CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

鉄板ビストロ  キャトル(Quatre)でのランチ on 2018-10-9

2018年10月13日 04時05分39秒 | 神戸情報
2018年10月9日、西舞子の鉄板ビストロ  キャトル(Quatre)でランチを頂きましたので
写真紹介します。隣の南園にはよく行きますがこちらは初訪問です。
2017年5月29日の開店から気になっていた店です。

鉄板ビストロ  キャトルの基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2-12-28  TEL:078-742-7374
営業時間:11:30~14:00(ランチ) 17:00~21:00(ディナー)
定休日:木曜日  お店の英文名:Quatre
開店:2017年5月29日


公式サイト:https://quatre4.amebaownd.com/
公式FB:https://www.facebook.com/pg/TEPPAN.BISTRO.Quatre/about/


上の写真は鉄板ビストロ キャトルの所在地の地図です

当日は2人ともランチの定食 2,000円(税別)を注文しました。


上の写真は前菜 キノコとチーズのパートブリック包み 生ハムのサラダオレンジソース




次にカボチャのスープとパンが出てきます。(上の2枚の写真)


上の写真は奥様のメイン 明石浦のお魚料理


上の写真は私がチョイスした国産牛ハンバーグ


上の写真はお楽しみのデザート
写真はありませんがコーヒー又は紅茶がつきます。


メニュー

上の写真は私達が当日いただいたランチの定食


上の写真は3種類の肉が楽しめるランチ


上の写真はランチビール300円、ワイン500円(ランチタイムのみ)


上の写真は女子会ランチ(2,500円)などのメニュー

店の外観


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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その12(最終回) 親水公園

2018年10月12日 04時12分17秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第12弾(最終回)として親水公園について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

親水公園には神鉄有馬温泉駅からねね橋を渡ったところから下に降りて行けます。


過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

第7回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山

第8回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その8 御所泉源

第9回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その9 一願不動地蔵

第10回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その10 増冨稲荷神社


第11回  有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その11 仏座巌



上の写真は太閤橋から観た親水公園


上の写真はねね橋から観た親水公園

親水公園は有馬温泉の中心地を流れる有馬川の河川敷を利用した公園です。
春は桜、秋には紅葉が楽しめます。


毎年7月下旬から約1か月間、涼風川座敷が開催されます。

上の写真が川座敷の様子です。
出典:有馬温泉観光協会編 しっとりと有馬 Page59

連載を終えて
今回、2018年9月25日に有馬温泉に初めて神戸電鉄を利用して訪問し散策記を無事
書き終えました。

残念ながら途中でデジカメのバッテリーがあがった為、昼食を含めて約2時間の短時間の
滞在となった為、写真が少なく有馬温泉の見所を十分に紹介できていません。


本来なら温泉に浸かってゆっくりとした時間を過ごす為に宿泊したいところですが、有馬温泉
では温泉の導管がすぐに閉塞してしまい、そのメンテナンスの為に多額のコストがかかる事も
あり、割高な料金であるため頻繁に宿泊できません。
(私の場合、過去に1回しか宿泊したことがない)

今までに書いていないトピックスを添えてシリーズを終了したいと思います。

上の写真は有馬温泉を訪れた著名人のリストです。
出典:有馬温泉観光協会編 しっとりと有馬 Page33

上記リストで外国人の訪問者があまり書かれていないので少し補充しておきます。
明治以降、多くの外国人が訪問しています。新島襄とともに同志社を創設した
ジェローム デービスはここ有馬温泉で三田藩主の九鬼隆義に出会っています。
また明治5年開校の宇治野英学校(のちの神戸女学院)の開設に尽力したD.C.グリーン
さらにタルカット女史やダッドレー女史も有馬を訪れています。
有馬温泉には外国人が宿泊できる杉本ホテルや洋館2階建てのJAPAN 大日本 有馬温泉
が建設され保養と伝道さらに情報交換の場として有馬温泉に多くの外国人が訪問する
ようになっています。
現在でもみた感じでは50%以上が外国人観光客であると思います。

