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漢字が日本に伝えられたのはいつか

2023年09月09日 05時52分25秒 | Weblog
仏教伝来については教科書に明確に書かれており「538年百済の聖明王が仏像と経論を
欽明天皇政府に献じた 」と記載されています。「日本書紀」には552年 と記載。
漢字の伝来については明確に書かれたものを見たことが無い。

そこで、標題の疑問について調べてみました。

A説(1世紀頃)
漢字が最初に日本に伝わったのは、多分、1世紀頃。 
弥生時代の遺跡から発掘された中国「新」の時代の貨幣「王莽銭(おうもうせん)」
の一種や、歴史教科書に登場する「漢委奴(かんのわのなの)国王」の刻印
がある「金印」(AD57年)がその証拠。 
AD107年に倭国王が、後漢に遣使しています。
その時には漢の楷書体が完成していたか。
漢の時代はBC200~AD200年の約400年間


B説(4世紀~5世紀)
漢字は4世紀~5世紀頃、朝鮮半島を経て日本に伝えられたとされています。
日本の遺跡からは1世紀頃に造られたと思われる貨泉が見つかっていますが、これを当時の日本人が漢字として認識していたかは定かではありません。

現在日本で確認できる最も古い漢字が使用されたものは稲荷山古墳出土鉄剣です。1968年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣で、金錯銘鉄剣ともいわれ471年のものとされています。鉄剣には115文字の銘文が刻まれていました。

C説(3世紀頃)
邪馬台国の時代、紀元3世紀頃「魏志倭人伝」で有名なように、この頃には、
日本と中国との間に使節の往来があったことは確かです。
外交文書を扱うことができなければ、使節としては体を成しません。
恐らく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことの
できる人々がいたに違いないと考えられています。

270~310年頃に「論語」、「千字文」が百済から到来した事実も知られています。  


書き終わっても釈然としませんがこの辺でアップします

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