駅でしたのこどもと一緒になる。
ホームへの階段を登ってで一緒にベンチに座る。
やがて電車が入ってきて一緒に乗り込む。
一駅で乗換駅で上下別のホームへと分かれる。
いつかこどもが成長して一緒に出社するとか、
会社の帰りに待ち合わせて帰るとかがあろうと
考えていたが。
私にも遠い昔、父と一緒に職場へと歩き始めたことがある。
ただ、それは家を出て100メートルか200メートルだけのことだったが。
前方からきた郵便局員が父に話しかけ一通の電報を渡した。
中を見た父は後ろを歩く私に「合格したぞ。」と。
大学の合否発表には遠くて行けないので合否を電報で通知するよう
申込んでいたのだが、何せ田舎なもので届くのも遅い。
結局、不合格の場合を想定していた職場への出勤日になった。
多分4月1日のことなのだろう。
父は職場には事情を伝えておくから家に帰れ、といい私は
何ともいえない気分で家に戻った。
後で父から先方に事情を話した結果「それなら仕方ないね」と
いわれたと聞かされた。
面接で「大学に合格したらどうするね?」と問われ、
「大学にいきたいです」と答え、それでも内定はもらえた。
これが父と一緒に職場へと向かったただ一度の経験だった。
まだ道には雪が残っていた春であった。
ホームへの階段を登ってで一緒にベンチに座る。
やがて電車が入ってきて一緒に乗り込む。
一駅で乗換駅で上下別のホームへと分かれる。
いつかこどもが成長して一緒に出社するとか、
会社の帰りに待ち合わせて帰るとかがあろうと
考えていたが。
私にも遠い昔、父と一緒に職場へと歩き始めたことがある。
ただ、それは家を出て100メートルか200メートルだけのことだったが。
前方からきた郵便局員が父に話しかけ一通の電報を渡した。
中を見た父は後ろを歩く私に「合格したぞ。」と。
大学の合否発表には遠くて行けないので合否を電報で通知するよう
申込んでいたのだが、何せ田舎なもので届くのも遅い。
結局、不合格の場合を想定していた職場への出勤日になった。
多分4月1日のことなのだろう。
父は職場には事情を伝えておくから家に帰れ、といい私は
何ともいえない気分で家に戻った。
後で父から先方に事情を話した結果「それなら仕方ないね」と
いわれたと聞かされた。
面接で「大学に合格したらどうするね?」と問われ、
「大学にいきたいです」と答え、それでも内定はもらえた。
これが父と一緒に職場へと向かったただ一度の経験だった。
まだ道には雪が残っていた春であった。
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