2025年1月11日(土)BSTBSで放送の関口宏の一番新しい江戸時代で安政の大獄
(1859)で
処刑された吉田松陰の業績などの紹介があった。
この中で東京都世田谷区 豪徳寺近くの松陰神社についても紹介されました。
豪徳寺には井伊直弼の墓所があり吉田松陰と関連があります。
そこで、Googleマップを利用して松陰神社へバーチャル訪問することにしました。
吉田松陰は安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと激しくこれを非難、
井伊直弼派の老中の間部詮勝の暗殺を企て、警戒した長州藩によって再び投獄される。
井伊直弼派の老中の間部詮勝の暗殺を企て、警戒した長州藩によって再び投獄される。
その後、江戸に移送され、取り調べで井伊派の家老暗殺を計画していたと自ら告白し
安政6年(1859)10月27日に斬首されます。
松陰神社の基本情報
住所:東京都世田谷区若林4丁目35−1 TEL: 03-3421-4834
御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命 (吉田松陰先生)
開門時間:7:00~17:00
開業:明治15年(1882)11月21日
アクセス:東急世田谷線松陰神社前駅下車 小田急豪徳寺、東急三軒茶屋より乗り換え
所在地のGoogleマップを添付しておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e8/ab698f1514b4b50d8bdadf800cbffec2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ba/c27aea536e5b98b15a1c250f01924d6a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d1/39b0f7722a3c7dde2585b6f367c93892.jpg)
上の3枚の写真は吉田松陰先生他烈士の墓の近中遠景
出典:Googleストリートビュー
吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、
綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。
文久3年(1863)正月、松下村塾門下の伊藤博文他、長州藩の有志らが千住小塚原回向院より改葬。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/4c/36fb8ad8c8a0eec0d2ecd7bfcd85afb8.jpg)
上の写真は松陰神社の入口
出典:Googleストリートビュー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b2/c23474ffe6f0b1874413244187b25310.jpg)
上の写真は拝殿・本殿など中心部の建物群
出典:Googleストリートビュー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/cc/55688bedf51fef8aad2654b5350e8c0e.jpg)
上の写真は松下村塾も模造建物
出典:Googleストリートビュー
松下村塾では1年あまりにも関わらず90余名もの塾生を世に送り出し歴史の
大転換期の原動力になったのは周知のとおりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/92/c2d043adf116c428f43d3f13d51d16f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f0/8498e8aa65387bcefd3bd88bd99c5fc3.jpg)
上の2枚の写真は吉田松陰先生の肖像画と功績、投獄の経緯の説明パネル
出典:上述の関口宏の一番新しい江戸時代
萩市の松陰神社と松下村塾への訪問記は下記のブログで纏めています。
上記ブログで吉田松陰先生の年譜を記しています。
関連ブログとして長州藩から江戸に移送される時に詠んだ歌碑のブログにもリンクしておきます。