有馬温泉の近代化に貢献した外国人としては炭酸水が有効であると分析したオランダ人の
ドワルス、上述の大日本JAPANの洋館を計画したゲールツがいます。


上の写真は有馬温泉の汚水のマンホール蓋です。



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高砂 かき幸でのランチ on 2018-10-10

2018年10月11日 06時12分40秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月10日、高砂神社の秋祭りを観に高砂市に出かけていました。
当日、山陽電鉄に到着したのは8時20分頃で雨がまだ降っていなかったのですが
高砂神社での祭事の時はじゃジャ降りの雨で傘を使用していましたが、ひどく濡れて
しまいました。神輿が高砂神社を出発し御旅所に向かう時間が11時頃でこれを見終えて
高砂 かき幸さんに入店し、ランチをいただきました。

高砂 かき幸の基本情報

住所:兵庫県高砂市高砂町田町466(高砂神社北詰) TEL:079-442-0830
料理ジャンル:日本料理(名代かき料理、穴子懐石料理など)
営業時間:昼 12:00~14:00 夜 17:15~21:30
定休日:月曜   創業:大正9年(1920)


公式サイト:http://www.restaurant-kakikoh.com/


当日、注文したのは名代穴子重膳  1,800円(税別)です。
雨で濡れて体が冷えていたので日本酒の熱燗 500円(税別)も注文しました。




上の2枚の写真が名代穴子重膳で穴子重の他にサラダと出汁巻きが付きます


上の写真は穴子重のアップです。
美味しくいただきました。


メニュー表





お店の外観



高砂神社の秋祭り

高砂神社の秋祭りに関するブログを作成できるかどうか判らないので秋祭りに
関係する写真を2枚だけ添付しておきます。



上の2枚の写真は8時54分ころ猿田彦を先頭に高砂神社に向かう中部の皆様の行列
中部は神輿担当です。

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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その11 仏座巌

2018年10月11日 04時59分43秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第11弾として仏座巌について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

仏座巌は神鉄有馬温泉駅から太閤橋を渡った右手の有馬川の河畔にあります。


過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

第7回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山

第8回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その8 御所泉源

第9回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その9 一願不動地蔵

第10回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その10 増冨稲荷神社



上の写真は仏座巌


上の写真は仏座巌の説明板。

昔、「仏座巌」は、その形が仏座に似た巨岩であり、寛文の時代(1660年代)に洛(京都)の
東南・霞谷の竹葉庵に隠棲し、徳が高く博学の当代一流の詩人・文人である日蓮宗の
高僧・元政上人が命名したとされる。
元政上人は、寛文5年(1665)秋と、寛文7年(1667)春の二度、有馬を訪れ、その滞在記
「温泉遊草」中の「仏座巌記」では「その上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある」
と巨岩の様を表現している。
このように一代の大徳に命名され、賛美された「仏座巌」は、早々に有馬の名物となり、
諸記にその名を残すこととなる。

  賎の女やつみたすからん仏座巌 上に菜まいたまいたまいた
                               「迎陽有馬名所鑑」

後の文化9年(1812年)6月25日、大洪水により埋没し、遂にその巨大な威容は消え、
現在の姿になったと言われる。



上の写真は仏座巌の近くの小さな祠


上の写真は仏座巌のある場所の遠景
元湯 古泉閣の泉源が目安
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たるみ燐寸博物館への訪問記 on 2018-10-9

2018年10月10日 04時39分52秒 | 神戸情報
2018年10月9日、JR垂水駅からほど近く国道2号線に面してある「たるみ燐寸博物館」を
訪問することが出来ましたので写真紹介します。

燐寸=マッチ

たるみ燐寸博物館の基本情報

住所:神戸市垂水区宮本町1-25 ビル・シーサイド西201 TEL:078-705-0883
開館時間:13:00~19:00 開館日:不定(来館の場合、要予約連絡)
入館料:300円(2018-5-1より徴収)
開設:2015年


