CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

遊女塚 in 神戸市垂水区

2016年01月10日 15時38分10秒 | 神戸情報

昨年の12月1日(2015-12-1)尼崎市の寺町の如来院を訪問した時に神崎遊女の
伝説があり如来院には遺髪また尼崎市神崎町34の梅ヶ枝公園内に遊女塚がある
ことを知りました。これを契機として神戸市垂水区にある遊女塚について記事
を書くことを思い立ちました。

写真は特記しない限り2014年9月19日に撮影したものです。

JR垂水駅の西側の商大筋を北へ100mほどのところの西垂水墓地に宝篋印塔が
あります。この宝篋印塔が垂水の沖で舟から落ち溺死した遊女の供養塔である
などの伝説により遊女塚と呼ばれている。
西垂水墓地の場所は下記Goo地図を参照してください。
 
  住所:神戸市垂水区仲田町1丁目1 管理は(有)松下石材

まず、宝篋印塔(ほうきょういんとう)について簡単に述べておきます。宝篋印塔は
もともとは内部に安穏長寿のため呪文である『宝篋印陀羅尼』を納めたことに
由来するが時代を経て、先祖を供養する塔へと変化してきた。


上の写真は西垂水墓地内の宝篋印塔(遊女塚)の遠景です。


現地には平成18年(2006)1月に松下石材から贈呈された説明版があります(上の写真)

石造宝篋印塔(遊女塚)
県指定重要文化財(指定 昭和四十六年)

このような形の塔を宝篋印塔といいます。日本にだけ見られる形の塔で、峠や
村境などに建てられ人々の安全を守ってくれると信じられていました。
 この塔は、総高四メートルにおよぶ大きなもので、他にあまり例のないものです。
塔自体が大日如来で中央部四方にある梵字は、それぞれ如来仏をあらわしています。
笠石の四隅にある三角形の突起の梵字は如来を守る四天王と如来に奉仕する四菩薩
を示しています。台石に掛け振られた十三行の文字には塔創立の功徳と、
この塔が建武4年(1337)三月に士忠禅師によって建てられたことが書かれています。
 塔はもと、山陽道に沿った丘の上に建てられていましたが、鉄道開通
(明治二十一年)によって現在地にうつされました。



上の写真は宝篋印塔の各部の名称です。
  出典:神戸の石造遺品 川辺賢武 著 (1971)神戸市史資料室 Page4


上の写真は文化元年(1804)に発行の播州名所巡覧絵図(神戸市立中央図書館蔵)
で描かれた遊女塚です。

当時、西国街道沿いで海神社の西側に遊女塚があったことが判ります。
この塚或いは石塔(宝篋印塔)について、上記絵図の中に「俗伝に云、
建武(1334-1337)の頃、筑前博多の商人竹村という者、江口(神崎)の遊女
のために建てしとぞ、真実しらず、又一説に大坂の遊女下ノ関へ行に此海に
溺死す、故に此塔を築云々」



上の写真は西面(右手)と北面(左手)の全体(拡大版)です。


上の写真は北面(右手)と東面(左手)の全体(拡大版)です。

ここで宝篋印塔全体の構成をみる。最下に切石3段積みの基壇の上に基礎部が据えて
ある。基礎部4面に3行ずつ計12行の銘が書かれています。
基礎部上部に2段の段型を置く。その上に塔の主要部である塔身を置く。
塔身には金剛界四仏の種子が薬研彫りで刻まれている。
笠石は下部2段、上部6段の夫々別の段型の石を載せてある。
笠の四隅には飾り突起が別石で載せてある。
相輪は九輪の上部から請花、宝珠にかけて欠損しており現在のものは修理した
ものであり請花が無い状態の姿である。
基壇部 66cm 基礎より上の高さは338cm 総高さ 404cmある。



上の写真は基礎部(南面)の銘文で右側:法界含蔵 中:寂篋中 左側:塔基嶢立 
中を寂篋中としたが神戸の石造遺品 川辺賢武 著 (1971)神戸市史資料室で
川辺賢武先生は宝篋印と判読されています。
  根拠:平安時代から鎌倉にかけて宝は寂と書かれていた


