CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

NHKラジオ きょうは何の日 1月6日

2025年01月06日 13時51分22秒 | Weblog
本日は2025年1月6日(月)、きょうは何の日の話題を取り上げます。
1月6日~10日は日本の72候では第67候の「芹乃栄う(せりすなわちさかう)」です。
NHKラジオできょうは何の日の番組をよく聞いています。
本日は5時台のみ聞きました。

■1912年(明治45年)
 アルフレート・ヴェーゲナーがドイツ地質学会で初めて大陸移動説を発表。
 
■1941年(昭和16年) 
 大相撲初場所の番付発表で、高見山が外国人力士として初めて入幕(前頭9枚目)。
 この時から大相撲の国際化が始まった。

■2001年(平成13年)
 中央省庁再編。日本の中央省庁はこれまでの1府22省庁から1府12省庁に再編統合された。 

■2021年(令和3年) 
 米 連邦議会議事堂襲撃事件 。トランプ前大統領の支持者が選挙の不正を訴え連邦議会議事堂を占拠。

上記出来事から大陸移動説が提唱された事象に関して写真を交えて記述していきます。
Wikipedea では次のように解説されています。
大陸移動説(たいりくいどうせつ、英: continental drift theory, theory of continental drift)は、大陸は地球表面上を移動してその位置や形状を変えるという学説。大陸漂移説(たいりくひょういせつ)ともいう。

発想自体は古くからあり様々な人物が述べているが、一般にはドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナーが1912年に提唱した説を指す。ヴェーゲナーの大陸移動説は発表後長く受容されなかったが、現在はプレートテクトニクス理論の帰結のひとつとして実証され受け入れられている。

ドイツの気象学者アルフレート・ヴェーゲナー氏についてWikipediaでは下記のように解説。
アルフレート・ロータル・ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener、1880年11月1日 - 1930年11月2日もしくは11月3日)は、大陸移動説を提唱したドイツの気象学者。現在でいう地球物理学者である。1908年からマールブルク大学で教鞭を執り、1924年にオーストリアのグラーツ大学の教授に就任した。

義父(妻の父親)は「ケッペンの気候区分」で有名なロシア出身のドイツ人気象学者ウラジミール・ペーター・ケッペン。日本では英語読みでアルフレッド・ウェゲナーとも表記される。

地球の変遷
出典:2014年8月5日放送 NHKBSP 名作選ハイビジョン特集地球大進化第2回


上の2枚の写真は3億年前の地球 以前3つの大陸であったが超大陸パンゲアとなった。
構成要素の一部はゴンドワナ大陸と言われます。他にローラシア大陸
上の写真は4億年前の地球
上の写真は5億年前の地球

3憶年前から現在の形になるまでの経過(下の5枚の写真)
1年間に数cm大陸が動いています。





大陸が移動させる力はマントル対流によります。(下の写真)

地球の歴史






日刊スポーツの「今日はどんな日」1月6日では次の話題を取り上げています。

■1912年(明治45年)ウェゲナー(独)が大陸移動説を発表。現在の諸大陸が元は1つの大陸で分裂して移動したと説いた 

■1968年(昭和43年)大相撲初場所番付発表で、高見山が外国人力士として初めて入幕

■1975年(昭和50年)ハイセイコー引退。地方競馬から中央競馬に転じ、国民的なアイドル馬の引退式が東京競馬場で行われた



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今週の予定 1月5日~1月12日

2025年01月06日 04時55分15秒 | Weblog
2025年1月5日(日)~2025年1月12日(日)今週の予定をお送りします。

多くの人々は長い正月休暇が明けて日常の生活が始まります
1月5日頃は二十四節気の第23節気「小寒


今週の予定 

1月5日(日)
 ・小寒

 ・初水天宮

 ・米ゴールデン・グローブ賞発表
   「SHOGUN 将軍」がテレビドラマ部門で作品賞、主演男優賞などの候補に

 ・NHK大河ドラマ「べらぼう」がスタート

 ・第104回全国高校ラグビー大会の準決勝で
   桐蔭学園と東海大大阪仰星が決勝進出(1月7日に決勝戦)

 ・春の高校バレー(~12日)

1月6日(月)
 ・石破首相が伊勢神宮参拝、記者会見

 ・東京証券取引所などで大発会

 ・しし座Rが極大

 ・米議会がトランプ氏の大統領選出を正式承認

 ・だるま市(~7日、群馬・少林山達磨寺)

1月7日(火)
 ・人日の節句(七草粥)

 ・爪切りの日

 ・経済3団体の新年祝賀会

 ・テクノロジー見本市「CES](~10日、ラスベガス)

 ・神戸市の太山寺、転法輪寺、勝福寺の修正会・追儺式

 ・三大火祭り 鬼夜(福岡・大善寺玉垂宮)

1月8日(水) 
 ・英国が電子渡航認証導入

 ・神戸市の性海寺の修正会・追儺式

 ・寒中見舞い

1月9日(木)
 ・山形、岐阜で県知事選告示(1月26日投開票)

