CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山

2018年10月07日 05時13分58秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第7弾として有馬三山について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

有馬三山については温泉寺の資料館「御祖師庵」掲示されていたパネルにより
紹介していきます。

有馬三山とは落葉山、灰形山、湯槽谷山のことです。

過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景


上の写真は明治中期の有馬温泉です。
出典:資料館「御祖師庵」の展示
訪問日の当日はデジカメのバッテリーがあがってしまった為、
写真を撮れていません。


上の写真は有馬三山の説明
出典:資料館「御祖師庵」の展示

有馬三山の各山について上の説明版の内容に若干の補充を加え書いていきます。

落葉山
こちらは唯一、登った山です。

上の写真は有馬三山の登り口です。
落葉山(おちばやま)の由来は「老翁が、仁西上人を、この山に案内し、葉を投げ落ちた
ところが、湯壺であると示された」

落葉山の標高は533m

関連サイト:有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺


灰形山
灰形山(はいがたやま)の標高は619m

利休が茶会のとき、この山の形を模して風炉灰としたことが名前の由来


湯槽谷山
湯槽谷山(ゆぶねだにやま)の標高は801m

行基が温泉を開いたときに、湯槽に用いた良材を、この山から伐り出したことが、
名前の由来。
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ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-10-4

2018年10月06日 16時54分49秒 | 神戸情報
2018年10月4日(木)、ゆず庵 神戸小束山店で頂いたランチを写真紹介します。
2017年5月30日に洋服の青山の隣に出来たお店です。


ゆず庵 神戸小束山店の基本情報

住所:神戸市垂水区多聞町字小束山868-1358  TEL:078-784-7011
料理ジャンル:寿司、しゃぶしゃぶ、串焼き
営業時間:11:00~24:00(最終入店22:00) 定休日:?
経営:洋服の青山を展開する青山商事100%出資の株式会社glab(2011年7月6日 設立)が
   展開するチェーン店


公式サイト(株式会社glab):http://www.glob.co.jp/company_topmessage.php

メニュー表:http://www.shabu-yuzuan.jp/





上の2枚の写真が当日頂いた秋の松花堂ランチです。1,280円(税別)



デザートの秋栗プリンと安納芋のモンブラン


同じくデザートの秋栗プリンとホットコーヒー

過去の訪問記

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-11-15

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-11-8

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2017-6-22

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-3-9

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-4-11

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-6-26

ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-8-7



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神戸市須磨区妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でのランチ on 2018-10-5

2018年10月06日 15時40分25秒 | 神戸情報
2018年10月5日(金)、妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でランチ
をいただきましたので写真紹介します。

Haleiwa cafe (ハレイワカフェ)

住所:神戸市須磨区多井畑東町2-1  TEL:078-791-0300
営業時間:【平日】11:00~22:00  【土日】10:00~22:00
定休日:なし(無休)
公式サイト:http://haleiwa-cafe.com/
オープン日:2017年10月19日


メニュー表(ホットペッパー):https://www.hotpepper.jp/strJ001179784/lunch/

地図は下記ブログで記載
 神戸市須磨区妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でのランチ on 2017-11-14

当日、注文したのは奥様はパスタランチ 1,380円(税別)。
私は淡路玉ねぎと牛肉ビーフカレー 1,100円(税別)です。


上の写真は奥様が注文のメイン 新鮮魚介たっぷりのペペロンチーノ


上の写真は私が注文のメイン ビーフカレー


上の写真はメインに付属のサラダとスープ


上の写真はパスタランチに付属のロングバケット(蜂蜜)

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築地市場内の魚河岸水神社遥(よう)拝所が豊洲市場に移転

2018年10月06日 08時17分30秒 | 東京情報
本日(2018-10-6)は築地市場の最後の営業日ということでテレビで大々的に報道
されています。
2018年10月11日に豊洲市場は開場し、同日、築地市場の解体が始まります。

報道例1:(日経新聞)築地市場、最後のセリも威勢よく 83年の歴史に幕 

そこで築地市場内の魚河岸水神社遥(よう)拝所をテーマに取り上げました。
以下に使用の写真は2018年9月23日(日)NHKテレビの「あの日 あの時 あの番組」で
放映されたものです。