公式サイト:http://www.in-red.net/?page_id=1127

所在地のGoo地図を添付しておきます。



上の写真は展示室の全景
現在、データベースを構築作業中ということで床に置かれたものも多くありました。




上の2枚の写真は正面壁面と右側壁面の展示


上の写真は壁に貼ってあった「たるみ燐寸博物館」の看板


以降は気になった燐寸のラベルを写真紹介していきます。

上の写真は宝塚歌劇のラベル


上の写真は仏様のようなラベル


上の写真は神戸港の風景をバックにオリエンタルパーラーの銘


上の写真はグッゲンハイム邸の絵が描かれたラベル


上の写真は垂水センター街のブラジルのマッチラベル


上の写真は酒場シャトレの銘が入ったマッチラベル


上の写真はSUNTORY BAR 最後の岸の銘が入ったマッチラベル


上の写真は1974-1975年に入手のマッチラベル 勝海舟の特集


マッチは文政10年(1827)イギリスの薬剤師J.ウォーカーが摩擦マッチ、ウォーカーマッチ
(Friction Lights )を発明し、販売したのが始まりで、その後1855年スウェーデンの
イェンシェピング社のJ.E.ルンドストレームが安全性を改良した「安全マッチ」を発明
特許も取得し普及していった。

日本ではマッチは明治の初め早附木(はやつけぎ)とか摺附木(すりつけぎ)と呼ばれ
最大の輸入品であった。

国産のマッチ製造に貢献したのは燐寸の開祖、清水 誠(まこと)(1845-1899)です。
彼は明治8年(1875)東京霞ヶ関の吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功
その後改良を加え明治9年(1876)4月に東京三田四国町に「新燧社(しんすいしゃ)」を
設立、同年9月に東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始した。


上の写真は上に記載の東京本所柳原町の国産マッチ発祥の碑です。
表には現在は無い、当時のマッチラベルの図案が刻まれているようです。
1986年8月東京都によって建立されたものです。両国高校の隣にあるようです。
たるみ燐寸博物館の小野隆弘さんが撮られたものが展示されていました。
亀戸天神社の境内には清水 誠氏の経歴が書かれた顕彰碑があるそうです。
関連サイト:http://match.or.jp/matchjiho/business3338




神戸では明治10年(1877)神戸監獄使役場での生産が初めてと言われている。
その後荒田町、湊町、琴ノ緒町、大開町などで民間のマッチ生産が行われました。
明治12年(1879)本田義知が明治社、明治13年(1880)滝川辨三が清燧社を設立
操業を始めた。明治18年(1885)播磨幸七が鳴行社を、明治20年(1887)には
直木政之助が奨拡社。滝川辨三の養子の瀧川(梶岡)儀作は良燧社を設立した。
直木政之介は燐寸輸出の覇者として知られています。

これらの人物の内、滝川辨三は「日本のマッチ王」と呼ばれている。彼は燐寸工場を合併して
大同マッチを設立、一時期1社でシェア70%を占めるまで成長させた。
最盛期の大正8年(1919)には神戸のマッチ生産額シェあは80%を占めていた。
また、同年の輸出においては神戸港が全国の79%を占めていた。
昭和に入ってからは生産地の中心地が姫路、淡路などに移るようになって神戸における
マッチ生産量シェアも減少しています。

製造初期の頃から黄燐マッチの製造工程における健康被害が社会問題化していたが
日本では欧米諸国から遅れること約30年、1921年(大正10年)になって日本は
ようやく黄燐マッチの製造を禁止し、赤燐を頭薬に使用し、
マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけた赤燐マッチが登場。さらに側面に赤燐を使用し、
発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと
発火しない安全マッチに発達していきます。

最初の新聞紹介
読売新聞 2013年5月11日 夕刊 
 小野隆弘さんが紹介されています。

関連ブログ(小生のブログ):

 日本燐寸工業会のPR展示 in 野村證券神戸支店 on 2017-8-22


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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その10 増冨稲荷神社

2018年10月10日 03時42分04秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第10弾として増冨稲荷神社について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