上の写真は基礎部(東面)の銘文で右側:勧進士忠禅師 中:大工沙弥願一
 左側:納咒千経七と書かれています。

(参考)
明王寺の観音堂の裏の山に赤松円心の供養塔 といわれている「宝篋印塔」が
あるが実のところは「士忠禅師百日」の銘があり遊女塚宝篋印塔を建立した
士忠禅師の百ヶ日の供養塔であるというのが現在の定説である。
明王寺宝篋印塔の建立年代は観応2年(1351)。

 この宝篋印塔の写真を掲載した小生のブログ 明王寺の追儺式 on 2013-1-4


上の写真は基礎部(北面)の銘文で右側:一切衆生 中:悟正宗
        左側:建武二二丁丑三 建武4年(1337)3月に建立の銘


上の写真は基礎部(西面)の銘文で右側:太虚空 中:百千諸仏 左側:発真智
中の「百千諸仏」は「百方諸仏」と判読する説もあるが意味は同じ


塔身は金剛界四仏の種子が薬研彫りで刻まれている。上の写真は北面の種子で
「アク」 で不空成就如来

その他3面は東面:ウーン、阿閦如来 
      南面:タラーク、宝生如来
      西面:キリーク、阿弥陀如来

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太山寺の追儺式 on 2016-1-7

2016年01月09日 06時01分03秒 | 神戸情報
2016年1月7日に太山寺の追儺式に行ってきましたので写真と動画で紹介
します。

例によってまず太山寺の紹介をします。

太山寺の基本情報
住所:神戸市北区伊川谷町前開224 TEL:078-976-6658
山号:三身山 宗派:天台宗
本尊:薬師如来と十一面観音

公式HP:http://www.do-main.co.jp/taisanji/

太山寺の由緒
太山寺パンフレットより要約引用
天延元年(973)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足の子、
定恵(じょうえ)和尚の開山、霊亀2年(716)公の孫である宇合(不比等の子)の
建立と伝える。
藤原宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。
薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり定恵和尚は願望を
果 たせず寂したと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し
薬師如来の尊像を安置したという。
元正天皇(715~723在位)の勅願寺として、歴代天皇をはじめ一般民衆に
いたるまで広く信仰を集めた。



上の写真は太山寺追儺式のポスターです。




上の2枚の写真は説明板です。

This enormous tenple of the Tendai sect of Buddhism,Taisan-ji,is located
in the northwest of Kobe-city along the Ikawa river,tributary of the Akashi river.It is the only building designated as a national treasure in Kobe,and
it is said that the temple was built in 716 by a priest 7Jyoe7(Fujiwa Kamatari's son)and Umakai(Kamatari's grandson/Fujiwara Fuhito's son).
Taisan-ji is called Sanshin-zan,which was a center of religious devotion
among the general public invluding all the past Emperors,and in the
golden age of the Nanbokucho era(1336-1392),Taisan-ji enjoyed its
power as one of the biggest temple in Harima region that owned 41 branches and kept armed monks.
The vestiges remain in the main hall of this temple,which was rebuilt in
Einin period(1293-99),and in the 7Nio-mon7,a Three-stiried pagoda,etc.
Moreover,it has many important cultural properties beside these buildings.



上の写真は文化元年(1804)に発行された播州名所巡覧絵図で描かれた太山寺の
主要境内図です。太山寺のHPによると南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺
末社六ヶ社を持ち僧兵も養っていたとの予。
境内の配置や旅館があったこと南西に温泉があったこと等が絵図から判ります


江戸時代、歴代の明石藩主は有事に備え要衝の地にある寺院八寺を定め
 禄米(お布施の意)を与え保護しました。
明石八寺(明石八山寺)のリストは以下のとおりです。
 天台宗(太山寺、如意寺、多聞寺、日輪寺)
 真言宗(転法輪寺、明王寺、近江寺、性海寺)

また朱印高についても列挙しておきます。

1.太山寺 35石 三身山

2.如意寺 43石 比金山

3.多聞寺 27石 吉祥山

4.日輪寺 28石 普光山

5.転法輪寺 26石 龍華山

6.明王寺 13石 龍華山

7.近江寺 24石 近江山

8.性海寺 31石 高知山

太山寺は35石でしたので明石八寺の中で2番目に多い縁米でした。

前置きが長くなりました


修正会の法要は13時30分から始まります。

14時頃から追儺式が本堂の外陣で行われます。

下の式次第が掲示(下記)されていました。(一部加筆)

