「リービッヒの最小律、あるいはドベネックの桶」を植物の成長に必要な要素の話から敷衍していた。
でも、これって人間の寿命に関することにも置き換えても理解が進むように思う。
つまり、足りなければ置換すれば。
そう命にかかわることならば臓器移植で寿命を延ばせるではないか。
あるいは延命治療も技術的に可能になっている。
そこで「命のろうそく」につながっていく。
それは単に置換のことではなく他を犠牲にしてまでも命長らえたいという営為に。
そこまで人は欲するものなのだろうか。
モノだけでなく金銭的な出損。
ときどきニュースになる重度の障害を持った幼児の治療のために募金を、ということに拘る。
親の身になれば何とかしたい、という気もわかる。
でも、冷静に考えれば「命のろうそく」なんだよね。
そのことを考えれば、諦めも肝心。
その人が生きながらえることで世の中にどのように裨益するかは誰もわからない。
一生活者から見れば、それが寿命と諦めてこその明日があるような気がする。
でも、国民の中の1万人に1人の人が「明日は我が身」「ほっておけない」と1万円を募金して助けることに異はない。
人それぞれなのだから。
「功徳」を施し「功徳」を積むのは人として立派なことだ。
老境にさしかかっているからかも知れぬが、一市井人として考えること言いたいことも多い。
でも、これって人間の寿命に関することにも置き換えても理解が進むように思う。
つまり、足りなければ置換すれば。
そう命にかかわることならば臓器移植で寿命を延ばせるではないか。
あるいは延命治療も技術的に可能になっている。
そこで「命のろうそく」につながっていく。
それは単に置換のことではなく他を犠牲にしてまでも命長らえたいという営為に。
そこまで人は欲するものなのだろうか。
モノだけでなく金銭的な出損。
ときどきニュースになる重度の障害を持った幼児の治療のために募金を、ということに拘る。
親の身になれば何とかしたい、という気もわかる。
でも、冷静に考えれば「命のろうそく」なんだよね。
そのことを考えれば、諦めも肝心。
その人が生きながらえることで世の中にどのように裨益するかは誰もわからない。
一生活者から見れば、それが寿命と諦めてこその明日があるような気がする。
でも、国民の中の1万人に1人の人が「明日は我が身」「ほっておけない」と1万円を募金して助けることに異はない。
人それぞれなのだから。
「功徳」を施し「功徳」を積むのは人として立派なことだ。
老境にさしかかっているからかも知れぬが、一市井人として考えること言いたいことも多い。
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