山・海へ行く
昭和30年代に入ってからの大都市圏への急激な人口の流入、産業の集中に伴い、臨海部の
産業用地の造成が緊急の課題となり、神戸港の東西への発展拡張を求め、東西臨界工業地帯の
造成が進められた。
東部地区では鶴甲山からはベルトコンベヤ方式で、渦ケ森からは住吉川河中のダンプ道路により
埋め立て用土砂が運搬されました。
一方、西部の臨海工業地帯の造成とポートアイランド、六甲アイランドの造成さらに神戸空港の
造成の為に高倉、横尾、名谷、西神流通業務団地、総合運動公園、研究学園都市から土砂の
採取が行われました。
土砂の運搬にはベルコンベヤ方式が採用され須磨海岸の一の谷川の河口まで運搬し6,000㎥の
ホッパーをもった船積み施設から海上輸送(日本で初めてのプッシャーパージ方式)で土砂
が運搬されました。
ベルトコンベア及び付属設備は昭和38年(1963)から1年がかりで設置(費用約10億円)され
昭和39年(1964)1月16日に運転が開始された。ベルトコンベヤは平成17年(2005)まで稼働。
須磨海岸から神戸複合産業団地(西区見津が丘6付近)までのベルトコンベヤの総延長は約14.5Km。
Youtube動画を観ていたら須磨ベルトコンベアの貴重な動画がアップされていたのでGooで共有。
ARSGW-0403F【山陽本線】須磨ベルトコンベヤ【神戸市】 有栖川のミニィさん
ベルコンベヤ稼働時の写真など
須磨ベルトコンベヤの遠景 出典:1)の表紙
上の2枚の写真は一の谷川河口の須磨の桟橋 出典:2)
上の写真はベルトコンベヤの路線図 全体 出典:2)
上の写真は須磨ベルトコンベヤ(須磨海岸~高倉山)路線図
出典:1) Page25&77
標高291mの高倉山を約140mほど削り取る計画
完全に平地にする計画であったが住民の反対運動でおらが山だけが残されました。
おらが山は昭和46年(1971)に緑化(公園整備)され現在も存続しています。
地域の住民の憩いの場となっています。おらが山の現在の標高は206m。
関連ブログとしておらが山茶屋への訪問記(2008-6-7)にリンクしておきます。
上の写真は須磨ベルトコンベヤ(須磨海岸~横尾)路線図
出典:1) Page104
採用されたベルトコンベヤの幅は2.1m(日本では最大) 毎時2,100㎥(4,600トン)の能力
上の写真は高倉山の土砂採掘現場 出典:2)
上の写真はストックパイル 出典:2)
上の写真はプッシャーパージ 出典:2)
プッシャーパージによる土砂の運搬は世界で初めての試みであったといわれる。
プッシャーパージは押し船(プッシャー)が駆動装置を持たない艀(バージ)の後部から押す輸送方式。
上の写真は アンローダー 船から土砂を積み出す設備 出典:2)
上の写真はポートアイランドの造成工事と完成したポートアイランド 出典:2)
上の写真は神戸市東西臨海工業地帯の地図
上の2枚の写真は東部埋立地(全景) 出典:2)
上の2枚の写真は西部埋立地 出典:2)
ポートアイランドの造成は昭和56年(1981)、六甲アイランドは昭和63年(1988)、
神戸空港は平成18年(2006)に竣工
須磨ニュータウンからの埋立用土砂量と埋立地
上の写真は須磨ニュータウンからの埋立用土砂量と埋立地 出典:2)
全体の埋立用土取り量は約3億2千万㎥(約5億8千万トン)である。
須磨ニュータウンについて基本情報を纏めておきます。
団地名 概略人口(2010) 面積
入居年 施工者
北須磨 昭42(1967) 0.6万人 兵庫県労働者 80ha
(友が丘) 住宅生活協同組合
白川台 昭45(1970) 1.0万人 白川土地区画整理組合 70ha
高倉台 昭48(1973) 0.8万人 神戸市開発局 120ha
名谷 昭50(1975) 2.1万人 神戸市開発局 280ha
落合 昭53(1978) 2.6万人 住宅都市整備公団 240ha
横尾 昭54(1979) 0.9万人 神戸市開発局 240ha
須磨ニュータウンは一番新しい横尾団地でも約40年の歴史があり、人口の
高齢化率=65歳以上の人の割合は 6団地全体では約26%で西神ニュータウンの
15%と比較すると高い友が丘などではすでに42%でありかなり高齢化の街
であると言えます。団地の中にはエレベーターの無い建物も多数あり高齢者の
住み替え支援や若い世代に住んでもらうための施策などが必要である。
上の写真は須磨ニュータウンの構成団地の位置図
須磨ベルトコンベヤ跡の現況
上の2枚の写真は須磨ベルトコンベヤ跡地の説明板 撮影:2019-7-4
ベルトコンベヤの土台であったコンクリート土台が残されています。
高倉山へはほぼ一の谷川沿いにベルトコンベヤが走っていました。
上の写真は須磨一の谷グリーンハイツの管理事務書付近に掲示の案内板の中に書かれている
須磨ベルトコンベヤのルート図 撮影:2019-7-4
上の写真は上記案内板A地点の須磨ベルトコンベヤ跡
上の写真は上記案内板B地点の須磨ベルトコンベヤ跡
神戸新聞が伊川谷前開付近の地下トンネル内に残るベルトコンベヤ等を動画で紹介
されていますのでリンクさせていただきました。
まるで地下の神殿 神戸開発支えた須磨ベルトコンベヤ跡地
おわりに
今回は須磨海岸から横尾の須磨ベルトコンベヤに関する記事とします。
名谷付近以降については後日、纏めてみたいと思っています。
参照資料
1)山、海へ行く -須磨ベルトコンベヤの記録- 神戸市開発局編 (1981)
2)2013年須磨ニュータウン展 展示パネル 2013-2-13に訪問
3)神戸新聞 2019年6月27日朝刊 29面(ベルコン物語 上)
4)神戸新聞 2019年6月28日朝刊 29面(ベルコン物語 下)
関連ブログ
須磨ベルトコンベアと高倉山 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)
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