1匹で舞う走り鬼と三つ鬼の舞が交互に繰り返されるのが基本のようです。

太山寺追儺式次第

住職より太山寺の追儺式について説明

一、 走り鬼 (東)  14:00頃  
二、 三つ鬼 (東)  
      三、 走り鬼 (西)    
四、 三つ鬼 (西)    
五、 走り鬼 (東)        
六、 三つ鬼 (東)      
七、 走り鬼 (西)       
八、 餅切り       
九、 走り鬼 (東)       
十、 廻り    
十一、三つ鬼 (東)  15:30頃

  東側は山を表す椎の木が飾ってあります。 西側は住民の里に相当 

式終了後餅撒き


三つ鬼の鬼面の表情について住職から次のような解説をされていました。
太郎鬼(笑い)
次郎鬼(なき)
婆々鬼(怒り)



上の写真は三つ鬼の踊りの場面です。



上の写真は走り鬼の踊りの場面です。 

さらに追儺式の解説もありました。
  追儺式について記しておきます。
修正会(しゅしょうえ)、正式には修二会(しゅにえ)の付帯行事として鬼追いが
行われます。追儺式での鬼は悪鬼ではなく、災いを取り除き、大地を清め
踏み固める鬼で悪鬼を祓い疫病を封じ、五穀豊穣、家内安全を願うものである。
追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、
鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。
追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元と
なった行事である。
したがって、節分の豆まきと同じような儀式があります。



上の動画が当日の太山寺住職の辻井定宏(じょうこう)氏からの説明です。


上の動画は子鬼の踊り


上の動画は走り鬼の踊り


上の動画は三つ鬼の踊り(餅切り)

ここで話題を変え再び太山寺の境内の建物などの写真を紹介します。


上の写真は太山寺の境内図です(太山寺のHPより)






上の3枚の写真は国宝に指定されている本堂です。正月らしく門松が設置されています


上の写真は太山寺本堂の現地説明板

神戸市内の文化財で国宝に指定されているものは下記のとおりです
1.太山寺 本堂 1棟  昭和30年(1955)6月22日 国宝に指定

2.賢愚経残巻(けんぐきょうざんかん)(大聖武)(2巻) 白鶴美術館所蔵
  昭和39年(1964)5月26日 国宝に指定

3.大般涅槃経集解(だいはつねはんきょうしゅうげ)(71巻) 附大般涅槃経後分
  (2巻)  白鶴美術館所蔵
  昭和40年(1965)5月29日 国宝に指定

4.桜ヶ丘 銅鐸 14口、銅戈(どうか) 7口


詳細は小生のブログ 神戸市の国宝


上の写真は太山寺 阿弥陀堂




上の写真は太山寺 三重塔と現地説明板


上の写真は手水舎 バックは三重塔


上の写真は太山寺 観音堂


上の写真は太山寺 護摩堂


上の写真は鐘楼


上の写真は太山寺 奥の院に繋がる閼伽井橋

太山寺について書いた小生のブログ記事

 太山寺 in 2008年秋

  太山寺 on 2007-11-10

  太山寺 安養院庭園

  太山寺の木造阿弥陀如来坐像

  太山寺の追儺式 on 2012-1-7

  太山寺磨崖不動明王 on 2013-6-5





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阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その2 如来院

2016年01月08日 05時32分01秒 | 神戸市以外の兵庫県
しばらく中断していた尼崎寺町と尼崎城跡散策記を久しぶりに書きます。
2015年12月1日、阪神尼崎の南側の寺町及び尼崎城跡を奥様と2人で
散策してきました。

本日は散策記の第2回で如来院を写真紹介します。

如来院の基本情報
住所:尼崎市寺町11 TEL:06-6411-3794
宗派:浄土宗 山院号:珠光山
御本尊:阿弥陀如来

公式HP:http://hccweb6.bai.ne.jp/nyoraiin/
開基:行基が神崎の地に聖武天皇の厄除けを祈願し釈迦堂を建立(本尊:釈迦如来)
   その後偏照寺 如来院となる
中興:湛空
神崎遊女:建永2年(1207)法然上人が神崎に立ち寄り、5人の遊女を帰依させた。
     その後自らの罪を悔いて5人の遊女は念仏を唱えながら入水。
     如来院には現在も法然の遺物や遊女の遺髪が残されている
法然二十五霊跡 4番札所
御詠歌: 身と口と心のほかの弥陀なれば われをはなれて唱えこそすれ。