 ・石破首相がマレーシアとインドネシア訪問へ

 ・1月の地域経済報告(日銀)

 ・西宮神社などで十日戎(~11日)

1月10日(金)
 ・デトロイト自動車ショー(~20日)

 ・東京オートサロン(~12日、幕張メッセ)

 ・中国電力の島根原発2号機が営業運転

 ・12月の米雇用統計

1月11日(土)
 ・スケート ショートトラック全日本選手権(~12日、長野帝産トレーニンギセンター)
 ・鏡開き

1月12日(日)
 ・火星が地球に接近

 ・テニス全豪オープン(~26日、メルボルン)

 ・大相撲初場所(~26日、東京・国技館)

 ・陸上 全国都道府県対抗女子駅伝(京都)

写真が無いと寂しいので最近撮った写真を添付して筆を置きます。



上の2枚の写真は1月4日に行われた神戸市垂水区 明王寺の修正会・追儺式
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宇治川電気工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」 on 2024-12-1

2025年01月05日 03時41分07秒 | 京都情報
2024年12月1日に宇治川工事竣工記念碑と関西電力「宇治発電所」の写真を
撮りましたので紹介します。

関西電力「宇治発電所」は私の父親が勤務していた場所であり、私達5人家族は
宇治発電所の社宅(宇治神神社のすぐ近く)に住んでいました。

宇治川電気工事竣工記念碑は宇治発電所から放出された水が宇治川へと流れる水路に
架けられた観流橋を渡ったところの山側に建っています。(下の写真)


宇治川の水力発電の計画は明治20年代後半頃に具体化し、紆余曲折を経て
明治41年(1908)に着工されています。
南郷洗堰北側から取水し、宇治橋上流に至る水路開削工事はそのほとんどが
トンネルであったため難航し多数の犠牲者を出しつつ1,600万円を費やして
大正2年(1913)6月にようやく竣工した。
総延長は約11Km、12のトンネルが建設される大工事であった。

大正2年の8月1日に創業した宇治川電気株式会社は宇治町はもとより京都、大阪に送電し
近畿地方の大きなエネルギー源となった。
宇治川電気は京都電燈、大阪電気と並ぶ関西の三大電力会社の一つであり関西電力の前身でもある。

文面の一部を記載しておきます。(数字は現代流に書き直しています)
「工事竣功記念碑
 一 水路総延長 6,137間 /隧道5,070間 暗渠440間/開渠627間

 一 最長隧道 第1号 1,357間 第7号 1,658間

 一 使用水量 毎秒2千立方尺

 一 有効落差 204尺

 一 機械容量 4万8千馬力

 一 送電線路 大阪線22哩 京都線8哩

 一 工事費総額 1,600万円

 一 工事着手 明治41年(1908)12月

 一 工事竣功 大正2年(1913)6月

   大正3年10月 宇治川電気株式会社

裏面には工事関係者の名が刻まれている。
 南面には本社発起人28名 7名ずつ4段に記載
 北面には宇治川電気の創立以来の重役13名が2段に
 その下に主要工事請負者、工事関係社員が記載されています。

最盛期で199人にのぼった宇治川電気の工事関係者は、技師長石黒五十二、主席技師千種基はじめ多くが工事の完了とともに社を離れたが、発電所の電力は宇治市内に電灯をともし、京阪電車を動かし、ユニチカなど多くの工場を誘致して、宇治市の近代化と発展に寄与し続けた。
宇治発電所の完成を受けて宇治町配電所ができた。

上の写真は関西電力宇治発電所の外観

関連サイト



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第101回箱根駅伝 青山学院が大会新で総合V

2025年01月04日 04時25分00秒 | Gooニュース
第101回東京箱根間往復大学駅伝競走 - Wikipedia (以下、箱根駅伝)は、2025年1月2日から1月3日まで行われ
青山学院が10時間41分20秒の大会新記録で総合優勝しました。
総合2位は駒澤大学で2分48秒差の10時間44分7秒でした。
総合3位は國學院大學でした。
尚、復路の優勝は駒澤大学でタイムは5時間20分50秒でこれも大会新記録でした。
2日間のほとんどをテレビ(10ch 読売テレビのLIVE)で観戦しました。

上の写真は最終10区でゴールテープを切る寸前の青山学院大学1年の小川原選手

上の2枚の写真は総合順位表

上の写真は区間賞


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2025年(令和7年)1月1日の新聞各紙の1面記事

2025年01月03日 03時27分15秒 | Weblog
例年、1月1日に朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙を購入しています。
上記新聞に定期購入の神戸新聞を加えて夫々の新聞の一面記事の内容を記載します。
各新聞ともに1月1日の新聞はボリュームが多く特集記事が組まれています。

