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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

南沖簡易水道塔---由宇町

2005年02月17日 06時02分15秒 | 岩国情報
南沖簡易水道塔

 八軒土手の中央あたりの左側に四角い煉瓦づくりの簡易水道塔が
 あります。
 昭和17年(1942)頃まで港町の沖側の住民は井戸を掘っても
 塩分が多く現在の伊川酒店のところまで井戸水を汲みに通って
 いました。
 この状態を見かねた橋本善太郎は昭和17年町の有力者嶋谷達氏
 の助力を受け議長の濱野宮槌氏の協力で橋本 氏の所有地に
 井戸を掘りモーターでポンプアップし港地区に配水する私設水道を
 造り組合で昭和35年まで運営されていた。
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蛙岩(ひきいわ)---由宇町

2005年02月16日 06時18分26秒 | 岩国情報
蛙岩(ひきいわ)

 由宇地方では大きな蛙のことを「ひき」と言いますこの大岩が
 蛙の形状に似ているためこう呼ばれています。
 場所は由宇温泉から200mほど上流の川の老人施設側に
 あります。
 蛙岩のある淵を「太郎万」と呼び淵の主は5尺ほどの大うなぎ
 といわれています。またこの淵は大畠の瀬戸に抜けているとも
 言われ水遊びの子供たちに恐れられています。
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開花亭での昼食---岩国市

2005年02月15日 06時12分09秒 | 岩国情報
2月13日(日)に開花亭で昼食をとりました。
写真のメニューはうなぎ丼で1,500円です。
他に親子丼1,500円 釜飯御膳 3,000円が
あります。
広い座敷で外の景色を見ながらゆっくりと
食事を楽しめます。

詳細情報はこちらを見て下さい
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恵比寿神社---由宇町

2005年02月14日 06時07分41秒 | 岩国情報
 恵比寿神社

 えびすさまは恵比寿、夷、戎、蛭子、胡とも書き海の向こう
 から幸せをもたらす神とされ、漁業や海に関係する人達に
 信仰されています。
 七福神の一人の鯛を小脇にかかえ釣り竿をもった恵比寿様が
 奉られています。由宇港の恵比寿神社は昭和の中頃に兵庫県
 西宮市の恵比寿神社から勧請されたということです。

 場所は淡島神社の隣で錨等も奉納されています
 由宇漁協さんの事務所の隣にあります。
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淡島神社---由宇町

2005年02月13日 07時09分27秒 | 岩国情報
淡島神社

 由宇漁協さんの事務所の隣に朱塗りの鳥居をもった淡島神社が
 あります。
 この神社は和歌山県海草郡可多村にある淡島神社の末社で古くから
 船関係の人達が海難除けや家内安全を祈って信仰され現在も年1回
 淡路講の人達で和歌山の本社へ参拝しています。
 4月の例祭には子供相撲や剣道大会が行われています
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大将軍霧峯神社丁塚---由宇町

2005年02月12日 06時18分10秒 | 岩国情報
大将軍霧峯神社丁塚
 西光寺前の道路は由宇から有家へ通づる主要道でした。
西光寺の隣の塩中氏宅の角に次のような石の道標が
建っています。
大将軍コレヨリ28丁 弘化3年(1846)丙午秋
 願主:越後屋常五良、米屋千太良
 室津世話人:紀伊国屋荒助、土佐屋善助、小倉屋文吉
       山本屋久兵衛
と彫ってあります。
大将軍霧峯神社への丁塚は1丁毎に15cm角の石標が建てられていた。
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牛若神社---岩国

2005年02月11日 05時40分24秒 | 岩国情報
牛若神社
愛宕山山道に牛若という大石がありこれに祈願すれば
霊験あらたかで諸願成就疑いなくよって在所を牛野谷(うしのや)
と称する里俗の伝説ありと「玖珂郡誌」は伝えている。
異にその霊験については老若男女を問わず諸病悪疫に対して
のご利益がありまた除災招福の祈願成就を古くから
伝えられている社祠であります。
 例祭 大祭 毎年2月1日
    小祭 毎月1日&15日

 立て札より文引用
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林芙美子像---尾道

2005年02月10日 05時36分30秒 | 旅行記
林芙美子
明治36(1903)年~昭和26(1951)年。
本名林フミコ。山口県生まれ。
本籍は,、鹿児島県東櫻島古里温泉と言う所らしい。
6歳の頃から母と行商人の養父とともに九州各地を旅して
歩いたらしく、その際各地の小学校を転々とし
(十数回の転校)尾道に移り住み、第二尾道尋常小学校
5年に編入する。そこで早大卒の小林正雄先生(担任)と
出会う。先生により才能が開花した。
『放浪記』でベストセラー作家となり、
『稲妻』『浮雲』『めし』などの傑作を次々と発表する。
『晩菊』で女流文学者賞を受賞。

「放浪記」も一節 「海が見えた海が見える
五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい」この文を刻んだ像が
山陽本線尾道駅の東、うず潮小路と名付けられた商店街
アーケード入り口にあります。
毎年6月29日の命日には、この像の前で「放浪忌」が
開かれるそうです。

また志賀直哉の旧宅を使った尾道市の「文学記念室」には、
芙美子の書斎が再現され、晩年に使った机やメガネ、万年筆
遺稿などが所蔵されている

 
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海龍寺(真言宗)---尾道

2005年02月09日 06時20分51秒 | 旅行記
尾道の浄土寺の東隣に海龍寺があります。海龍寺は鎌倉時代には曼陀羅堂と
呼ばれていました奈良西大寺の定証上人が西国巡教の途中この寺に住み
荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられている。
正中2年(1347)炎上したが直ちに再建され寺の名前も現在と同じ
海龍寺と改められたのは寛文2年(1662)のことである。
山門をくぐると右側に三基の古い石塔があります。
これが有名な「文楽の墓」で文化7年(1810)に建てられた。
文化・文政のころ,大阪から師匠を迎えて芸事に親しんだ浜問屋衆が,
造善のために建てたもので尾道では珍しい史跡の一つです。
右側のお経塚を撫でながら念じることで、参拝者の持ち前の才能が開花
するといわれている。

また文政3年(1820)の初代竹本弥太夫の墓もある。

住所は
〒722-0043 尾道市東久保町22-8 TEL 0848-37-6251
                 FAX0848-37-5149

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籌勝院(ちゅうしょういん)内の遊撃隊士らの墓 ---岩国市小瀬

2005年02月08日 06時35分00秒 | 岩国情報
山口県岩国市小瀬 264 に中国第十三番札所でもある籌勝院(ちゅうしょういん)
があります。慶応2年(1866)に幕府軍(彦根藩と高田藩)と長州軍が戦った 
四境戦争(芸州口)のとき、長州藩諸隊の一つ遊撃隊の本陣が置かれた場所である
本堂左手に遊撃隊士の墓がある。遊撃隊は文久3年(1863)に周防で組織された
諸隊の一つで、初代の総監には来島又兵衛が就いた。
禁門の変、幕長戦にも活躍したが、明治2年(1869)の脱退騒動では二百人が
参加し、叛乱の中心となった。



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