今日(3月13日・水)は朝から辺野古へ。
一昨日(11日・月)の朝から、従来の工事用ゲートは完全に閉鎖され、名護よりの辺野古弾薬庫に新しく造られたゲート(以下、「弾薬庫ゲート」)から工事車両が入るようになった。キャンプ・シュワブのメインゲート前のテントからかなりの距離がある。年配の人たちにとって、歩いての移動は厳しいので、送迎車でピストン輸送する他ない。
それでも防衛局は、午前9時、正午、午後3時に搬入というやり方を続けているため、その都度、弾薬庫ゲートに行き、座込み行動を続けているという。
今日も、午前10時前にメインゲート前のテントに着いたので、皆、弾薬庫ゲートでの抗議行動から戻ってきたばかりだった。水曜日なので沖縄平和市民連絡会の仲間たちが多い。テントでの集会で、高里鈴代さんに促されて辺野古をめぐる当面の問題について説明する。
午前11時半、歩いて弾薬庫ゲートに向かう。美謝川切替工事現場、弾薬庫の造成工事が進み、周辺の様子は大きく変わってしまった。
弾薬庫ゲート前で30人ほどが座り込んだ。久しぶりにAさんが元気な姿で復帰してくれたのが嬉しい。しばらくして工事車両が来たが、左折レーンが短いため、国道はすぐに渋滞。カーブで見通しも悪いため、いつか大きな事故が起こるのではないかと危惧される。
このゲートは、辺野古弾薬庫の大規模再編工事に伴い新設されたものだが、当面は辺野古新基地建設工事のために使われる。キャンプ・シュワブの中心部を通る従来のコースは、米軍から活動に支障となると苦情があったのだろう。
抗議の座込み等はやりにくくなるが、屈してはならない。
<追記>
今朝(3月14日)の琉球新報が、「搬入口変更 米が要請」と報じた。昨日のブログに書いたことに間違いはなかったのだ。同紙では、「防衛局は、安全確保に資するものと強調している」というが、とんでもない。
しばらくすると機動隊による強制排除が始まった。
ゲートから入り、弾薬庫内を通る工事車両。辺野古弾薬庫の各イグルー(半地下覆土式弾薬庫)のESQD(爆発物安全量距離)内を通行していることになる。
(『情報公開法でとらえる沖縄の米軍基地』)