上記5紙で860円でした。2024年は850円、2023年は800円でした。



上の写真は2025年(令和7年)1月1日、上記6紙の1面を一覧にしたもの
赤字はトップ記事
(1)日経新聞(200円)
   逆転の世界 備えよ日本
    ・強まる自国第一
    ・貿易ルール瓦解
    ・米国が去るなら別を探す  
   空飛ぶクルマ27年度運航
    ・ANAHD まず都心、成田行きも
   春秋
   ニッポン2025
(2)読売新聞(160円)
   中国宮古海峡で封鎖演習
    ・台湾有事想定か政府警戒 
    ・尖閣にも「重武装」海警船団
   能登1/4が休廃業 
    ・地震1年 人口流出懸念
   戦後80年へ平和祈る旋律
   編集手帳
(3)産経新聞(140円)
   命救え欠かせぬ強靭化 
    ・能登地震1年
    ・「巨大地震なら長期被害1000兆円超」  
   尹大統領の拘束令状発付
    ・現職初、内乱首謀疑い
   選択的夫婦別姓アンケート2,5面
   年のはじめに 論説委員長 榊原智 未来と過去を守る日本に
   産経抄
   朝晴れエッセー 未来への一文字目
(4)毎日新聞(180円)
   デジタルで問う「真の民意」 デモクラシーズ これまでこれから 戦後80年
    ・「1人1票」方式すら疑う
   尹大統領に逮捕状
    ・韓国当局内乱首謀疑い
   余禄
(5)朝日新聞(180円)
  つながり耕す能登と一緒に
    ・地震きょう1年
    ・5年で十数人     
  尹大統領に拘束令状
    ・現職で初執行が焦点
  折々のことば 鷲田清一
  朝日賞 4件5氏に
  天声人語
(6)神戸新聞(定期購入)
   復興へ明かりともし続ける
     ・能登地震1年二重被災スーパー奮闘
     ・神戸からもボランティア「皆で新しい町つくる」
   震度6以上9割が阪神・淡路後 
     ・戦後80年間の国内地震
     ・南海トラフ警戒 専門家「備えを」         
   正平調

各新聞ともに2025年(令和7年)にどのような事象が予定されているか特集されています。

天皇陛下 新年のご感想「戦後80年」を「希望を持って歩んでいくことのできる年に」(2025年1月1日)


過去の同じテーマのブログへリンク




 
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Gooブログの障害について

2025年01月02日 22時36分33秒 | Gooニュース
2025年1月2日(木曜)午前5時27分頃から、gooサービスはトップページに
アクセスしづらい状況のため、全サービスがご利用しづらい状況が続きました。
私の場合ほぼ、アクセスできない状態でした。

NTTドコモによると、DDoS攻撃による影響で障害が発生したようです。

この影響で1月2日は記事をアップできませんでした。
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小泉八雲の妻・小泉セツをモデルにしたNHK朝ドラ「ばけばけ」が2025年秋に放送されます

2025年01月01日 05時08分02秒 | Gooニュース
明治時代の文豪・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) (1850~1904)の妻
小泉セツ(1868~1932年)をモデルにしたNHK朝ドラ「ばけばけ」が
2025年秋に放送されます。(NHK放送局が製作)

小泉八雲の所縁の場所は松江の小泉八雲記念館(松江市奥谷町)が有名ですが
神戸でも八雲夫妻は住まわれており神戸での生活も紹介されるかもと
興味をもっています。



上の2枚の写真は兵庫県庁の北側にある県立労働センター玄関前の庭の
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) (1850~1904年9月26日没)の旧居跡の碑。
撮影:2014年8月23日

明治27年(1894)神戸に来て、英字新聞「神戸クロニクル」紙の記者となるが、健康を害してすぐ退社した。しかし、彼は1年9ヶ月間神戸で執筆活動をした後東京へ移り住んだ。この時期の代表作のひとつに「日本人の微笑」がある。
月給は熊本五高で200円であったが、月給100円の神戸での新聞記者生活となったもので期するものがあった訳ですが、神戸での生活は彼が思い描いたいたものではなかったようです。
また、約2年間に神戸で3回も転居しているようです。居留地での外国人の行動を批判的に捉えた数少ない外国人でもあります。

例により県労働センターの玄関横の石碑の説明文より引用させてもらいます。
小泉八雲と神戸小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本の精神文化や民俗、伝統を心から愛し、その作品を通じて、日本を広く世界に紹介、明治の文豪として偉大な足跡を残したが、八雲と神戸との出会いは、後に兵庫県県知事となった服部一三との交友による。
 八雲は松江、熊本で教壇に立った後、明治二十七年神戸に移り住み、英字新聞「神戸クロニクル」の記者として文筆を振るう傍ら文壇生活に入った。明治二十九年に帝国大学講師として東京に転居するまでの間、中央区内の当敷地内に居宅を構え、「心」、「仏の畑の落穂」などを執筆。小泉八雲と改名し、日本に帰化したのもこの時期である。
 平成六年は、八雲が神戸に住んでから百年目にあたる。これを記念してここに小泉八雲の道徳を偲び、神戸との関わりをこの碑にとどめる。

 小泉八雲の墓は東京・雑司ヶ谷の墓苑にあります。 

上の写真は兵庫県立図書館の掲示 小泉八雲没後110年企画展ハーンと家族 松江市の小泉八雲記念館  
撮影:2014年6月29日 

関連ブログ


 

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