過去の記事

第1回 阪神尼崎駅南側地区 寺町と尼崎城跡の散策記 on 2015-12-1 その1専念寺




上の写真は阪神尼崎駅南側のタクシー乗り場付近の寺町の全体図
如来院の位置を赤字で示しています。
拡大版はこちら


上の写真は如来院の境内の説明板。




上の写真は道路から観た如来院。



上の写真は本堂。本堂は元禄9年(1696)の建立で棟札で尼崎住人の大工 
松井市郎兵衛藤原辻端正勝が建てたことが判っています。
昭和の修理で屋根が銅板葺になっています。


上の写真は境内より庫裡方向を撮った。長遠寺の多宝塔が写っています。


上の写真は本堂と鐘楼。鐘には応永32年(1425)の銘がある


上の写真は中央に笠のない卒塔婆とその両脇の五輪塔


上の写真は門のところの石碑で如来院が神崎五人遊女の遺髪があることと
法然二十五霊跡 4番札所であることが書かれています。

神崎遊女に関して、神崎には元禄5年(1692)の銘のある石塔が今日まで残っており、
入水した五人の遊女を弔った遊女塚であると伝えられています。
摂津名所図会にも遊女塚が描かれています。


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カレーうどんの竹屋でのランチ on 2016-1-6

2016年01月07日 04時36分19秒 | 神戸情報
2016年1月6日、カレーうどんの竹屋でランチをいただきましたので写真紹介します。
頻繁に行かない店なので記事を書くことにしました。

竹屋の基本情報

住所:神戸市垂水区塩屋町1-6-6   TEL:078-753-0194
定休日:火曜日

場所は国道2号線に面しています。


Goo地図はこちら
 



当日いただいたカレーうどん 830円です。

前に訪問した時にカレーうどんの定食(鶏肉を使用)と牛肉を使用した単品の
カレーうどんを食べ比べていたので今回、好みの上記単品を注文しました。




お店のメニュー以外の売りの一つに店内からの眺めです。上の写真は店内から外に
向かって撮ったものです。この場所は雰囲気も楽しめます。


上の写真はお店の外観です。


上の写真はお昼の定番メニュー。

前の訪問記:カレーうどんの竹屋でのランチ on 2014-9-19
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2015年の考古学及び歴史ニュース

2016年01月06日 06時25分29秒 | Weblog
2015年12月31日の神戸新聞の朝刊に「考古学この1年」という記事が
出ていました。

こちらに刺激され「2015年の考古学及び歴史ニュース」というテーマで記事
を書いていきます。

赤字は注目度が高い、歴史的価値が高いなどの基準で筆者が選んだ項目

2015年1月
  ・奈良県明日香村の小山田遺跡で、巨大方墳の濠とみられる遺構を発見
   飛鳥時代の舒明天皇陵説や大豪族・蘇我蝦夷の墓説も
   1月18日の現地説明会の資料 
    http://www.kashikoken.jp/from-site/2014/koyamada5%EF%BD%A56.pdf
  ・宮崎県えびの市島内地下式横穴墓群の1,500年前の首長墓から大量の副葬品

  ・石川県能登町真脇遺跡(縄文晩期)で日本伝統工芸のルーツ?角材のホゾ加工

  ・ゲーム「刀剣乱舞」の影響で空前の刀剣ブーム

  ・兵庫城で二重の堀跡が出土
    小生のブログ記事<ahref="http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/8bccf23ad79e1014eed55d66845c962b">http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/8bccf23ad79e1014eed55d66845c962b

2015年2月
  ・京都山科の天智天皇陵に学会代表が立ち入り調査

  ・織田信長築城の小牧山城の石垣発掘

  ・飛鳥寺西方遺跡で壬申の乱の軍営施設or
    九州、東北の人達を接待の饗宴施設の建物跡が出土

  ・児玉源太郎の資料群400点が発見
    

2015年3月
  ・「昭和天皇実録」が刊行される

  ・中国で三角縁神獣鏡が発見の論文(王趁意著)が中原文物に掲載
    出土地は不明 2009年に骨董市で譲り受けたもの
    関連記事(朝日新聞) 

  ・芥川賞を切に求める太宰治の佐藤春夫宛の手紙が発見

  ・世界遺産の姫路城天守閣が半世紀ぶりの塗り替え

  ・縄文人、噴火に負けず生活再建 富士山麓の上中丸遺跡(山梨)