築地市場は昭和10年(1935)に日本橋魚市場より現在地に移転され83年の歴史に
幕をおろすことになります。


上の写真は魚河岸水神社遥拝所の祠です。

魚河岸の守護神「弥都波能売命(みつはのめのみこと)」を祭った水神社本殿がある神田明神
への遥拝所です。


築地魚河岸会の伊藤宏之会長と神田明神から招かれた清水祥彦権宮司

神田大明神関連のブログ:
   神田大明神

   三谷長三郎 胸像

   小唄塚・小唄作詞塚



上の写真は豊洲市場へ向かわれる築地魚河岸会の伊藤宏之会長




上の2枚の写真は豊洲市場への移転が進む魚河岸水神社遥拝所

築地市場の近くには上記の魚河岸水神社の他に波除神社があります。
過去に書いたブログにリンクしておきます。
  築地市場の波除神社


波除神社の公式サイト:http://www.namiyoke.or.jp/index.html


関連ブログ日本橋魚市場発祥の地


     築地の鮨


     築地のすし屋さんで一番、有名なのは清寿司だと思いますが・・・・・
     残念ながらブログ記事にしていないので紹介できないのが残念です。
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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

2018年10月06日 03時50分20秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第6弾として有馬六景について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

有馬六景はねね橋のねね像の近くに掲示されていたパネルにより紹介していきます。


過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

有馬温泉では、1753年(宝暦3年)、1766年(明和3年)と続けて大火に見舞われたため、
湯治客も年々減るばかりで街は寂れていきました。賑わいを取り戻すために有馬六景を選定し
さらに高位の方々に詩歌を詠んでもらい有馬三社に奉納されたものです。
絵は円満院門跡祐常前大僧正

有馬六景説明板


上の写真はねね橋のねね像の近くに掲示されていた説明板です。


上の写真は宝永7年(1710)の有馬山絵図の上に表示された有馬六景です。

説明板の内容が読み難いのでそのまま記載しておきます。
有馬六景
有馬富士暮雪、功地山秋月(現 的場山)、有明櫻春望、鼓瀑松嵐、落葉山夕照、温泉寺晩鐘

上記の有馬六景の起源は明和6年(1769)の春、故ありて有馬にての旧家なる余田、河上等の
六人、京師なる九条殿に召されし事ありけり。此時河上維萋(いさい)といふもの六景を撰び、
其さまを写して奉りしより、閑院宮を初め奉り、高位の方々此六景の詩歌をよませられ、
詠ぜられ、又圓満院門跡は是を描きて帖となし有馬三社に納めさせ給ひしにぞ、 六景の名世
は高くなりぬ、此帖は今に湯泉神社の神庫に在り。 狩野永良 画


有馬富士暮雪


明和7年(1770)2月の銘
祐常写(円満院門跡祐常前大僧正が写生) とも書かれています。


有馬富士雪
尚實(九條左大臣尚實公)
東海芙蓉元等名 三峰千載雪花清
何疑常欲温泉者 好擬南山比寿栄

功地山秋月

功地山(現 的場山)の月が美しい 山の中腹に鹿の姿が・・・



功地山秋月
雅重(飛鳥井大納言雅重卿)
鹿の音もふけ行夜半のやまのはに
すみのぼるつきのかげのさやけき

有明櫻春望

滝川の河畔に咲く桜と背山(油槽谷山)に咲く桜が描かれています


有明桜春望
千枝二月曙雲開 無限東風馥郁来
為是温泉洵美地 春花偏圧異郷催
道前(九條内大臣道前公)


鼓瀑松嵐



鼓滝と背山が描かれています。


鼓瀧松風
内前(近衛摂政太政大臣内前公)
山まつのあらしになをもひびくかな
つづみがたきの水のしらべは

落葉山夕照


滝川に架かる橋、寿福寺の山門、落葉山の紅葉などが描かれています。


落葉山夕照
落葉之山名故奇 斜陽風景更湛思
懸知勝地常多賞 再在丹楓満墜時
藤公亭(四辻大納言公亭卿)

