薪ストーブ前で『ねじまき鳥クロニクル』3部、鳥刺し男読了。
11時半を目安にここ数日酒を飲みながら、音楽を聴きながら読みふけった。
主人公が「井戸」の底に潜り込み、無意識に悪、憎悪と戦う「井戸」はラテン語 id(人格構造に関する基本的概念、
人間が生まれつき持っている無意識の本能的衝動、欲求など精神的エネルギーの源泉)のメタファー、
逸れるが機会があったら「イドの怪物」私の好きなSF映画『禁断の惑星』ご覧あれ。
象徴的な『根源的な悪』とし2人、間宮中尉が語るモンゴル、シベリアで暗躍する皮剥ボリス、そして主人公岡田トオルの義理の兄、綿谷ノボル。
トオルの妻(クミコ、ノボルの実の妹)と交わり、『根源的な悪』(ねじゆるめ鳥)の継承者を生もうとする綿谷ノボル、
(クミコの堕胎、姉の自殺理由)トオルの元から失踪したクミコ、最後は「イドの怪物」と化したトオルによって瀕死状態の兄、
『根源的な悪』として存在する綿谷ノボルの止めを刺す。
『ねじまき鳥クロニクル』作品に込められた村上春樹の主意はおおよそ理解でき、一気に読ませる面白さもあった。
次は『1Q84』を読むつもりだが春樹マジック、仕掛けられた罠、ハマってはいけない、騙されてはならない、という警戒心、
未だ心許して春樹ワールドを心底がら楽しむことができない、なぜだろうか?
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