サンダイアル、そしてバードバス。カーティスクリーク オープン以来夏には庭に置かれている。今年も補修、塗装を行ったが例年はブロンズの塗装を行う。塗料を間違えて買ってしまったらしい。なんと華やかにゴールド。まるでウィーン市民公園のヨハン・シトラウス像のように・・・今年の夏、気恥ずかしくて小鳥は水浴びをしないだろう。
鉢植えの白バラがたくさん咲いている。いったいこのバラは?土に刺してあるタグを見る。The Bride。あーこんなバラがあったのだ。すっかり存在を忘れている・・・たしか昨年ここにやってきたのだが花を見た記憶がない。雨で少し汚れた花嫁であるがとてもかわいそうな気がしてカメラに収める。調べればCatherine Mermetの枝代わりだという。これから忘れずかわいがってやるよ、と花嫁に声をかける。
今日も雨。このところ天気がおかしい。気温低く、過ごしやすいのはいいけれど、いい加減スッキリした夏空がほしい。夕方雨のあがった庭に美しく咲くバラ、何であろうか。濡れた芝生に足を汚して外に出れば、それはバロン・アンリエット・ドゥ・スノイであった。さすがグロワール・ド・ディジョンの子供、実に美しい。
庭の片隅にフランボワーズが実を付けた。知らない間に成長し、花を咲かせ実を実らせている。あちこちにフランボワーズ、驚くほど面積を広げている。実に強い果樹。実を口に含めば、日本の果物には絶対無い香り、まさにその香りはFramboise。
Raspberryと呼ぶにはふさわしくないしゃれたフランスの香り。
Raspberryと呼ぶにはふさわしくないしゃれたフランスの香り。
間もなく北京オリンピックが開催される。裏磐梯は残念ながら地デジはまだ映りません。そんなわけでカーティスクリークのロビーにTVを設置いたしました。狭いスペース、まるで飛行機に乗ってTVを見ているような・・・(エコノミークラスですが)
アナログ放送にご満足いただけない方、この不思議に落ち着ける空間でオリンピック、そしてBS、 ☆スター・チャンネル、WOWOW、CSをご覧くださいませ。
アナログ放送にご満足いただけない方、この不思議に落ち着ける空間でオリンピック、そしてBS、 ☆スター・チャンネル、WOWOW、CSをご覧くださいませ。
2年ぶりのギックリ腰。数日前ベッドメイクのちょっとした動作、そして魔女の一撃。昨日は病院へ。飲み薬、注射で痛み和らぐ。今日は腰痛を理由に一日中ベッドでごろり、いただいたDVD、荻上直子の「カモメ食堂」、「めがね」を観る。都会の複雑、喧騒渦巻く人間社会に疲れ果てた人々の心を癒してくれる作品なのであろう。田舎に住む人間はこれが日常生活なのでチョッと退屈な部分も・・・
質素な日本食が清潔且つさりげなく美しく、美味しそうに描かれている稀有な作品。さすが女性監督作品。荻上直子は料理が上手、料理センスがいい女性と想像してしまう。(庭のカンゾウが咲き始めた。ものぐさに窓から望遠で)
質素な日本食が清潔且つさりげなく美しく、美味しそうに描かれている稀有な作品。さすが女性監督作品。荻上直子は料理が上手、料理センスがいい女性と想像してしまう。(庭のカンゾウが咲き始めた。ものぐさに窓から望遠で)
朝から雨が静かに降っている。梅雨に戻ってしまったかのよう。雨で濡れた芝生の中でゲラニウム ロザニーが美しい。
ロザニーの静かな雰囲気がとても好きだ。これから秋までブルーの色を変えながら咲き続けてくれる。
7月20日20時、クロスケが21年の長い生涯を閉じた。
1987年4月、5,6匹の兄弟と一緒に公園に捨てられ、器量の悪さ故、最後まで拾われることなく残ってしまった。見かねた息子達の懇願に渋々同意し、家に連れて帰ったのがクロスケだった。入浴、病院、検査、去勢・・・クロスケは田村家の一員となった。その後東京から裏磐梯へ生活の拠点が大きく変わった。環境の変化はクロスケにとっても大変な事だったろう。日本の各地を一緒に旅した。これも彼にとっては迷惑な事だったろう。やがて息子達は成人し、家を出て行った。寂しくなった家、その寂しさを知らず知らずクロスケは埋めてくれていたのであろう。