増冨稲荷神社は神鉄有馬温泉駅から太閤橋を渡った左手の有馬川の河畔にあります。


過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

第7回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山

第8回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その8 御所泉源

第9回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その9 一願不動地蔵

増冨稲荷神社の基本情報

住所:神戸市北区有馬町
御祭神:増冨大明神  創設:明治40年(1906)11月3日



上の写真は増冨稲荷神社の祠です
名前からして現在、富のある人にとって富が増すということで、ありがたい御利益
がありそうな神社である。


上の写真は増冨稲荷神社入口の鳥居
昭和4年(1929)6月に建立との銘


上の写真は手水舎


上の写真は境内の石碑「有井翁 頌徳日」
神社の設立に尽力された方なのか? 未調査で不明



上の写真は増冨稲荷神社から観た太閤橋


上の写真は太閤橋から観た増冨稲荷神社の遠景 右手に鳥居が見えるところ


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2018年 舞子六神社 秋祭り on 2018-10-7

2018年10月09日 05時45分57秒 | 神戸情報
2018年10月7日、舞子六神社の秋祭りを見学してきましたので動画と写真で紹介します。

まず、舞子六神社の概要について記していきます。

舞子六神社(旧称は六社大明神)の基本情報
住所:神戸市垂水区西舞子1-5-7  TEL:078-781-5584
創建:元禄2年(1689)9月9日より古い。
    地元では六社(ろくしゃ)さんと呼ばれ親しまれている。
   神輿渡御の際に金幣3本が奉納の記録「播州明石郡山田村之住施主」
御祭神:伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
    伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
    天照皇大神(あまてらすこうたいしん)
    素盞男大神(すさのおのおおかみ)
    月夜見大神(つくよみのおおかみ)
    蛭子大神(えびすたいしん)

    明石市の岩屋神社と同じであることから
    この時期に岩屋神社より分霊されたものであろう。
氏子: 約3,000戸 東舞子1丁目、2丁目、仲之町、戎之町、西舞子
          北之町、川西町
境内社 :四社一宇
       大歳社(豊宇気比賣命)
       白髭社(貴船大社)
       五社稲荷(五社大明神)
       須賀原社(菅原大明神)

    二社一宇
       大黒宮(大国主命)
       戎宮(蛭子大社)

    稲荷社(お松大明神)(倉稲魂大社)


公式HP:http://rokujinjya.jp/

公式FB:https://ja-jp.facebook.com/maikorokujinjya/


いきなりですが動画で2018年の舞子六神社の秋祭の様子を紹介します。

2018年 舞子六神社 秋祭り on 2018-10-7



御神輿







上の写真は御神輿です。

布団太鼓







上の4枚の写真は舞子六神社の秋祭りで使用されているふとん太鼓
昭和30年代後半に焼失して以来、長らく途絶えていたが、平成10年(1998)に
明石の岩屋神社から譲り受けたものを修復して復活した。

子供神輿


子供布団太鼓




秋祭PRポスター


秋祭神輿など巡行ルート


秋大祭スケジュール


秋祭り写真

上の写真は神事でお祓いを受ける為に鳥居前に運ばれた布団太鼓
明神鳥居は昭和43年(1968)に明治から100年からを記念して建立されたもの


上の写真は猿田彦と布団太鼓が写っています。


上の写真は拝殿前で神事を待つ神輿と子供神輿

垂水の秋の伝統行事
2018/09/27 に神戸市の記者発表
昨年(2017年)に発行した「垂水の布団太鼓」に引き続き、「垂水の秋の伝統行事」の
冊子が垂水郷土芸能保存会より発行されました。

上の写真は冊子「垂水の秋の伝統行事」の表紙です。

中身(内容)を観たい方は神戸市のトップサイトより
トップページ > 総合メニュー > 市政情報 > 記者発表資料 > 2018年9月 > 「垂水の秋の伝統行事」冊子が完成!
と進んでください。PDFファイルでプリントアウトできます。

神戸市垂水区役所のトップから
垂水区 > 垂水区はこんなまち > 区の概要 > 伝統芸能  と進んで下さい


上の写真は神戸市垂水区内の秋祭の日程一覧表です 出典:神戸市報(垂水区版)

境内案内
拝殿

上の写真は拝殿の正面写真です。
拝殿前の狛犬は平成1年(6月)石井正氏は奉納されたものです。
手前の燈籠は山田屋与兵衛氏が亨和1年(1801)大坂永代燈一対を奉納。
左側の燈籠は一部しか写っていませんが。

