2023年9月1日、山陽電鉄株式会社の山陽姫路駅で明石・姫路間開業100周年記念の
ヘッドマークを付けた電車の写真を撮りましたので紹介します。
上の写真は姫路駅に到着した山陽電車の直通特急の車両 9月1日12時20分頃
上の2枚の写真はヘッドマークの部分を拡大して写真を撮りました。
上の写真は車両の側面に描かれた「明石・姫路間開業100周年」を知らせる掲示
山陽電鉄の山陽明石―山陽姫路間が2023年8月19日、開業100周年を迎えた。
山陽電車のこれまでの歴史を振り返ってみます。
上記区間は大正12年(1923)8月19日、当時の神戸姫路電気鉄道が開設した。
着工からわずか1年半ほどで約39キロの全線複線を完成させた。
開業当時は「明石駅前駅」から「姫路駅前駅」までの25駅で、現在は27駅がある。
大正12年(1923)以前の歴史は下記のとおりである。
大正12年(1923)以前は明石以東を運行していたのは兵庫電気軌道という別会社で、
開通区間は兵庫駅から明石間であった。
兵庫電気軌道の車両
上の写真は兵庫電気軌道1形の車両
出典:垂水駅の高架下商店街Molty垂水 の展示 2023-1-4撮影
以下、Wikipediaよりの引用です。
明治30年代末、県内で電気軌道を自設しようという動きが広まる中で、兵庫電気軌道は
その一つとして神戸 - 明石間の路線の敷設を目的とし、川西清兵衛らを中心に1907年
明治30年代末、県内で電気軌道を自設しようという動きが広まる中で、兵庫電気軌道は
その一つとして神戸 - 明石間の路線の敷設を目的とし、川西清兵衛らを中心に1907年
(明治40年)7月2日に設立された。
明治43年(1910)、兵庫電気軌道(現在の山陽電車)の兵庫-須磨間が開通。
大正2年(1913)、塩屋まで延長され敦盛塚駅(現須磨浦公園駅)も誕生しています。
大正6年(1917)明石まで延長。
川西清兵衛ら経営陣は兵庫電気軌道の経営に対する影響を最小限にするため、
別会社の明姫電気鉄道を設立し、明石-姫路間の免許申請を行った。
この区間の路線敷設に関しては、伊藤英一が率いる播州鉄道(現在のJR加古川線)も同じように免許を申請しており、競願となった。そのため伊藤は、兵庫電気軌道に対し敵対的買収を仕掛け社長に就任、経営権を掌握した。
しかし免許は、追い出された川西ら兵庫電気軌道の旧経営陣がそのまま経営権を握っていた明姫電鉄のほうに下った。同社はさらに1920年(大正9年)に神明急行電鉄として湊川 - 明石間の路線敷設免許も収得し、兵庫電気軌道に対抗することになった。
明姫電鉄は神明急行電鉄の免許を買収、神戸姫路電気鉄道(神姫電鉄)と社名を改めて路線敷設に取り掛かる。とりあえずは兵庫電気軌道と競合しない明石 - 姫路間の敷設に取り掛かり、1923年(大正12年)8月19日に開業させた。日本では大阪鉄道に次いで2番めに直流1500V電化を採用するなど、随所に併用軌道がある兵庫電気軌道とは全く異なる高規格路線であった。
伊藤英一率いる兵庫電軌は1920年(大正9年)頃、破綻し伊藤は社長を辞任し、
岡崎財閥の岡崎藤吉に引き継いだが、神姫電鉄とは接続しているものの経営は好転しなかった。
明治43年(1910)、兵庫電気軌道(現在の山陽電車)の兵庫-須磨間が開通。
大正2年(1913)、塩屋まで延長され敦盛塚駅(現須磨浦公園駅)も誕生しています。
大正6年(1917)明石まで延長。
川西清兵衛ら経営陣は兵庫電気軌道の経営に対する影響を最小限にするため、
別会社の明姫電気鉄道を設立し、明石-姫路間の免許申請を行った。
この区間の路線敷設に関しては、伊藤英一が率いる播州鉄道(現在のJR加古川線)も同じように免許を申請しており、競願となった。そのため伊藤は、兵庫電気軌道に対し敵対的買収を仕掛け社長に就任、経営権を掌握した。
しかし免許は、追い出された川西ら兵庫電気軌道の旧経営陣がそのまま経営権を握っていた明姫電鉄のほうに下った。同社はさらに1920年(大正9年)に神明急行電鉄として湊川 - 明石間の路線敷設免許も収得し、兵庫電気軌道に対抗することになった。
明姫電鉄は神明急行電鉄の免許を買収、神戸姫路電気鉄道(神姫電鉄)と社名を改めて路線敷設に取り掛かる。とりあえずは兵庫電気軌道と競合しない明石 - 姫路間の敷設に取り掛かり、1923年(大正12年)8月19日に開業させた。日本では大阪鉄道に次いで2番めに直流1500V電化を採用するなど、随所に併用軌道がある兵庫電気軌道とは全く異なる高規格路線であった。