2015年4月
  ・南あわじ市で発見された銅鐸7点
    詳細は小生のブログ記事 
   http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/c6a94fcd9c6868c83992e0ae429fd7d8

  ・4月4日以降夏までに奈良県を中心とした44か所の文化財に油しみ
    6月1日にキリスト教の宗教団体創始者で米国在住日本人男性医師が逮捕

  ・平城宮の木簡に「奈良京」「皇太子」

  ・難波京の朱雀大路か 側溝を確認、道幅推定33メートル
    詳細:http://www.occpa.or.jp/ikou/gensetu/gensetu_pdf/2009_0917%20NS09-01.pdf

  ・兵馬俑2号坑で発掘再開

2015年5月
  ・須玖タカウタ遺跡(福岡県春日市)で、国内最古の青銅鏡鋳型の破片が出土
    詳しく解説したサイト:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-15/2015_05_28.htm

  ・フィリピンシブヤン海1,000mの深海で戦艦「武蔵」の艦橋などを撮影確認

  ・松江城天守が国宝に(姫路、松本、彦根、犬山に続き5例目)

  ・沼津市の高尾山古墳で遺跡保護か生活改善(道路建設)で議論
    京都市の下賀茂神社のマンション建設でも賛否の議論

・平城京の土器 すごろくだった


2015年6月
  ・謎に包まれた「幻の伏見城」の石垣が初の出土

  ・鳥取市の乙亥正屋敷廻(おつがせやしきまわり)遺跡で巴形銅器出土

2015年7月
  ・宮城県山元町合戦原遺跡の横穴墓で大規模な線刻画

  ・明治日本の産業革命遺産が日本で19番目の世界遺産に登録
    詳細:外務省のサイト

・枚方市の旧陸軍施設「禁野火薬庫」(1939年に大爆発)の建物跡等が発掘

  ・1300年前の極彩色 薬師寺東塔の天井画見つかる
    詳細:http://www.asahi.com/articles/ASH6Z5HC6H6ZPTFC01D.html

  ・元寇船2隻目と断定 長崎沖、船内に中国産陶磁器
    詳細:http://www.asahi.com/articles/ASH7154JVH71TIPE02S.html

  ・慶応大学地下に旧海軍の施設

  ・喜多川歌麿の新たな肉筆画「花魁と禿図」が発見

2015年8月
  ・イスラム国(IS)がシリアの世界遺産「パルミラ遺跡」などを破壊

  ・宮内庁、敗戦の決断が下された「御前会議」の防空壕や玉音放送原盤等を公開
  ・安倍晋三首相が戦後70年の首相談話を発表(8/14)

  ・弘前城の天守、石垣修理のため仮天守へ移動
    詳細:http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/shisetsu/park/2015-0217-1629-48.html

  ・古墳前期4 世紀の祭祀区画と居住区画を持つ大集落が大和葛城で出土
    詳細:http://www.infokkkna.com/ironroad/2015htm/iron11/1509gosenknsweb.pdf


2015年9月
  ・「命のビザ」「上野三碑」ユネスコ記憶遺産に推薦決定
    http://www.asahi.com/articles/ASH9S3R7JH9SUCVL00B.html

    命のビザについて書いた小生のブログ

  ・南アで新種の人骨「ホモ・ナレディ」発見 
    猿人(700万年前)からホモ属(240万年前)への進化の過程究明の鍵

  ・岡山神明遺跡で出土の銅鐸つり手に流水文

2015年10月
  ・天理図書館の「夜半亭蕪村句集」に未確認の212句が確認

  ・弥生期遺跡で西日本最高地 土器片出土の愛媛猿楽遺跡
    詳細:http://www.asahi.com/articles/ASHB55S0SHB5PFIB018.html

  ・シベリア抑留に関する資料が世界記憶遺産に


2015年11月
  ・ツタンカーメンの隠し部屋発見、日本の技術者が活躍
    隠し部屋にはツタンカーメンの義母のネフェルティが埋葬か

  ・琵琶湖湖底で確認された平安後期の港湾遺跡

  ・香川県石清尾山古墳群は全国的にも珍しい双方中円墳

  ・東大寺の東塔跡の発掘調査で、鎌倉時代に再建され拡張(発掘調査で判明)