本殿

上の写真は本殿

手水舎と奉納燈籠

上の写真は拝殿前の燈籠と手水舎です。 撮影:2012-11-24
Aの石灯籠(左側と一対になっている)は山屋七五郎氏が天保3年(1832)に奉納
Bの手水舎は大正時代初期の造営
Cの石燈籠は舞子海産製造組合が奉納したもので建立年月日は記載されていないが
石玉垣が造られた時期(昭和4年)と大体同じ時期に奉納された推測されています。

参照:溝上重夫氏の著書「舞子六神社誌」1988年3月31日郷土史研究第5集

四社一宇



上の2枚の写真は四社一宇 右手より大歳社(豊宇気比賣命)、白髭社(貴船大社)
五社稲荷(五社大明神)、須賀原社(菅原大明神)

四社一宇の祠の前の狛犬は寛政7年(1795)9月吉日に奉納されたものです。旧明石郡では
柿本神社の狛犬宝暦4年(1754)ほどは古くないが大坂で製造され運搬されてきた狛犬
として貴重な文化財であると思います。

二社一宇



上の2枚の写真は二社一宇の祠で左手は大黒宮(大国主命)の祠、右手は戎宮(蛭子大社)。
大黒宮の左手は大黒石像、戎宮の右手は戎石像です。
二社一宇の大黒宮と戎宮は昭和40年(1965)に創建されました。
ここに設置されていた旧の戎社は移築され現在は納札所として利用されることとなった。
大黒石像と戎石像はもと垂水区歌敷山3丁目の愛徳学園にあったもので昭和40年(1965)
大西宗十郎氏と立花佐市氏が愛徳学園より購入し寄贈されたものである。
世話人は大塚勇氏。
戎、大黒の石像は日本一とされている。
戎の石像については大きさは小さいが昔からあったものが今も残っています。
昭和9年、山田村字川東2149番地に鎮座していた戎社が台風で流失したため現在地に
移築されたとの記録があるのでこの時に戎石像も移築されたものか?


上の写真は大黒石像です。


上の写真は戎石像です。


上の写真は昭和40年(1965)建立の石碑

市民の木



上の2枚の写真は市民の木に指定されている「えのき」の大木と現地説明板です。
えのきの大木は昭和51年(1976)11月12日市民の木 第42号に指定

稲荷社

上の写真は稲荷社(お松大明神)(倉稲魂大社)
左手に現在「納札所」として利用されている旧戎社の一部が写っています。
昭和38年(1963)に改修されています。
橋の下のお松さんと親しまれてきた祠で明治の終わり頃山田橋のたもと
(山田橋の東南隅)に移され、その後、六神社の境内社となった。

不明の石造物


境内位置図

上の写真は昭和13年(1936)頃の舞子六神社の境内配置図です。
現在存在していない祠として竜王の名前が見られる。
竜王は雨乞いを司る神様で寛政7年(1795)に多聞寺の塔頭の理教院、西方院、実相院
及び明王寺の宝どう院が合同で山田村宮で祈祷のあと雨乞いのため御座船を出したとの
記録(多聞寺行事諸事控)が残っています。

舞子六神社の歴史年表
舞子六神社の歴史を箇条書きで記します。

江戸時代前期 岩屋神社より分霊を受け、播州明石郡山田村の総鎮守として
六社大明神の社を建てる

文久2年(1862) 明石藩城主の松平慶憲が山田村神社前に台場を設置
慶応4年(1868)3月 神仏分離令により明神号を廃止。六社神社となる。
明治7年(1874)2月 社格が村社となり六神社と改称
明治10年(1877) 落雷火災により社殿消失
明治12年(1879) 神輿再建
明治13年(1880) 山田村大歳山にあった大歳神社を六神社境内に遷宮
明治23年(1890) 7月31日六神社社殿を再建
明治41年(1908)山田村川西鎮座の素盞男神社を六神社に遷宮
大正7年(1918)4月25日 山田村字舞子鎮座の稲荷神社(五社大明神)六神社に遷宮
昭和9年(1934)9月 山田村字川東2149番地に鎮座の戎神社を六神社境内に遷宮
昭和40年(1965)四社(大歳社、五社大明神、白髯大明神、須賀原大明神)を改築
         四社一宇とする。
         二社一宇の戎宮と大黒宮を創建する。
昭和41年(1966)社務所を新築
昭和43年(1968)明治100年記念 大鳥居と国旗掲揚柱を氏子が奉納
昭和55年(1980)神具庫を新築
平成2年(1990) 舞子漁友会、舞子農業会一同が戎・大黒宮前の鳥居を奉納
平成19年(2007)10月6日 平成の大修理