温泉寺晩鐘

温泉寺の鐘楼などの堂宇と有馬温泉街が描かれています。
手前のカエデの葉も印象的


温泉寺晩鐘
典仁(閑院大宰帥典仁親王)
いく里の暮おどろかす声ならん
此やまでらのいりあいの鐘



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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

2018年10月05日 04時32分50秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第5弾として温泉寺について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

温泉寺でもデジカメのバッテリーがあがる寸前であまり多くの写真を撮れていません。



過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

温泉寺の基本情報
住所:神戸市北区有馬町1643  TEL:078-904-0650
宗派:黄檗宗 
    当初は法相宗で、建久元年(1190)仁西(にんさい)上人が堂塔を再建し
    天台宗に、その後真言宗にも転じ、元禄のころ黄檗宗に改宗した。
山号:有馬山   御本尊:薬師如来
創建:(伝)神亀元年(724年) By行基菩薩  中興:仁西上人
年間イベント:1月2日 - 入初式 、11月14日 - 御祖師祭(みそしまつり)


本堂(薬師堂)

2018-9-25の訪問で本堂(薬師堂)全体が移った写真が撮れなかったので
2012年11月13日に撮った写真を添付しておきます。
下の写真は温泉寺本堂を正面から撮ったものです。撮影:2012-11-13
本堂は、江戸時代中期 元禄8年(1695)の建立だそうです。


薬師如来像

上の写真は御本尊の薬師如来と両脇侍(日光菩薩・月光菩薩)像

波夷羅大将立像

上の写真は温泉寺(清涼院)の木造波夷羅大将立像 大正3年(1914)4月17日指定
江戸時代に製作 木造 彩色 玉眼 像高102.5cm
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page60

石造五輪塔


上の写真は温泉寺本堂とその前にある石造五輪塔です。
向かって右側は平清盛の五輪塔(温泉寺東塔=左塔)、
左側の五輪塔は慈心坊尊恵の塔(温泉寺西塔=右塔)


上の写真は現地の説明板です。

温泉寺石造五輪塔についての説明書き(田辺真人先生語りによる)を引用させて
いただきます。
「この二基の五輪塔は鎌倉中・後期作の石造文化財だが、元禄14年(1701)の
摂陽群談では平相国平清盛塔と慈心坊尊恵塔だと記し、ともに平清盛が有馬温泉に
滞在した時に建立したものだと説明している。平家物語、古今著聞集、温泉寺縁起
などによると、慈心坊尊恵は承安年間(1171~75)に清澄寺(現、宝塚市)に
住んでいた時、幾度も閻魔大王に招かれてあの世に赴いたと伝えられている。
閻魔の庁で大輪田泊での清盛主催の千僧供養が話題になった時、閻魔大王は清盛を
平安中期の良源(元三大師)の生まれ変わりだと尊恵に教えた。尊恵はそのことを
清盛に話し、清盛が喜んだこと。また閻魔は尊恵に法華経を五重の箱に入れて
閻魔王府の東門に当たる聖地有馬の温泉山に納めるように伝えたことなど、尊恵には
有馬や清盛に関わる冥府訪問の物語が伝わっている。
歴史的には、平安末期の土砂崩れで有馬温泉は中断し、清盛に関して入湯の記録や
伝説はない。兵庫の清盛塚十三重の石塔建立のように、清盛没後およそ百年のころに
供養のために建てられた温泉寺の五輪塔に、尊恵の有馬の伝説が結びついて、江戸前期
に摂陽群談という解説が信じられていたのであろう」


池之坊満月城遭難者慰霊塔

上の写真は池之坊満月城遭難者慰霊塔です。
1968年(昭和43年)11月2日、午前2時40分に起きた池之坊満月城火災は
焼失面積6,630平方メートル。246人の宿泊客のうち30人が死亡、
44人が負傷する大惨事であった。

