一日曇天、小雨。オリンピック、テレビ観戦も飽いた。
先日の上高地、涸沢の映像を編集、You Tubeにアップした。
静寂なこの世のものとも思えぬ美しき上高地、涸沢の映像 ご覧あれ。
一日曇天、小雨。オリンピック、テレビ観戦も飽いた。
先日の上高地、涸沢の映像を編集、You Tubeにアップした。
静寂なこの世のものとも思えぬ美しき上高地、涸沢の映像 ご覧あれ。
我が家のミニミニ菜園、初めての収穫、ナス3個、プチトマト5個。
収穫の頃を見計らっているかのようにサルに荒らされる菜園、
ここ数年は実のなる野菜は諦め、ハーブ数種類植えるだけであった。
今年は懲りもせずナス、ミニトマト、ピーマン、シシトウ、インゲン、アオジソ等植えてみた。
まだサル、イノシシの被害はない。そして今日、めでたく初めての収穫。
妻の作ってくれた夕食のナスの揚げ浸し、とろける様に美味い。
我が家の菜園、どうか今後もサルなどに襲われないように。
世界は、日本はどうなっているのか?
ご覧いただき、ご自身でしっかりご判断ください。
米国上院議員が非常に重要な記者会見を行いました。これを報じない日本には、報道機関と呼べる所はありません!!
数日後、お客様としてもう何十回お越しいただいただろうか、新潟のY氏ご夫妻がお越しになる。
20数年、お客様というよりはもう親しいお友達といった方が正確かも知れない。
日本海の美味しいお料理ご持参いただき、極々楽しい飲み会になる。
迫り来る人生の終焉、年寄りが恐れ、縮こまって生活し、大切な時間を無駄に過ごしてどうするのだ、と思う。
何のために生きているのか?先日のA氏御夫妻も同じお考えだった。
相変わらずのコロナ報道、もういい加減にせよ、と思う。
遠雷、いつ雨が来るか、炎天下、草刈り、そして芝生刈りに大汗。
すっきりした庭に満足。入浴、ビールの旨さ、格別。
梅雨明けか、朝から強い日差し、暑い。
一昨日は、蔵王、アップルさんにお招きいただき、飲み会。
美味しいお料理とワインの数々、夕方から始まった酒宴は続きに続き、気が付けば23時を過ぎている。
気楽しい時間はあっという間に過ぎゆく。
朝のアップルさんのお庭、我が庭の数倍、見事に植え込まれている数々の草花、歴史の違い歴然。
蔵王エコーライン、お釜周辺を散策。気になるコマクサ、あちこちに。今年も出会うことができた。
大学3年の(昭和40年、1965年)夏、立山から奥穂高までの長い縦走(10日以上か)最後のテント泊は涸沢だった。
その中で今でも鮮明に残っている記憶は重いキスリング・ザック、それを背負った危険な槍から奥穂の鎖、梯子連続の難路でもない。
薬師岳のカールをスキーを背負い、滑降訓練のためか(富士山直滑降を成功させた前年)上半身裸で登る三浦雄一郎の姿、
そして涸沢を埋めるテント、(当時、涸沢団地と揶揄されていた)上高地から下るバスが梓川に転落する事故、
激流に流される長い髪の女性の遺体を何度もバスの中から乗客は悲鳴をあげ、目にした。翻弄される黒髪が現実味を失った記憶として残る。
釜トンネルは狭く、交互通行、掘った岩むき出し、今ほど道は整備されていなかった。初めての上高地の記憶は全くない、といっていい。
社会人になって2度目に登った奥穂、4月下旬連休前、涸沢小屋は除雪作業中、従業員と一緒に食べたご飯と鮭カンだけ?の夕食、
それが妙にうまかった記憶。
結婚、団地住まい、2人の子供、小型車を買った。
そんな時、出会った田渕義雄氏著、1980年発行『車で楽しむファミリーキャンプ』
感化され、アウトドアギアを買い集め、休日はあちこちでキャンプ。この書の出会いは私の(家族を含め)その後の人生を大きく変えてしまった。
当時、上高地の6月のマイカー規制はなかった。1980年以降だろう、6月4日の前後の小梨平、テントサイトでは自由に焚き火もできた。
快晴のキャンプ、テント2泊は夢のような時間であった。
2人とも就学前の子供であったが明神池、徳澤あたりまで歩き、上高地の初夏を美しさを家族全員心ゆくまで楽しんだ思い出が残る。
さて、今回の奥穂、沢渡5時10分一番発のバスで上高地に向かう。早朝の上高地の美しさ、正に夢の世界。
目的の奥穂高には登らなかった、が、全く悔いはない。生ビールを楽しみたい、ため横尾からは水飲まず、
涸沢小屋のデッキで穂高の峰々のトルソを肴にMAMMUTロゴ入りのジョッキ2杯。
雨か、コロナか宿泊客は3人、テントは五張り、涸沢団地は寂し過ぎた。
前穂の頂きは一瞬見えたが、奥穂、北穂などの頂きはずっと暗い雲の中、姿見せず。
追って下手な写真だがYouTubeに動画にしてアップしようと思う。
明日、穂高に向かう予定。
涸沢小屋に二泊、天候を見て奥穂高に登ろうかと思う。
ネットで見ると僅かな距離だがザイテングラード取り付き、山荘直下にそれぞれ20~30ⅿの急斜面の残雪があり、