海岸からの風景

上の写真は明石海峡大橋方面の遠景


上の写真は明石市方面の遠景

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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その9 一願不動地蔵

2018年10月09日 04時33分28秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第9弾として一願不動地蔵について記していきます。

訪問日:2018年9月25日

一願不動地蔵は御所泉源のすぐ近くの対面にあります。


過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

第7回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山

第8回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その8 御所泉源


上の写真は一願不動地蔵です。

右手の賽銭箱が仕掛けがあり賽銭を入れると『上を向いて歩こう』が流れてきます。
さらに、その後、お経が流れてくるそうです。
私は写真を撮らせていただいただけで実体験は出来ませんでした。

龍泉閣のサイトにはさらに詳しく記載されており引用紹介します。

この一風変わったお地蔵様の発案者は、元有馬小学校の校長先生で、有馬の工房で、
お蕎麦屋さんを営んでいる北村さんです。北村さんは、有馬温泉のホタル博士で、
龍泉閣で育てているホタルも、監修していただいています。



上の写真は現地の説明板です。
一部葉っぱで隠れて判読出来ない部分もあり正確ではありませんがそのまま記載します。
不動石仏 花崗岩の自然石に刻まれた仏像で、有馬で最も古い石造物のひとつです。
向かって右の像は天文5年(1536)浮き彫りの不動尊立像で、左側は天文22年(1553)
追加して彫られた地蔵尊です。その後の数度にわたる大火により、顔面などは剥離し、
現在では輪郭しか残っていません。
また右の板碑には「南無阿弥陀仏」と書かれています。阿弥陀仏に帰依し奉る意であり、
「六字名号」または「名号石」といい浄土宗の本尊を表しています。
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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その8 御所泉源

2018年10月08日 04時02分48秒 | 神戸情報
有馬温泉の散策記の第8弾として御所泉源について記していきます。

訪問日:2018年9月25日




過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

第3回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺


第4回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その4 ゆけむり広場の秀吉像とねね橋のねね像

第5回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その5 温泉寺

第6回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その6 有馬六景

第7回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その7 有馬三山


上の写真は御所泉源
金泉で温度は83.5℃ 泉質は含塩ナトリウム・塩化物強塩高温泉


上の写真は現地説明板
次のように書かれています。「金泉(赤湯)には、塩分と鉄分が多く含まれ、特に
塩分濃度が日本一の温泉として有名です。」


上の写真は幟旗


上の写真は有馬温泉の泉源と泉質
出典:有馬温泉観光協会編 しっとりと有馬(1999)



上の写真は御所泉源の位置を明示した地図
出典:ゆけむりバス ルートマップ
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2018年 海神社秋祭り

2018年10月07日 05時38分27秒 | 神戸情報
本年度も海神社の秋祭りが10月10日、11日、12日に行われます。

海神社は船舶の安全を願い魚業発展を祈願する海上渡御と陸上での巡業が
行わます。秋の例祭は毎年10月10日より12日にあります。
底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の三神を祀っており、社伝では
千数百年の歴史があり、神功皇后が三韓へ出兵帰途のとき、垂水沖で軍船が暴風雨に
見舞われたが、鎮静を祀ったところ、暴風雨がおさまり、無事に都へ帰れたというのが
鎮座の由来とい言われている。通常かいじんじゃという名前で呼ばれていますが
わたつみ神社という別名で呼ばれる場合もあります。
神戸市垂水区を代表する神社である。

海神社の基本情報

住所:神戸市垂水区宮本町5-1  TEL:078-707-0188及び0189
御祭神:底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
末社:蛭子神社、天神社