伊藤英一率いる兵庫電軌は1920年(大正9年)頃、破綻し伊藤は社長を辞任し、
岡崎財閥の岡崎藤吉に引き継いだが、神姫電鉄とは接続しているものの経営は好転しなかった。
大正12年(1923)以降の歴史
1923年(大正12年)、 神戸姫路電気鉄道(山陽電車の前身)が明石-姫路間で開業
1923年(大正12年)、 神戸姫路電気鉄道(山陽電車の前身)が明石-姫路間で開業
兵庫電軌・神姫電鉄両社に電気を供給していた宇治川電気が工業の不振で大口の電力需要が伸び悩んだこともあって、安定した電力供給先を求めて電気鉄道の経営に本格参入する動きを見せた。そのため再編も兼ねて兵庫電軌と神姫電鉄を統合し、一体化して経営することを計画。1927年(昭和2年)1月1日に兵庫電軌が、同年4月1日には神姫電鉄も宇治川電気へ統合され、ここに兵庫電軌は消滅した。
以上もWikipediaよりの引用
1928年(昭和3年)に兵庫―姫路間の直通運転が実現
宇治川電気の車両
上の写真は宇治川電気51形の車両
出典:垂水駅の高架下商店街Molty垂水 の展示 2023-1-4撮影
後に宇治川電気が本業への絞り込みにより鉄道部門を分離した際、新しく設立されたのが
現在の山陽電気鉄道(山陽電鉄or山陽電車)である。
昭和8年(1933)6月6日 、 宇治川電気(株)の電鉄部が分離独立し山陽電気鉄道(株)が設立されています。
昭和16年(1941)年に飾磨―網干間が開通
第2次世界大戦末期の1945年には、空襲の被災も多くあった。
林崎―藤江間が一時不通になったり、西新町の車両工場が空爆を受けて
31人の死者が出たりした記録が残っている。
山陽電鉄の車両
上の8枚の写真は山陽電車の車両変遷
出典:垂水駅の高架下商店街Molty垂水 の展示 2023-1-4撮影
山陽電気鉄道の歴史
山陽電鉄時代の主な記事(車両変遷に関わるものを中心として)
1941年(昭和16年)7月6日 - 網干線(飾磨-網干)が全通。
1968年(昭和43年)4月7日 - 神戸高速鉄道を経て阪急電鉄・阪神電気鉄道と相互直通運転開始。同時に西代 - 兵庫間の併用軌道区間は廃止。
1968年(昭和43年)4月7日 - 神戸高速鉄道を経て阪急電鉄・阪神電気鉄道と相互直通運転開始。同時に西代 - 兵庫間の併用軌道区間は廃止。
1985年(昭和60年)明石駅高架化工事に着手
明石駅は以前は地上駅だったため南北に走る道路交通が遮断され、
渋滞や踏切事故が起きるなどしていた。
1986年(昭和61年)7月10日 - 5000系電車が営業運転開始
1986年(昭和61年)7月10日 - 5000系電車が営業運転開始
1991年(平成3年)明石駅、人丸駅が高架駅となった。明石駅は山陽明石に改名
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神淡路大震災が発生し、明石以東の全線で甚大な被害を受ける
1月17日 - 阪神淡路大震災が発生し、明石以東の全線で甚大な被害を受ける
被害が比較的小さかった明石以西では、震災翌日の18日夕方から
普通電車のみで運行を再開。
6月18日 - 全線が復旧する
8月13日 - 神戸高速鉄道が復旧し、阪急電鉄・阪神電気鉄道方面との相互直通運転を再開
6月18日 - 全線が復旧する
8月13日 - 神戸高速鉄道が復旧し、阪急電鉄・阪神電気鉄道方面との相互直通運転を再開
1998年(平成10年)2月15日 - 阪急電鉄との相互直通運転を中止。同時に阪神梅田(現在の大阪梅田) - 山陽姫路間を結ぶ直通特急の運転を開始
2007年(平成19年)7月2日、兵庫電気軌道から創立100周年
2007年(平成19年)7月2日、兵庫電気軌道から創立100周年
2016年(平成28年)
4月27日 - 6000系電車が営業運転を開始
上の写真は展示物 撮影:2023-1-4
出典:垂水駅の高架下商店街Molty垂水 の展示 2023-1-4撮影
4月27日 - 6000系電車が営業運転を開始
上の写真は展示物 撮影:2023-1-4
出典:垂水駅の高架下商店街Molty垂水 の展示 2023-1-4撮影
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