アイゼン、ピッケルは持参のせよと指示がある。物置からまたまた50数年前の鍛造アイゼンを取り出し、ザックの底に押し入れる。
打ち抜き型の軽いアイゼンの時代、こんな古色蒼然たる重い(片側750g)アイゼンなど目にすることなど無かろう。
こんなアイゼンで一ノ倉沢や剣岳、富士山を登っていたが10、12本のツァッケ、いわゆる出っ歯アイゼンも出回り初めていた。
今日では出っ歯のないアイゼンでの氷壁登山は考えられない。(短いシャフトのピッケル、バイルと一緒に使用、
ゆえにロングシャフト、ストック型、長柄のピッケルがこの世から消えてしまった)
が、我々の登っていた冬山は出っ歯を蹴込まなければならい急斜面、氷壁のあるコースは避けていたので不必要、
返って出っ歯で自身の足を刺すおそれがあった。
このアイゼン、学生時代か社会人になってからか、何度目にどこで手に入れたものか不思議なほど記憶にない。
数年前、初夏の白馬岳、雪倉、朝日岳にった時に使用し、これがなけれな数度の雪渓のトラバースはできなかったろう。
天候、体力を十分考慮し、チャンスがあったら奥穂高の頂き立ちたいと望む。
諸条件を冷静に判断すれば涸沢までいけたら十分、と考えるのが本当だろう。
朝からしとしと雨が降り続いている。
エントランスに出るとスブニール ド ラ マルメゾンの香り・・・
花びらの繊細なバラ、雨を避けるためエントランスに置かれたマルメゾン、すき放題にその美しい姿を見ることができる。
今、私の最も好きなバラBEST 1はスブニール ド ラ マルメゾン(Souvenir de la Malmaison)
その美しさをいまさら語る必要はないだろう。
暇に任せて雨の中、BEST 2,3を捉えるためにカメラを持って庭に出る。
長雨に荒れ乱れた庭、可愛そうだがコンディションの良くないバラにレンズを向ける。
BEST 2 シャルル ド ミル(Charles de Mills)この美しい深い花色、花形、葉、BEST 1にしてもいい、と思うものの、
繰り返し咲くマルメゾンと比べると、迷う。
BEST 3 デュセス ド モンテベロ(Duchesse De Montebello) 花形、花色,葉、樹形、香り、パーフェクト。
もっともっと植えられていい素晴らしいバラのように思う。
(Prolifera de Redouteとして販売されていた混乱した時期があったが少なくとも日本では同じバラ)
オールドローズ、200数十年の長い時間という篩にかけられ、選ばれし、生き残ってきた美しき彼女たちは何物にも代え難い貴重な存在。
近年モテはやされている、いた?ハイブリット・ティー、その勢いに大いなる陰りが見える。
果たして200数十年後、彼女たち何種類が生き残れるだろうか・・・
今、オールドロース咲き乱れ、香り満ちる、そんな夢見た庭に現実に佇んでいる。
【井上正康先生: コロナ人災とワクチン問題、日本コロナと共生の意味論】
ワクチン接種をお考えの方、消去される前におよそ45分、長いが最後までご覧頂いただき、ご判断いただきたい。
それからでも 接種は遅くない。
決して安易に同調圧力に屈することなく、冷静にご判断して欲しい、と願います。(すぐ消去されるのですぐに)
7月4日 一日雨。ショウブ涼夕初めて咲く、清楚。
昨日(7月3日)は雨の予報であったが時々日が差す。
前回見ることができなかったシナノキンバイ(信濃金杯)そしてヒナザクラに出会うため、
急遽、西吾妻山に登る。北アルプスのお花畑では珍しくもないシナノキンバイだが、
だいぶ前、吾妻山でこの花に出会い、ひどく感動した覚えがある。
ヒナザクラは東北特産の大変珍しい高山植物である。
それらが花咲く場所は西吾妻山と西大嶺の鞍部に遅くまで雪田が残ってるところ、
雪田を遠く見る度にそれらが咲くお花畑を思い浮かべるのが常であった。
突然思い立った登山であったが、幸運にそれらに出会いことができ、さらにモウゼンゴケにも。
自身、とても充実した一日。
7月、今年も北アルプスに行きたい。残された時間はわずか。
40数年ぶりか、上高地、そして更に横尾、涸沢、できたら奥穂高に登ってみたい。
そのためにはトレーニングは必須。
梅雨の晴れ間の今日、西吾妻山に登りたかったが、あいにく今日は用事で妻が車を使うという。
山は諦め、家から歩いていけるコース、五色沼散策路を早足で歩く。
9時10分家をでる。スニーカーを履き、カメラは持たす、iPhoneで撮影。
爽快なランブリング、探勝路の出口にある裏磐梯茶屋でビールを飲み、一休みしてからR459をただただ歩く。
帰宅12時20分、空腹。用事を済ませて帰ってきた妻も空腹。
急遽、冷蔵庫の食品を使って手早く庭で鉄板屋焼き、そしてまたビール、極楽、満足の一日。