CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4  松浦松洞誕生地

2014年10月29日 05時28分44秒 | 旅行記
萩の散策とグルメシリーズの第4回「松浦松洞誕生地」について写真紹介します。


過去3回の萩の散策とグルメです。


城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社



上の写真は松浦松洞誕生地の石碑他。萩循環まぁーるバス東廻り松陰神社前
の停留所の付近にあります




上の写真は現地の説明板です。

上記の説明板をもとに松浦松洞の略歴を紹介します。(下記のとおり)


松浦松洞 まつうらしょうどう

松浦松洞(1837-1862)は幕末の画家。
天保(てんぽう)8年魚商人の正之助の次男として生まれる。
長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士根来(ねごろ)主馬につかえる。
幼時から絵に秀で羽様西涯(はざませいがい)に学ぶ。
上京して四条派の画家小田海韆に師事する。
安政3年(1856)松下村塾にはいり,尊攘(そんじょう)運動に加わる
安政5年(1858)、江戸に遊学し芳野金陵に漢籍を学び萩に帰る。。
安政6年(1859)5月安政の大獄で江戸におくられる吉田松陰の肖像を描き残した。
文久2年(1862)久坂玄瑞らとともに上京、公武合体論を展開していた長井雅楽(うた)
の暗殺を計画するが京都藩邸の穴戸九郎兵衛に遮られ失敗。
文久2年(1862)4月13日時事に憤慨し京都粟田山で自害。26歳。名は温古。
通称は亀太郎。変名に松田和介など。








京都大学附属図書館 維新資料画像データベースのサイトでの
松浦松洞の紹介
松浦松洞が描いた吉田松陰先生の絵もあります。

国会図書館のレファレンス回答「松浦松洞の描いた吉田松陰」
 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000064373

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000064373

参考サイト
  http://bakumatsusanpo.com/matsuura-kametaro.html

  http://town.zaq.ne.jp/report/4swxde5mfowvfxz6t6di

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