2021年3月16日、明石市の長寿院に眠る明石の偉人 橋本文水、橋本海関、
橋本関雪3代の墓の写真を撮ってきましたので紹介します。
まず長寿院について基本情報を添付しておきます。
長寿院の基本情報
住所:明石市人丸町2番26 号 TEL:078-911-5937
宗派:浄土宗西山禅林寺派(京都永観堂が大本山)山号:松巖山 御本尊:阿弥陀如来
明石観光協会の紹介ページ:長寿院 | 一般社団法人 明石観光協会 (yokoso-akashi.jp)
橋本海関の墓
上の写真は橋本海関の墓の遠景です。「橋本海関先生之墓 丙子十一月建」と刻まれて
います。橋本海関先生は嘉永5年(1852)生まれで昭和10年(1935)に84歳で
亡くなっています。丙子は昭和11年ですので昭和11年11月に橋本海関の長男で
日本画の巨匠、橋本関雪先生が建てたもので字も橋本関雪先生によるものです。
以下は以前に書いたブログ(下記サイト)から転記(一部加筆)しました。
明石の偉人 橋本海関先生の墓と海関先生揮毫の石碑 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
橋本海関は嘉永5年(1852)明石藩の家臣で儒者の橋本文水・マサ夫妻の子として生まれた。
母親のマサは藩儒「山内庄右衛門」の長女
本名は橋本子六。橋本徳有則という号も使用しています。
生家は明石市天文町の平忠度(ただのり)の塚のある場所の北側(明石村158番地)である。
平忠度塚については小生のBlogを参照してください。
橋本海関の父親の橋本文水は学問方の先生を勤め博学で山水画が上手かった。
橋本海関の祖父は剣術、柔術の武芸の指南役をつとめていました。
橋本海関先生の足跡を年代順に辿ってみたいと思います。
文久9年(1861)橋本海関9歳 母マサに実家山内家の明石藩士真陽に孟子を勉学
真陽が亡くなった後は梁田蛻巌 (やなだぜいがん)の景徳館に入り
梁田葦洲(やなだいしゅう)に師事しました。
慶応2年(1866)橋本海関14歳 明石藩講武所詰となり武士道を学ぶ
慶応4年/明治元年(1868)橋本海関16歳 父橋本文水より詩を学ぶ
明治5年(1872)橋本海関20歳 敬義館の国語教師に就任
明治10年(1877)橋本海関26歳 兵庫県師範学校の教師となる
明治11年(1878)橋本海関27歳 神戸中学校の教師(併任)
明治xx年 橋本海関が池田フジ(不二子)と結婚 神戸市中央区楠町に居
フジは武家の娘であり書、絵、歌、琴等に秀でた才媛で美人であった
明治16年(1883)橋本海関32歳 長男の橋本関雪が生まれる
明治21年(1888)橋本海関37歳 妻フジが5歳の関雪と妹チエを残し家出
家出の理由は奇行の多い海関に愛想をつかしたという説と
フジに愛人ができたという説がある。
5歳の関雪を育てたのは祖母のマサになります。マサの実家の山内家も
儒家で漢文や絵を描くことに優れていた。子守唄の代わりに孔子の教え
の論語を聞きながら海関、関雪が育てられたとのこと。
明治xx年 清国大使館書記官の鄭孝胥(ていこうしょ)との出逢い
横浜で清国の政治家康有為(こうゆうい)の支援(翻訳など)
明治32年(1899)橋本海関48歳 加古川市尾上町の尼寺に寄寓
明治39年までの7年間
明治40年(1907)橋本海関56歳 明石の天文町に居を移す「赤石三勝」を著作
大正2年(1913) 橋本海関62歳 長男の橋本関雪と孫の節哉を同行して中国旅行
帰国後「一葦航吟」を著作
大正9年(1920) 橋本海関69歳 郷土の名勝を散策、昭和8年まで15年かけて
「明石名勝古事談」を著作
全11巻ある著作で明石の郷土史の基礎となっている
昭和10年(1935)橋本海関84歳 明石の地で没
上の写真は橋本海関先生です。
出典:最後に添付の参考資料 1)のPage12
下記のブログでも橋本海関について纏めています。
橋本関雪先生の父親、橋本海関先生について : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
橋本文水の墓
上の写真は橋本海関の父親の橋本文水の墓(橋本関雪の祖父)
橋本関雪の墓
上の写真は橋本関雪とヨネ夫人の墓。本墓は関雪開基の月心寺(滋賀県大津市)
ですが彼のルーツである明石の長寿院にも分骨され墓が建てられました。
戒名:月心院空厳関雪居士
下の写真は橋本家の系図と親戚の松村家の系図です
出典:参考資料 2)Page219
松村松年は明石市の名誉市民で昆虫学の大家です。
関連ブログ
橋本関雪(1883-1945)についても過去にブログで書いています。
橋本関雪先生の顕彰碑 in 神戸大倉山公園 on 2012-6-27
白沙村荘 橋本関雪記念館 on 2012-9-5
参考資料
1)中野直行 著、播磨学研究所 編「はりま人物誌」 播磨学研究所 2004.10
p.12~22 橋本海関と関雪
2)兵庫県学校厚生会 編・刊「明石ゆかりの人びと」 1999.11
p.183~188 橋本海関
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