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東遊園地のモーツアルト像 on 2019-8-14

2021年11月01日 06時04分07秒 | 神戸情報

過去の写真を観ていたら表題の写真が見つかりましたのでブログ記事としました。

上の2枚の写真はモーツアルト(MOZART)像です。

上の写真は現地説明板。

読み難いのでそのまま転記しておきます。

この像は偉大な音楽家W.A.モーツアルトを追憶し没後200年を記念して、全国有志の

ご協力により建設されたものです 1991年11月2日

W.A.モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart)(1756年1月27日-1791年11月5日)

については皆様、ご存知のとおりであるがWikipediaより年譜形式の略歴を引用しました。

1756年 (0歳) 1月27日、ザルツブルクに生まれる。
1761年 (5歳) 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。
1762年 (6歳) 10月マリア・テレジア御前演奏。
1763年 - 1766年 (7 - 10歳) パリ・ロンドン旅行。
1767年 - 1769年 (11 - 13歳) 第2回ウィーン旅行。オペラ『みてくれの馬鹿娘』K.51上演。
1769年 - 1771年 (13 - 15歳) 第1回イタリア旅行。
1770年 (14歳) 黄金拍車勲章授与。12月26日 オペラ『ポントの王ミトリダーテ』K.87初演。
1771年 (15歳) 第2回イタリア旅行。セレナード『アルバのアスカニオ』K.111ミラノ上演。
1772年 - 1773年 (16 - 17歳) 第3回イタリア旅行。ミラノでオペラ『ルーチョ・シッラ』K.135上演。
1773年 (17歳) 第3回ウィーン旅行。
1774年 - 1775年 (18 - 19歳) 第4回ウィーン旅行。オペラ『偽の女庭師』K.196上演。
1777年 (21歳) ザルツブルクでの職を辞しミュンヘン、マンハイムへ移る。
1778年 (22歳) パリへ移る。7月、同行した母はパリで死去する。
1779年 (23歳) ザルツブルクに帰郷。ザルツブルク宮廷にオルガニストとして復帰。
1780年 (24歳) オペラ『イドメネオ』K.366準備のためにミュンヘンに赴く。マリア・テレジア崩御。
1781年 (25歳) ザルツブルク大司教コロレドと衝突、解雇。ウィーン定住を決意。
1782年 (26歳)
7月、オペラ『後宮からの誘拐』K.384をウィーンで初演。
8月3日、コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。
1783年 (27歳)
ザルツブルクに帰郷。大ミサ曲ハ短調 K.427を上演。
6月、長男誕生するもザルツブルク旅行中に死亡。
1784年 (28歳)
第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。
フリーメイソンリーの慈善ロッジ(ウィーン)に入会(書類上では12月5日)。
1785年 (29歳) 弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈(「ハイドン・セット」)。
1786年 (30歳) オペラ『フィガロの結婚』K.492初演。
1787年 (31歳) 父・レオポルト死去。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』K.527初演。
1788年 (32歳) いわゆる「3大交響曲」を作曲。
1789年 (33歳) ベルリン旅行。
1790年 (34歳) オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』K.588初演。
1791年 (35歳) オペラ『皇帝ティートの慈悲』K.621、オペラ『魔笛』K.620初演。
                12月5日ウィーンにて死去。

 

ザルツブルクのモーツアルトの生家には約30年前に訪問しましたが写真が見つからないので

写真が載っているサイトにリンクさせていただきました。

 モーツァルトの生家|ザルツブルク市街の歴史地区 |世界遺産オンラインガイド (worldheritagesite.xyz)

 


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