  ・ 坂本龍馬の免許皆伝書「長刀兵法目録」やはり龍馬が剣豪だった裏付け


2015年12月
  ・平城京左京三条二坊十四坪 貴族邸宅跡の発掘
    12月20日に現地説明会

  ・景行天皇陵(天理市の渋谷向山古墳(4世紀後半))の発掘現場を公開
    詳細:http://www.asahi.com/articles/ASHD13TV2HD1POMB00B.html

  ・愛媛県内最古級の鍛冶工房跡 今治・新谷で出土 

2016年1月20日のNHKテレビ歴史柲話ヒストリアで2015年の歴史ニュースの
ランキングを放送されていましたので引用紹介しておきます。

 第1位 「古代史のナゾ解明?大量の銅鐸」
 第2位 「昭和天皇 玉音放送の原盤公開」
 第3位 「420年ぶりに出現!秀吉”幻の城”」
 第4位「与謝蕪村の手紙から新事実!」
第5位「芥川賞が欲しい!太宰治の手紙」
第6位「モンゴル船 海底で見つかる」
第7位「日本最古の“鏡の鋳型”」
第8位「真田丸は“攻撃型”の要塞!?」
第9位「信長の城 小牧山城で新発見」
第10位「田んぼから古代のよろい!?」


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法隆寺 on 2015-12-20 その6 法隆寺の七不思議

2016年01月05日 05時57分50秒 | 奈良情報
法隆寺訪問記シリーズの第6回です。今回は法隆寺の七不思議を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 法隆寺 on 2015-12-20 その1 西院伽藍

 第2回 法隆寺 on 2015-12-20 その2 西円堂

  第3回 法隆寺 on 2015-12-20 その3 東院伽藍

  第4回 法隆寺 on 2015-12-20 その4 中宮寺

  第5回 法隆寺 on 2015-12-20 その5 若草伽藍跡
  

改めて法隆寺の基本情報と境内地図を再掲します。

法隆寺の基本情報
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 TEL:0745-75-2555
宗派:聖徳宗 昭和25年(1950)までは法相宗
御本尊:釈迦如来
創建:推古15年(607)
    第33代推古天皇(在位592-628)と聖徳太子(574-622)が
    第31代用明天皇(在位585-587)の遺願を継いで建立

法隆寺の公式HP:http://www.horyuji.or.jp/


上の写真は法隆寺の伽藍配置図です。(現地の説明版より)
拡大版はこちら

法隆寺の七不思議は諸説ありこのブログでは法隆寺ハンドブックに拠った

また2016年1月3日(8:15~10:15)にNHKテレビで「究極ガイドTV 2時間で
まわる法隆寺」を放送されていましたのでその画像も一部引用紹介します。

(1)法隆寺の伽藍には蜘蛛が巣をかけない
 法隆寺には僧侶が13人、その他スタッフを含めて約100人の方々が仕事を
 されているそうですその方々の努力の賜物だと思います。

(2)南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある
 これについては上記の番組で紹介されていました。
  法隆寺 管主 大野玄妙さんから紹介





 お寺の伝えでは大雨が降ってもこの石の位置よりも水位が上がらないということから
 水はここまでまでしか来ないという意味が込められています
 鯛というイメージで「目出度い」ということで上記の修学旅行生が幸せになるとも


(3)五重塔の相輪に鎌がささっている
 これについても上記の番組で紹介されていました。



 今でいう避雷針の役目を担っていた。
 五重塔の建物に避雷符もかけられていることもテレビで紹介されていました。

(4)不思議な伏蔵(ふくぞう)がある
 これについても上記の番組で紹介されていました。
 

 
 伏蔵は寺がピンチになった時にここに埋められた財宝を使って再建するための
 「宝物」が埋められている場所である。法隆寺には全部で3か所ある。
 テレビでは中門前を西に向かう途中にある伏蔵が紹介されていました。

(5)法隆寺の蛙には片目がない
 チョット嘘っぽいですが・・・・・

(6)夢殿の礼盤(お坊さんが座る台)の下に水がたまる
 毎年2月にこの礼盤を日光に当て、陽の光により帯びる水気の量によって
 豊作か凶作かの占い(夢殿のお水取り)が行われます


(7)雨だれが穴をあけるべき地面に穴があかない
 地盤の良いことの証明とされています。
 

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妙法寺の追儺式 on 2016-1-3

2016年01月04日 18時05分00秒 | 神戸情報
2016年1月3日に妙法寺の追儺式に行ってきましたので写真と動画で紹介
します。当日、15時10分頃遅れて到着した為2015年1月3日の動画や写真も
利用して補充しています。
特に記載がないものは2016年1月3日に撮影。

