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70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

意図を隠して得た「民意」あるいは「多数」って

2015-07-16 22:16:06 | 印象的な世の中の出来事
間接民主主義の制度は、より多く得票した政党に白紙委任状を渡すような危うさがある。
争点をぼかして甘い言葉で票を得ることが政権に就く手段となる。
有権者はそこまでは納得して票を投じたわけではないと歯噛みしてもこの制度では非力だ。

情報通信技術が普遍化すれば次善の方法としても間接民主主義でなく直接民主主義が可能となり、より民意を反映した政治が可能となるだろうと言われた。
私もそう思っていた。
でも、ネットがこれほどまでに充実したのに何も変わっていない。

選挙で選ばれた議員は立法に専念するのが理想だ。
その一つ一つの可否は彼らに委ねるのは情報技術の進んだ時代に相応しくない。

議員選挙の趣旨は、国民の負託に応える立法するのが役目だと思う。
本来、個々の立法に対しての最終判断は国民に戻すべきだと思う。

今まではそれが困難だったから制度として組み込まれず「白紙委任」みたいな状態になっていた。
それは各種世論調査でも立法あるいは政策に対する結果で明らかだ。

ただ一つ、立法の最終判断は直接的に国民の判断ができる仕組みを作るべきだ。
現在の技術を持ってそれは可能だと思う。
それをしないのは「お上」の怠慢以上に国民を「由らしむべし知らしむべからず」の立場に置いておきたい為政者のエゴに過ぎない。

最終的には政党を択ぶのではなく個々の立法の適否を選ぶことのできる社会になってほしい。
その結果なら、仕方ないなぁ、と諦めもつく。
少なくとも政党に「白紙委任」を与えたのではないという意味で。

政権党の暴走を助長するのも抑えるのも直接民主主義しかない。
要は、国民の判断能力をいかにして高めるかが課題となる。

マスメディアがここぞとばかりに「絵」になる画像を選んでニュース化しようが、国民の情報(あるいはメディア)リテラシィを高める教育なり啓発をしていけば判断の壁を乗り越えていける思う。

国会内での数の多寡で立法の成立という国の進路を誤る愚は避けてほしい。

これ(この法律を制定すること)に対してどう判断するという、問いかけと、その判断結果がこそが民意だと思う。

ちょっとくどいようだが。

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