25日(木)は、県庁で公文書公開請求の開示を受けた後、午後、辺野古に向かい、そのまま現地に泊まった。
(海上ボーリング調査のスパッド台船が長島の近くまで曳航されてきた。航路入口のオイルフェンスからわずか100mほどのところで調査をするようだ。ほとんどのカヌーがフロート、オイルフェンスを超え、スパッド台船に近づいて抗議行動を行った。)
*************
26日(金)、午前5時半にシュワブ基地ゲート前へ。もう大勢の人たちが集まり、作業車の阻止行動が始まっている(詳細は後述)。しばらくゲート前の阻止行動に参加した後、海上行動のミーティング。腰の具合もなんとか回復してきたので、Jさんと抗議船「勝丸」に乗ることとする。今日は「勝丸」と「美ら海」がカヌー隊のサポート、「平和丸3号」が海案内で海に出た。カヌー隊は15艇が松田ぬ浜から辺野古に向った。
辺野古でいったん合流した後、スパッド台船に抗議するため、長島の間を抜けて航路入口に戻った。カヌー隊はフロートに沿って待機し、突入の機会を伺う。
今日は海保のゴムボートが10艇以上出てきた。このGB20が「勝丸」の担当のようだ。
そして、カヌー隊は一斉に突入した。上と下の写真は、一番外側のオイルフェンスを超え、次のフロートに向かうカヌー隊。
かなりのカヌーが海保のゴムボートをかわし、スパッド台船に近づいた。皆、腕を上げており、なかなか拘束されない。
海保による不当な拘束が始まった。「勝丸」からハンドマイクで、海保に「ケガ人を出すような過剰な規制はするな!」と抗議を続ける。
結局、11艇が拘束され、辺野古まで連れて行かれてしまった。「勝丸」は、辺野古に向かう海保のゴムボートを追う。
旧米軍兵舎の解体工事もいよいよ終盤に入ってきた。現地に山と積まれたコンクリート殻や各種の廃棄物は、適切に処分されているのだろうか。県の立入調査が望まれる。
昼前に拘束されたカヌー隊全員が解放されたが、風が強まり、白波が立ち始めたので船長で相談し、海上行動の打ち切りを決める。私は、高江の問題(明日のブログで詳細を説明する。)で急遽、県庁(道路管理課)と沖縄森林管理署に行くこととなったので、汀間漁港から急いで那覇に戻った。
腰痛のため、ほぼ1週間ぶりの船だったが、波風が強い中での操船は、やはり腰に応えた。あまり無理はできない。
*********
(以下は早朝のシュワブ基地ゲート前の抗議行動)
作業車の進入を阻止するため、ゲート前に座り込んでいると機動隊員らがやってきた。
そしてすぐに強制排除が始まった。
機動隊のバスを歩道の横に付け、前後を機動隊員らがスクラムを組んで封鎖し、抗議する市民らをその中に閉じ込める。こんな不当拘束(監禁)は絶対に許されない。
シュワブ基地から米軍戦車が出てきた。国道を我が物顔に走っていく。