妙法寺の基本情報
住所:神戸市須磨区妙法寺字毘沙門山1286 TEL:078-741-2935
宗派:真言宗 山号:如意山 御本尊:毘沙門天
創建:天平10年(738)聖武天皇の勅願により建立と伝



上の写真は現地の説明板。


上の写真は追儺式のPRポスターです。


上の写真は妙法寺の正面入り口


上の写真は入り口の石碑で「真言宗 毘沙門山 妙法寺」と書かれています。


上の写真は到着した時の本堂前の見学客の人並み

妙法寺の追儺式では五穀豊穣をもたらす鬼が小鬼を連れて妙法寺から
伊勢神宮にお伊勢参りに行く様子を表現しているストーリになっています。
登場するのは三匹の白鬼と2匹の子供の赤鬼、家来である黒鬼5匹の合計
10匹で、白鬼は赤鬼と黒鬼を従えて、お伊勢参りの旅をします。


午後3時から行われる追儺式の詳細は、神戸市の教育委員会のサイトに
詳しく解説されています。

15時にスタートしまず法要が行われた後、妙法寺の追儺式の説明解説さらに
鬼役を演じる方々への依頼要請&承りの儀式が行われました。
15:10頃から追儺式の鬼踊りが挙行されます。


上の写真は本堂に向かう前の僧侶と鬼役の人達(2015-1-3の撮影)


上は昨年(2015年)の動画


上の動画は昨年(2015年)の読経。


上の動画は昨年(2015年)の妙法寺追儺式説明。




上の写真は可愛い子鬼です。


上の写真は白鬼 太郎鬼を先頭に次郎鬼、ババ鬼と続く。


上の動画は黒鬼 ジカ鬼の一番鬼の鬼追いの踊り


上の動画は 黒鬼 2番から5番鬼


上の動画は子鬼のおどり


上の動画は 白鬼の踊り(1)


上の動画は 白鬼の踊り(2)


上の動画は追儺式のクライマックス 餅割り

鬼たちが和太鼓やホラ貝の音に合わせ、たいまつを振りかざしながら本堂の回廊を
練り歩きます。
松明(たいまつ)の火を斧などで切って落とす「鎮火の作法」は、
防火への祈りが込められているという。


古くに中国から伝わった、年の終わりに方相氏が悪鬼を駆逐する追儺行事が、
やがて寺院の年頭の行事である、天下泰平・五穀豊穣・招福攘災を祈る修正会に
附属する行事、追儺で踊るようになったものです。
現在は正月から小正月、節分にかけて、真言宗・天台宗を中心とする寺院で踊られます。
慶雲3年(706)文武天皇の時に流行した疫病を追い払おうと、宮中で大晦日に
鬼払いの儀式として行われたのが始まりとされています。
東大寺での修正会は天平勝宝4年(752)から行われている。
修正会は平安時代中期以降は諸大寺で一般的におこなわれるようになった。


追儺式の他に次のよう呼ばれています。「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)
、「儺(な)やらい」、鬼踊り、修正会、修二会、鬼追い式(鬼追式)など


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正月飾りの門松

2016年01月03日 05時00分14秒 | Weblog
本日はまだ正月3賀日ということで門松について書きます。


上の写真は神戸市垂水区 JR垂水駅高架下の商店街MOLTIの門松です。
撮影:2015-12-29

私の子供時代、宇治市に住んでいた頃、門の両側に松が飾られていた記憶が
あります。自治会などから自然保護の立場から印刷された松が配布され飾って
いた記憶もあります。

門松とは、今更説明することはないが正月に家の門の前などに立てられる正月飾りのことで

歳神(としがみ)の依代(よりしろ)といって、歳神様が天から降りてくる時に
迷われないようにする目印です。

門松の設置期間(Wikipediaより引用)

<スタート>
12月の13日(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」を
おこなう[9]。上り松、花迎、花伐、松ばやし、などともいう[1]。
この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となる。

門松の設置は「松の内」に入る12月13日以降ならばいつでも良い。
ただし、クリスマスは避けて設置される傾向にあり、他に12月29日に飾るのは
「二重苦」、さらに9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、
「苦松」といって忌む[10]。「苦立て(くだて)」と呼ぶ。
また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」
といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている。


