チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

「殺されるかと思った」---抗議船の船長、海保の暴行により意識不明で嘔吐も。救急車で搬送される

2015年11月19日 | 沖縄日記・辺野古

  11月18日(水)、私が乗っていた抗議船「勝丸」で、Iさんが海保の暴行を受けて意識不明となり嘔吐を繰り返したため、救急車で病院に搬送されるという大変な事件が発生した。19日の琉球新報や沖縄タイムスにも大きく報道されたが(末尾に添付)、同船者として事件の詳細を報告したい。

 なお、以下の写真は全て私が撮影したものだが、海保が妨害し、ゆっくりと撮影できなかった。また、沖縄タイムスのWEB版には、私の撮影した事件の映像がアップされている。(沖縄タイムスWEB版 動画 ) 

 

          (海保の暴行で意識を失って倒れているIさん。この後、嘔吐を続けた。)

**************

 18日は、ゲート前に1000人以上が集まり、工事車両や作業員らの車の進入を完全に阻止した。海上行動のメンバーらもこのゲート前行動に参加した後、いつもより遅れて海上行動を開始した。私は、Iさんと「勝丸」を担当、他には「不屈」「平和丸1号」「ブルーの船」「美ら海」の計4隻。カヌー隊は13艇が海に出た。

 カヌーと船団は、午後2時過ぎ、大浦湾で海上ボーリング調査を阻止するために一斉にフロートを超えた。すぐに海保の暴力的な規制が始まる。「勝丸」にも海保がゴムボートをぶつけるように接舷し、4名の保安官たちがどっと乗り込んできた。

 保安官たちはすぐに操船していたIさんのところに行き、彼を押さえ込み始めた。Iさんと私は「何をする。暴力をふるうな! 船から降りろ!」と抗議するが、保安官たちは彼を船底に倒し、そのまま3人がかりで押さえ込んだ。Iさんは、必死に抗議を続けたが、彼が持っていた船のキーは海保に無理やり奪い取られてしまった。

 

 3人の保安官たちは、そのまま10分ほどIさんを押さえ込んでいた。ところが、その後、Iさんの様子が急変する。Iさんは突然、目を閉じたまま全身の力が抜けてしまったようにぐったりとしてしまった。保安官たちが身体を揺すっても何の反応もない。

 私は、すぐに保安官たちに「おい!彼は意識不明じゃないか。すぐに救急車を呼べ!」と叫んだが、保安官らは「本人からの要請がない」(意識不明の人間が救急車を依頼するか!)、「本部に連絡をとっている」と言うだけで何の対応をしようともしない。仕方なく私から119番に電話をし、汀間漁港に救急車をまわしてくれるよう依頼した。

 ところが、そのうちIさんが嘔吐を始めた。上向きのまま嘔吐しては危険なので、保安官が彼を横向きにする。Iさんはしばらく嘔吐を続けた。これはもう一刻を争う緊急事態だ。すぐに汀間漁港に行き、救急車に乗せなければならない。保安官にすぐに汀間に行くよう言ったが、また「本部の指示がない」というだけだ。仕方なく、操船席に立っていた保安官に「私が操船してすぐに汀間に行くからそこを代われ!」というと、彼はそのまま舵輪を私に譲った。保安官ら4名を乗せたまま、大浦湾の臨時制限区域内を全速で汀間に向かい、途中でフロートを超えた。いつもは、海保は、船を拘束した後、汀間に行く場合でも絶対に臨時制限区域内を走らせず、フロートの外側を大周りさせるのだが、さすがに今日は保安官らも緊急事態ということでこちらの自由にさせている。保安官らがIさんの脈をとったりしているが、まだ彼の意識は戻っていない。大丈夫だろうか?

 汀間漁港に着くと、もう救急車が岸壁で待っていてくれた。すぐに救急隊員が「勝丸」に乗り込んでくる。偶然、「平和丸1号」で視察に来られていた医師でもある小池晃参議院議員(共)がIさんを診察し、そのまま救急車に同乗して病院まで付き添っていただいた。その誠意ある対応に感謝したい。

      (汀間漁港でIさんを診察する小池晃参議院議員(右奥))

 さすがに海保も慌てたのだろう。汀間漁港には5隻のゴムボートが様子を見にやってきた。またIさんが収容された北部病院にも何人かの海保職員が来たようだが、付き添いをしていた安次富さんが「あなたたちのせいでこんなことになったんだ。」と面会を断った。

 Iさんは幸い、救急車内で意識を回復した。各種の検査でも異常はなく、夜、退院することができた。診断結果は、左脚の筋挫傷と過呼吸症候群で全治1週間とのこと。退院後のIさんにも会ったが、まだ脚を引きずり、辛そうだった。

 Iさんは、海保の暴力を受けた時、「怖かった。殺されるかと思った。恐怖で気が遠くなり、力が抜けていった」と語ったという。11月10日、私はやはりIさんと「勝丸」に乗っていたが、そのときも乗り込んできた保安官らによってIさんは全治1週間の負傷をさせられている。また17日にも、Iさんは「勝丸」に乗っていたのだが、乗り込んできた保安官らに船室のガラスを割られている。この日も、Iさんは海保に向かってその抗議を続けていたが、再三の保安官らの暴力に怒り心頭だったのだろう。

 

 

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