『はね駒(こんま)』は、NHK連続テレビ小説の第36作として昭和61年(1986)
4月7日から10月4日まで放送された全156回のテレビドラマで、現在NHKBS3で
7時15分から7時30分に再放送中で一昨日(2020-8-20)時点で130回を数える。
明治から大正に活躍し女性新聞記者の草分けと言われた磯村春子をモデルに、
福島県の相馬に育った「はね駒」(=おてんば娘)の主人公が、仙台の女学校で
英語を学び、上京、結婚、出産を経て新聞記者の道を拓く半生を描く。
寺内小春作。斉藤由貴主演。1986年の平均視聴率は41.7%、最高視聴率は49.7%
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)
本ブログではモデルとなった磯村春子と夫の磯村源透に焦点を当て調べた結果
の概略を記していきます。
上の写真はNHKBS3で再放送の「はね駒」129話(2020年8月19日放送)の一場面
小野寺りん(斉藤由貴)が貧血だと寝ているときに小野寺源蔵(渡辺謙)が帰って
来て会話をしている場面です。
貧血の原因は3人目の赤ちゃんを身ごもって3か月だったと判明、りんは妊娠を
隠して祇園の芸妓(モデルはモルガンお雪)の取材のため京都に出かけていきます。
上の写真は第131回(2020-8-21放送)で京都行のおりんを見送る家族
前置きが長くなりました。本題の磯村春子と磯村源透についての話に移ります。
上の写真は本日(2020-8-22)放送の第132回でりんは京都での取材の無理が
たたり3人目の子供を流産してしまいます。流産後のおりんと源蔵の会話する場面。
磯村春子の経歴についてWikipediaより要約引用させていただきます。
磯村 春子(明治10年(1877)3月16日-大正7年( 1918)1月31日)は、明治・大正期
の新聞記者。長男は、国際東アジア研究センター名誉所長や東洋大学学長などを
務めた磯村英一(1903- 1997)。
明治10年(1877)、小泉伊助とカツの長女として、福島県相馬郡中村町
(現・相馬市)に生まれる。
小学校のころから教会に通い1891年(明治24年)に中村高等小学校を卒業。その後
宮城女学校(現・学校法人宮城学院)に入学。母校は明治19年(1886) に創立
されたばかりのキリスト教系の学校で、日本のキリスト教者の押川方義牧師等が
アメリカ合衆国の改革派教会宣教師ウィリアム・E・ホーイと開いた。
初代校長のエリザベス・R・プールボー宣教師 (Elizabeth R. Poorbaugh) が開学の年に
就任して女子教育を始め、春子も英語を中心に学んで卒業、同校で教鞭をとった。
ちなみに同校は評価を高めると1911年に認可を受け高等女学校となる。
実業家の磯村源透と結婚すると同時に上京。日本女子大学校(現・日本女子大学)や
女子英学塾(現・津田塾大学)に通ったともいわれる。
1905年(明治38年)、報知社(現・報知新聞社)に入社、堪能だった英語を活かして
来日した外国人を取材することもあった。磯村本人も外国要人を英語で取材した
場面を、著書『今の女』の付録「婦人記者の十年」などに入社した年にさかのぼって
回想している。1908年 (明治41年) 、アメリカ艦隊の来航に先立って親善の一行が来日、
外務省歴史資料センターに保管された「各国艦隊週航関係雑件米国ノ部一」
(資料番号5-020) に各新聞の明治41年8月初旬から9月半ばの切抜きがある。
9月9日付けの記事は磯村春子と思われる報知新聞の記者が書き、ほぼ1面をあてて
横浜港に到着した直後の12名の艦長夫人たちと子ども4名の様子を報じている。
1908年 (明治41年) 9月26日に来賓の艦長夫人や将校夫人ほかを接伴したときが
取材記者・磯村春子の初舞台であり、親善の一行が日本橋の三越呉服店に招かれると
着物姿で記念撮影をしたり日本食を味わったりする写真に写っていることから、
おそらく来賓の接待役だったと推察される。歓待ぶりは翌9月27日の『東京日日新聞』
ほか新聞各紙が掲載。東京日日新聞は名前と写真入りで「報知新聞記者兼一行の従者」
と報じた。また雑誌『風俗画報』の「米艦隊歓迎特集号」もその姿を紹介した。
この年、磯村は別の機会に同店を訪れた駐日大使の家族やアメリカの学生に取材し、
小雑誌「みつこしタイムス」に外国人客のようすを載せた。
磯村は子育てをしながら記者生活を送り明治43年(1910)9月8日には、山田猪三郎の
開発した初の国産飛行船(山田式1号飛行船)の浮揚実験に記者として同乗、日本の
女性記者の航空取材のさきがけとなった。後に、やまと新聞に移籍、日本近代小説の
英訳を志したとされるが、刊行されていない。
1918年(大正7年)、41歳で病のため死去。生涯で8人の子をもうけた。
横浜開港資料館のサイトに上述の明治41年(1908)米国太平洋艦隊の来日に先立って
親善の一行が来日した時の写真が掲載されているのでリンクしました。
長男の英一と長女竣子と一緒に写っている磯村春子の写真もあります。
 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/102/03.html
次に夫の磯村源透について調べた結果を書いていきます。
磯村源透さんは名古屋出身で泥炭や乾電池の製造事業をしていた実業家。
仏教の熱心な信仰者であった。
磯村源透は病気がちで、磯村春子の死後(大正7年(1918)以降)は、彼女の
実母に面倒を見てもらっていたそうです。
磯村源透が津田梅子に会った際、自分の妻について「日本婦人の能力はどのくらい
まで発展し得るかということを見たい」と言ったエピソードを春子自身が書いている。
理解ある進歩的な夫であったことが判るエピソードである。
上記の程度しか判明しませんでした。
磯村源透・春子夫妻の長男の磯村英一氏が「実録はね駒(ハネコンマ)”女”を
先駆けた磯村春子(オリンチャン)の生涯」という本を1986年に開隆堂出版から
出版されています。ここにはもう少し詳しく書かれていると思いますが未読です。
はね駒の再放送は来週月曜日より4週続き、9月19日(土)が最終回となる見込み
です。9月21日(月)からは沢口靖子主演の「澪(みお)つくし」が始まるようです。
はね駒と同様に熱心に視聴すると思います。楽しみです。
澪つくしはNHK連続テレビ小説の第34作として、1985年度前期(昭和60年上半期)
4月1日から10月5日まで放送。最高視聴率55.3%、平均視聴率は44.3%。
千葉県銚子を舞台に描く。醤油醸造を家業とする旧家一族の運命と絆の中で、
波乱万丈の人生を歩むヒロイン・かをると網元の長男・惣吉の純愛物語。