<エンド>
松の内の1月15日まで飾るのが伝統であるが、関東の一部などでは松の内を1月7日
までに短縮しており、その場合は6日の夕方や翌7日に片づける場合が多い。
(左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。
左義長は1月15日の小正月が多いが、地域や神社によって異なる)。


門松と同じように正月飾りとしてしめ縄鏡餅があります。簡単に触れます。

しめ縄
穢れのない新わらで作られ、神の占める場を示します。しめ縄は内外の境界線を
示すために張り巡らす綱のことで清浄な区域として他と区別されます。
家の戸口に張れば、家の中に不浄なものがはいらないように境界線を張った
ことになります。


鏡餅
歳神様へのお供え物です。ちょうど昔の鏡と同じ丸い形をしているのでこの名が
ついたとも言われています。作物の中で一番大切なお米で餅をつき、海の幸、
山の幸、ゆずりはや橙を飾り付けます。ゆずりはは新葉が成長した頃に古葉が
落ちるので「あとをゆずる」と言われ家系が絶えない象徴として、橙は実が
落ちにくく世代の違う実が同じ木に残るところから、家が代々繁栄するという
象徴として、それぞれ願いが込められています。
裏白(うらじろ)や串柿(くしがき)も飾られます。
1月11日に鏡開きを行いいただきます。





上の2枚の写真は栃木県高根沢町にある安住神社のジャンボ鏡餅
(12月30日のテレビ放送より)


 



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2016年1月1日の新聞各紙

2016年01月02日 05時30分46秒 | Weblog
例年、1月1日に朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙を購入しています。
上記新聞に神戸新聞を加えて夫々の新聞の一面記事の内容を記載します。

赤字はトップ記事

(1)日経新聞
   アジアひと未来 (1) 目覚める40億人の力
    インド俊英、続々頂点に


   ANA,超大型機導入 エアーバスA380、3機1,500億円

   新元素理研の発見認定 アジア初 113番、周期表に記載

   春秋

(2)読売新聞
   数研出版も教科書謝礼 公立中校長らに 検定中開示も

   元素 日本初の命名権 国際組織「113番」理研発見を認定

   仮設住宅20年までに解消 政府方針 岩手、宮城 計3万戸

   御神火 新年の無事願う 八坂神社

   大人とは何か 18歳

   編集手帳

(3)産経新聞
   世界遺産など剥落数十件 平等院や原爆ドーム 修復時の合成樹脂原因か

   にっぽん再構築① 今こそ行革だ 巨額税金消えた2000億円超

   年のはじめに 編集委員長 石井聡 再生に向かう力の結集を
    住基カード 発行終了

   産経抄

(4)毎日新聞
   安倍政権で改憲目指す 緊急事態条項から

   新元素「113番」理研に命名権 アジアで初

   チャイナセンセーション 一帯一路の行方3 高速鉄道 更地のまま

   楢葉で年越し 5年ぶり

   第57回毎日芸術賞

   余禄

(5)朝日新聞
   18歳をあるく

   朝日賞 5氏に決まる

   「113番」新元素 理研に命名権 アジアで初

   衆参同日選挙も選択肢に 今夏参院選 首相議席上積み狙い

   折々のことば

   天声人語

(6)神戸新聞
   歴史薫る尼崎へ 旧官庁街整備 市制100周年「博物館構想」軸に

   不正の温床 政務活動費を考える 1 使途拡大 地方の悲願 動いた国会

   新元素、理研に命名権 原子番号113番「日本の発見」認定

   きょうの天気

   「週刊まなびー」今春一新

   正平調


各新聞ともに2016年にどのような事象が予定されているか特集されています。

画像がなくて寂しいのでNHKテレビより2015年末現在の人口推計結果を添付


出生数 100万8千人 おととし(2013)より4,000人増 5年ぶりの増加
死亡数 130万2千人 おととし(2013)より2万9千人増 戦後最多
減少数 29万4千人





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謹賀新年 本年も宜しくお願い申し上げます。

2016年01月01日 03時57分05秒 | Weblog
  ─謹─賀─新─年─
   / ̄ ̄\⊂⌒⊃
   /~~~~\             
⊂⌒⌒⌒⊃//\\\
┏━┓                 
 申  平成28年(2016)元旦
┗━┛





      
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