犠牲者の多くは、富山から来ていた会社従業員達だったという。新婚旅行中の
2組の夫婦も命を落としたそうである。ご冥福を祈ります。

池之坊満月城



上の2枚の写真は池之坊満月城の近景と遠景

石仏

上の写真は本堂前の石段の脇にある石仏

古写真

上の写真は明治中期に撮影された温泉寺も含む有馬温泉
出典:資料館「御祖師庵」の展示


行基と温泉寺




上の写真は温泉寺の開基である行基と薬師如来との伝説です。
出典:資料館「御祖師庵」の展示

有馬温泉の歴史は古く、神代に大己貴命(おおなむちのみこと)と
少彦名命(すくなひこなのみこと)の2つの神様が傷ついた鳥が湧き出した
泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのが始りと伝えられています。
日本書紀の中にも舒明天皇が631年に孝徳天皇が647年に行幸したとの
記述があり日本最古の温泉と考えられています。

行基(668-749)は湯山=有馬温泉に来て薬師如来を安置して温泉寺を
建立し、有馬温泉の発展に寄与した。
温泉寺の薬師如来は草津温泉の古刹光泉寺、と(山中温泉の薬師院温泉寺
あるいは城崎温泉の温泉寺、あるいは道後温泉の石手寺の中の一つ)
と共に日本の三大薬師の一つとされています。

また鎌倉時代、仁西上人は12の宿坊を建てさらにかの豊臣秀吉は湯山御殿
を建てて江戸時代以降の有馬温泉の繁栄の基礎を固めた人物であります。
このことから行基、仁西上人、豊臣秀吉のことを有馬の三恩人と呼んでいます。


上の写真は行基像
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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

2018年10月04日 04時43分55秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第4弾としてゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像について
記していきます。
訪問日:2018年9月25日

過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


ゆけむり広場の秀吉像


上の写真はゆけむり広場の秀吉像です。昭和57年(1982)5月30日有馬ライオンズクラブCNの
10周年を記念して寄贈されました。
作者は彫刻家の新谷英子さんです。 題目は「茶人太閤像」



上の写真はは手前がゆけむり広場で秀吉像の遠景が写っています。


上の写真はゆけむり広場の滝と河童の像
滝は湯けむりに見立てたものです。河童の像「友情」は平成5年(1993)、
札幌市定山渓温泉から提携20年を記念して贈られたものです。

行基、仁西上人、豊臣秀吉のことを有馬の三恩人という。

行基(668-749)は湯山=有馬温泉に来て薬師如来を安置して温泉寺を
建立し、有馬温泉の発展に寄与した。
温泉寺の薬師如来は草津温泉の古刹光泉寺、と(山中温泉の薬師院温泉寺
あるいは城崎温泉の温泉寺、あるいは道後温泉の石手寺の中の一つ)
と共に日本の三大薬師の一つとされています。

建久2年(1191)吉野の高原寺の僧、仁西上人は熊野権現のお告げに従い有馬温泉にやってきました。
仁西上人に連れてこられた人々(平家の残党とも言われる)に十二神将にちなんで十二坊を営ませた。
十二坊は下記のとおり。
池坊、奥の坊、角の坊(休所)、二階坊、尼崎坊、中蔵坊、兵衛(北の坊)、下大坊
中の坊、横の坊、上大坊、茅の坊


豊臣秀吉は天正10年(1583) は有馬温泉再興のために手厚い保護と援助を行っています。
1583~94年の11年間に北政所をともない、9回も入湯。北政所は薬師堂の再建に銭千五百貫と
毎年百石の米を寄進しています。

天正18年(1590)には阿弥陀堂で大茶会が開かれています。
千利休、小早川隆景、有馬法印らが参加しています。





上の2枚の写真はゆけむり広場側からねねの像がある赤色の「ねね橋」を臨む風景で秀吉像が
有馬川をはさんでねね像と向かい合っています。

ねね橋のねね像






上の3枚の写真はねね橋とねね像の近景と遠景

ねね像は有馬ライオンズクラブ20周年(1992) 25周年(1997)記念事業で設置
されました。 作者は秀吉像と同じ彫刻家の新谷英子さんです。

ねねは、秀吉の死(慶長3年(1598)8月18日)以降も有馬復興に尽力した
有馬温泉の恩人の一人です。


ねね橋平成8年(1996)に設置されています。
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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺

2018年10月03日 05時02分24秒 | 神戸情報

有馬温泉の散策記の第3弾として善福寺について記していきます。
訪問日:2018年9月25日

過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

有馬温泉散策記の全部のブログは下記ブログにリンクしています。

 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その12(最終回) 親水公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

善福寺は僧行基(天平勝宝元年(749)に寂)が有馬温泉の温泉寺を開いた時、
「落葉山 水月庵」として開祖(その当時は法相宗)し建久2年(1191)吉野の僧
仁西が再興した有名な寺です。
境内には樹齢270年を超える4本の枝垂しだれ桜があり、「糸桜」いとざくらと呼ばれ
桜の時期には賑わうようです。

善福寺の境内についてはデジカメのバッテリーがあがる寸前であまり写真を撮れていません。

善福寺の基本情報

住所:神戸市北区有馬町1645  TEL:078-904-0127
宗派:曹洞宗  山号:光徳山 御本尊:一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)
開山:神亀4年(727) 行基により開山
再興:建久2年(1191) 仁西が再興
年中行事:4月に桜まつり 11月2日-3日に 有馬大茶会(献茶会)
文化財:木造聖徳太子像(重文)、阿弥陀堂釜、豊臣秀吉北政所寄進状


本堂


上の写真は正面側から撮った本堂


上の写真は裏側(落葉山 妙見寺への参道)から撮った本堂 


利休居士供養塔



現地説明板




善福寺由緒について要約して記載していきます。

善福寺は僧行基(天平勝宝元年(749)に寂)が有馬温泉の温泉寺を開いた時、
「落葉山 水月庵」として開創した法相宗の寺であった。後に建久2年(1191)
吉野の僧仁西が有馬温泉を再興した時、温泉寺と共に水月庵も再興された。

本尊は一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)である。インドの月蓋長者が閻浮檀金で
鋳造した仏像。伝来して新羅王より聖徳太子に贈られた。後に多田源氏の祖源満仲が
念持仏として祀らせ多田院に安置させたものを、正慶2年(1333)善福寺本尊として
購入した。(善福寺縁起)。寺号を善福寺としたのはこの頃と思われる。
宝徳4年(1452)相国寺の僧瑞谿周鳳(ずいけいしゅうほう)の「温泉行記」には、
善福寺と記す。

(中略)

秀吉は有馬温泉を好み、入湯は十度を越えている。温泉寺の三院の一つ蘭若院阿弥陀堂や、
その本寺であった善福寺へは秀吉や北政所による所領安堵、寄進があり、善福寺住僧は
湯山代官の一人であり、一の湯の燈明寺として温泉寺や温泉の管理寺であった。

曹洞宗に改めたのは、太清宗灌の本願により、永平寺の末寺、宇治市興聖寺5世
万安英種を勧請した17世紀初頭である

(中略)

現在の本堂は宝暦7年(1757)上棟で神戸市の歴史的建造物、樹齢200年を越える
「糸桜」は一重の花びらのしだれ桜で、神戸市の銘木に指定されている。



古写真など

上の写真は明治中期の有馬温泉郷 善福寺は右手の真ん中あたり(落葉山の麓)


上の写真は寛政年間(1789-1801)に刊行された摂津名所図会で描かれた善福寺
中央部分に善福寺が描かれています。

木造聖徳太子像

上の写真は木造聖徳太子立像(南無仏太子像) 神戸市立博物館に寄託
国指定 重要文化財(彫刻)大正3年(1914)4月17日指定
鎌倉時代に製作 木造 寄木造り 像高68.5cm ト書:法印湛幸ノ胎内銘アリ
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page56

阿弥陀堂釜

上の写真は阿弥陀堂釜で明治の廃仏毀釈で阿弥陀堂が廃寺となり阿弥陀堂より善福寺
に移動されたものです。

阿弥陀堂釜は秀吉が利休に命じ、天下一与次郎に阿弥陀堂住持澄西
(文禄4年(1595)寂)の大頭に模して作らせた。秀吉好みの大振り荒肌の茶釜であり、
大名、武将に好まれた阿弥陀堂釜の原型である。

