今朝の朝日新聞の声の欄に「納棺師に任せ何かを失った」と題して75歳の僧侶の投稿があった。これについて、松戸市のお寺さんのブログに投稿記事が掲載されている。
75歳の僧侶にして「私の幼いときの記憶によれば、死者は家族によって身をふき清められ死に衣装を着せられ、棺に納められていました。」とある。もう何十年とこのようなことはなくなったのだろうか。
「おくりびと」という映画でスポットライトのあたった納棺師という職業であるが、私にはちょっと違和感がある。そして、新聞の投稿記事にもだ。失ったのは、あなたがたの世界でしょう、と。田舎を出てきた私にもいえることかも知れない。
この10年内で田舎の両親の葬式をしたが、私の田舎では「失われた」ことが今もごく普通に行われている。だから、都会から会葬される方は驚かれるようだ。
私の幼い頃は、本当に、葬式というのは「野辺送り」そのものだった。今は、実に合理的な「システム」になっている。
「おくりびと」の映画は、これが一般的な葬送の作法だよ、という強いメッセージを投げかけ、世の中また一つの形式がスタンダードになっていくのだろうな。都会でもまだ一般化していないから、葬儀メニューのひとつに取り入れられることだろう。
任せて安心「葬式ビジネス」の新形式。あれは、どう見てもある種の「ショー」に思える。そして、これが映画の影響で一般化していくと予想される。その一端を僧侶の方々も古くから担っている、いや、リードしているともいえる。
マスメディアは、地方の言語や文化を衰退させ、衰退しつつある文化を興味本位・話題提供の形で取り上げているように思える。
僧侶の方が「何かを失った」と新聞に投稿し嘆くより、自ら幼い頃の記憶を呼び戻して、妥当な葬送の作法を常日頃檀家の人々に説くことこそが肝要と思う。
75歳の僧侶にして「私の幼いときの記憶によれば、死者は家族によって身をふき清められ死に衣装を着せられ、棺に納められていました。」とある。もう何十年とこのようなことはなくなったのだろうか。
「おくりびと」という映画でスポットライトのあたった納棺師という職業であるが、私にはちょっと違和感がある。そして、新聞の投稿記事にもだ。失ったのは、あなたがたの世界でしょう、と。田舎を出てきた私にもいえることかも知れない。
この10年内で田舎の両親の葬式をしたが、私の田舎では「失われた」ことが今もごく普通に行われている。だから、都会から会葬される方は驚かれるようだ。
私の幼い頃は、本当に、葬式というのは「野辺送り」そのものだった。今は、実に合理的な「システム」になっている。
「おくりびと」の映画は、これが一般的な葬送の作法だよ、という強いメッセージを投げかけ、世の中また一つの形式がスタンダードになっていくのだろうな。都会でもまだ一般化していないから、葬儀メニューのひとつに取り入れられることだろう。
任せて安心「葬式ビジネス」の新形式。あれは、どう見てもある種の「ショー」に思える。そして、これが映画の影響で一般化していくと予想される。その一端を僧侶の方々も古くから担っている、いや、リードしているともいえる。
マスメディアは、地方の言語や文化を衰退させ、衰退しつつある文化を興味本位・話題提供の形で取り上げているように思える。
僧侶の方が「何かを失った」と新聞に投稿し嘆くより、自ら幼い頃の記憶を呼び戻して、妥当な葬送の作法を常日頃檀家の人々に説くことこそが肝要と思う。
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