネシア、オーストラリア、ニューカレドニア、 仏領ポリネシアの
19カ国です。
報道例4:Yahooニュース(FNN)
「太平洋・島サミット」で菅首相 ワクチン300万回供与を表明(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
外務省が纏めた第9回 太平洋 島サミット
太平洋・島サミット(PALM)|外務省 (mofa.go.jp)
以上で太平洋・島サミットに関する話題は終え、キリバス共和国について調べた結果を
記述していきます。
上の写真はキリバスの位置を地図上で示したものです。
出典:今がわかる時代がわかる2005年度 世界地図 成美堂出版(2006)Page174-175
前に添付した地図では島の名称が読み難いのでネットよりコピーした地図を添付
(上の写真)
キリバス共和国(Republic of Kiribati)、通称キリバスは、太平洋上に位置するギルバート諸島、
フェニックス諸島、そしてライン諸島の一部等を領土とする国家で、イギリス連邦加盟国である。
キリバスは33の環礁からなり、それらは赤道付近に350万km2にもわたって散らばっている。
そのために世界第3位に相当する排他的経済水域を有している。
キリバスの基本情報
首都:タラワ 通貨:豪ドル 言語:キリバス語、英語 面積:730㎢
人口:約11.4万人 宗教:キリスト教
大統領: ターネス・マーマウ 副大統領: テウラ・トアトゥ(英語版)
時間帯:日本より+3時間 気候:熱帯海洋性気候
独立:イギリスから1979年7月12日 国旗:Flag of Kiribati - Wikipedia
産業:漁業とコプラの生産 国民総所得:19億ドル
1人当たりの所得:2,010米ドル(日本の20分の1) ODA無償提供資金:10.19億円
2021年6月29日、Am10:46 NHK BSPで 赤道直下の人々「キリバス 沈みゆく島」
太平洋の島国キリバスは気候変動の影響で「沈みゆく島」と呼ばれる。
世界で最も早く日付が変わる国でもある。
この番組からの写真を添付しておきます。
上の4枚の写真は島の景観 首都タラワ(TARAWA)のある島の近辺と思われます
高い場所が無く、2050年には25%~80%が水没してしまう危険性があると言われています。
上の2枚の写真は気候変動に関する授業の紹介
子供達は英語を上手く使いこなしているように思えました。
上の2枚の写真は今も残る太平洋戦争の残骸 1941-1943に日本軍が占領
島サミットで菅総理大臣からターネス・マーマウ大統領に対して、日本漁船の安定的な
操業、遺骨収集事業について協力を要請されました。
キリバスの歴史
Wikipediaよりキリバスの歴史を概観したいと思います。
19世紀以前
先住民は、約2000年前西方からカヌーに乗ってやってきたミクロネシア系の人々であった。最初に来航したヨーロッパ人はスペイン人航海家で、1537年にクリスマス島(現キリティマティ島)を望見した。1777年にはイギリス人のジェイムズ・クックが来島し、19世紀初めからヨーロッパ人による経済活動が始まった。
イギリス植民地
1892年から、ギルバート諸島は隣のエリス諸島と共にギルバート・エリス諸島としてイギリスの保護領となった。1916年には植民地となった。第二次世界大戦中の1941年に、イギリスの植民地政府を放逐した大日本帝国に占領され、後に一部の島は要塞化された。1943年より、アメリカ軍との間に、ギルバート・マーシャル諸島の戦いといった激しい戦闘が行なわれた。
1956年から1962年に、ライン諸島のクリスマス島がイギリスとアメリカ両国の核実験場とされた。1971年に自治領となった。
1975年11月、ギルバート・エリス諸島は、ポリネシア系のエリス諸島とギルバート諸島に分離。1977年1月からはギルバート諸島は自治領に移行した。ギルバート諸島のバナバ島は独立してフィジーと連合することを模索したが、リン鉱石の利権料を失うことを恐れたギルバート諸島自治領に反対された[2]。
1978年にエリス諸島はツバルとしてイギリスから独立した。
独立
1979年にキリバスが独立した。独立の際、アメリカはほとんど無人のフェニックス諸島および3つの島を除くライン諸島すべての所有権を放棄し、それぞれキリバスの領土となった。
独立当初は領域内を日付変更線が通過し、キリバスの時間体系は島によって日付が異なるという行政上において不便な設定になっていた。このため、1995年に日付変更線の位置を領域の東端にずらして不便を解消した。また、これによって「世界一早く新しい一日を迎える」国家になった。
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