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2018年 ひょうごまちなみガーデンショー in 明石 on 2018-9-28

2018年10月02日 04時52分18秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年9月28日、兵庫県立図書館に行く途中、明石公園でひょうごまちなみガーデンショー
が行われており写真を撮りましたので紹介します。


2018年 ひょうごまちなみガーデンショーの基本情報
会期:2018年9月22日(土)~30日(日) 台風24号の影響で 9月30日(日)は中止
場所:県立明石公園他 時間:10時~16時
問い合わせ先:ひょうごまちなみガーデンショー実行委員会事務局(TEL:078-918-2405)
テーマ:ひょうご花緑物語
開催開始:平成6年(1994)、2018年で25回目、明石では11回目


公式サイト:http://www.hyogohanamachi.jp/gardenshow/index.html

案内リーフレット





参加型イベント





現地写真集

明石駅コンコース

明石海峡大橋が表現されています。

明石駅南側

蛸(タコ)が表現されています。


株式会社サングリーンのデモ展示 「波と花の街 明石」

明石公園での展示
 西芝生広場
 

 

 ハンギング・壁掛け
 

 


 本部テント付近の展示
 

 

 

 

 

 
   日本昔ばなしの展示
 
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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

2018年10月01日 03時35分34秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第2弾として袂石(たもといし)について記していきます。
訪問日:2018年9月25日

過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

袂石(たもといし)




上の写が袂石で別名は礫石(つぶていし)です。
太閤橋のかたわらにある石で松永城主と熊野久須美(くまのくすみ)に関わる有名な
伝説があります。注連縄が巻かれた状態で祀られています。


上の写真は太閤橋を中心に撮ったものですが橋の向こうのトイレの手前にあります。


現地説明板



上の写真が現地説明板。

袂(たもと)石(礫(つぶて)石)

昔、この北二里ほどのところにあった道場城(どうじょうじょう)の殿様が葦毛(あしげ)の
馬に乗り、重藤(しげとう)の弓と白羽の矢を持ち、有馬の山で鷹狩をしたことがあった。
山中で出会った美しい乙女を怪しく思った殿様は乙女に向かって矢を放った。
その途端に殿様は目がくらんで落馬してしまったという。

実は乙女は湯泉神社に祀られる熊野久須美(くまのくすみ)の女神であった。矢を放たれて
逃げながら乙女は袂(たもと)に小石を入れて身構えたが、殿様が落馬して追って来られない
ことを知って、ここに袂の小石を捨てたとも、逃げながら乙女が殿様に小石を礫(つぶて)の
ように投げたともいう。その小石が時と共に大きくなって この巨石となった。
袂(たもと)石とも礫(つぶて)石とも呼ばれるこの石には、女神の力が宿っているという。
この言い伝えから江戸時代には葦毛の馬・重藤の弓・白羽の矢・鷹狩の姿で有馬を訪れると、
神の怒りで山河が鳴動するほどの大嵐になると恐れられていた。

一説では、この巨石は有馬で流行った疫病を追い払おうと、大己貴(おおなむち)の神が
六甲山から投げ降ろしたものなので、この石をさすった手で体を撫でると、病や怪我が
いやされるとも信じられてきた。

小石が年とともに巨石に成長するという信仰は日本各地にあり、「さざれ石の巌(いわお)と
なりて」という君が代の歌詞も同様の考えに基づいている。なお、『西摂大観』では乙女に
矢を射たのは松永某(なにかし)と記されているが道場城主なので正しくは松原氏であろう。

                 (園田学園女子大学名誉教授 田辺眞人)
                   一般社団法人 有馬温泉観光協会


袂石の基本データ
有馬温泉観光協会の公式サイトによれば

高さ約5m、周囲約19m、重さ約130トンとあるが

実際にみた感じでは高さは2m前後位に思えました。
周囲長も上記数値より小さいように感じました。


摂津名所図会

上の写真は寛政年間(1789-1801)に刊行された摂津名所図会で描かれた道場城の殿様と
美しい乙女の伝説(物語)を表した絵です。
コメント
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