公式サイト:http://kaijinjya.main.jp/
布団太鼓の巡行コースなど秋祭りの詳細な情報が掲載されています。

2018年10月6日、垂水センター街で
PRポスターなどの写真を撮りましたので紹介します。



上の写真は西垂水の布団太鼓のPRポスター
下に巡行コースが書かれています。拡大版を添付しておきます。


上の写真は10月10日の西垂水布団太鼓巡行コース


上の写真は10月11日の西垂水布団太鼓巡行コース


上の写真は10月11日(夜)と10月12日の西垂水布団太鼓巡行コース


上の写真は西垂水のカレンダー



上の写真は2018年10月11日の予定表





上の2枚の写真は2018年10月12日の予定表


上の写真は西垂水と東垂水の布団太鼓ポスター
10月10日~10月12日の予定概略も記載されています。


上の写真は垂水ふとん太鼓秋祭りのPRポスター

塩屋と東高丸のポスターがないので昨年撮ったものを添付しておきます。

塩屋


東高丸


4地区が一堂に会し練り合わせ

10月11日(木)の17:00から行われます

2018年 海神社秋祭り on 2018-10-12 神輿の宮入(1)



2018年 海神社秋祭り on 2018-10-12 神輿の宮入(2)



上の写真は交通規制に関する情報です。

一昨年(2016年)の海神社秋祭り


上の動画は2016年10月10日に東高丸の布団太鼓の巡行の様子です。


上の動画は2016年10月12日に行われた海神社秋祭りの様子です。

関連ブログ:2016年 海神社秋祭りの情報

2015年の海神社秋祭り



2015年10月10日の塩屋布団太鼓の倉出光景と塩屋駅周辺での巡行を動画でまとめました。
塩屋若宮神社の布団太鼓は昭和43年(1968)に一度途絶えてしまいましたが、
平成20年(2008)に復活し今年で9年になります。伝統ある行事を如何に伝承していくか
課題も多いと思いますが是非今後も存続して欲しいものです。
若宮神社の石碑に次のような由緒書きが書かれています。
「旧塩屋村は摂津と播磨の国境に位置し、古来より顕宗天皇・仁賢天皇・安閉天皇を御祭神と
してあがめて参りました。江戸初期より伊勢講中(伊勢参宮を目的とした講。旅費を積み立て、
くじで代表を選んで交代で参詣した-大辞泉より-)が出来、お伊勢参りのおり村人達が道中、
大阪の四天王のひとつ愛染明王へお参りし、お札を受けてきたと古老よりいい伝えられている。
また梅ケ崎天神は旧東畑の岬にお祀りしていた所、浜地も無くなり明治初期に合祀されたと
伝えられている。三宝荒神は火の神様で江戸中期に旧塩屋村が大火に遭い村が全焼した為に
三宝荒神主を祭神としてあがめて参った所以であります。昭和63年6月吉日」


もともと塩屋は三里浜と呼ばれ、須磨の塩家と云われていた、潮の干満を利用して製塩を
していたところで、「須磨の海士の塩焼衣間遠にしあればまだ着馴れず(万葉集)」と
歌にも詠まれています。----神戸の神社より引用-----


2014年の海神社秋祭り


上の動画は瑞ケ丘八幡宮での西垂水布団太鼓(2014-10-11)


上の動画は海神社前での東垂水布団太鼓(2014-10-11)

関連ブログ:
 布団太鼓の屋台の部分名と海神社秋祭宵宮(ふとん太鼓巡行)on 2014-10-11

冊子「垂水の布団太鼓」の刊行
昨年(2017年)に刊行されました。


上の写真は冊子「垂水の布団太鼓」の表紙
編集・発行者は垂水郷土芸能保存会

西垂水、東垂水、東高丸、塩屋、そして六神社舞子の5台の布団太鼓の紹介と
歴史が記載されています。力作です。

冊子ではありませんが「播州垂水の布団太鼓」の表題でFace bookが作られていますので
リンクさせていただきます。

  https://www.facebook.com/播州垂水の布団太鼓-833076666715224/
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