21日、訃報を知り駆けつける息子、火葬、クロスケの白い骨に息子の涙が落ちる。
クロスケ、やさしい、性格の良い、かわいいネコだった。あっという間の21年だった。失ってしまった今、クロスケの家族の中での存在の大きさ、欠落感の大きさ、悲しみの深さに愕く。(1987年5月、息子に抱かれる幼いクロスケ 東京 自宅にて)
1987年4月、5,6匹の兄弟と一緒に公園に捨てられ、器量の悪さ故、最後まで拾われることなく残ってしまった。見かねた息子達の懇願に渋々同意し、家に連れて帰ったのがクロスケだった。入浴、病院、検査、去勢・・・クロスケは田村家の一員となった。その後東京から裏磐梯へ生活の拠点が大きく変わった。環境の変化はクロスケにとっても大変な事だったろう。日本の各地を一緒に旅した。これも彼にとっては迷惑な事だったろう。やがて息子達は成人し、家を出て行った。寂しくなった家、その寂しさを知らず知らずクロスケは埋めてくれていたのであろう。
21日、訃報を知り駆けつける息子、火葬、クロスケの白い骨に息子の涙が落ちる。
クロスケ、やさしい、性格の良い、かわいいネコだった。あっという間の21年だった。失ってしまった今、クロスケの家族の中での存在の大きさ、欠落感の大きさ、悲しみの深さに愕く。(1987年5月、息子に抱かれる幼いクロスケ 東京 自宅にて)
今日も激しい夕立。夕暮れのように暗くなった庭を窓越しに眺める。遠く受水槽脇のニュードーンが美しく咲いているのに気付く。ほとんどこのバラに目をやったことがない。3本あるニュードーンはいずれも忘れ去られたように不遇な環境に置かれている。電気取り込み電柱、受水槽の目隠しに、そして日当たりの悪い大木の根本。あまりにも強すぎるNew Dawnの樹勢が災いして雑に扱われているのだろうか?
来年は愛情を持って名花New Dawnにふさわしい処遇をしてやろう、と思う。
来年は愛情を持って名花New Dawnにふさわしい処遇をしてやろう、と思う。
庭のリンゴがいつになくたくさんの実をつけている。このリンゴはカーティスクリークの歴史と同じ1991年裏磐梯に根を下ろした大切な木。
今年は是非、このリンゴを収穫して美味しいタルト・オ・ポンムを焼き上げてみたい。
今年は是非、このリンゴを収穫して美味しいタルト・オ・ポンムを焼き上げてみたい。
蒸し暑い。裏磐梯でもこんないやな日がひと夏で何日かある。家から外に出る気にならない。夕方幾分涼しくなる。ミントの葉を摘みに外にでる。レーマニア・エラータが美しく咲いている。昨年植えたものだが、宿根、こぼれ種で増え、面積を広げている。英名ではChinese foxglove 、見たとおりジキタリスの仲間なのであろう。
Quatre Saisons Blanc Mousseux (カトル・セゾン・ブラン・ムスー)1837年以前に作出されたという古いダマスク系の白花のモスローズ。カーティスクリークの庭では古株。今年は勢いよく伸びる一本の枝があった。枝にモスがまったくない。枝代わりか?と注目していたが、咲いた花はすべてピンク。やはり。念のため交配親を調る。カトル・セゾン・ブラン・ムスーはR.damascena(ロサ・ダマスケナ)の枝代わり、正確には返り咲きするAutumn Damaskの枝代わり、ということが分かった。
残念な事だがこの枝は先祖のAutumn Damaskに返ってしまっただけなのだという事が推定される。
残念な事だがこの枝は先祖のAutumn Damaskに返ってしまっただけなのだという事が推定される。
天気が良い。こんな日は家にじっとしている事ができない。土湯峠を越えて福島へ。トンネルを抜ける、そこに雄大に展開する風景を眺めるのは見慣れているとは言え、毎度とても気持ちが良い。
四季の里を歩く。一面のラベンダー、風に乗って香りが漂う。真夏日とは言え、とても爽やか。花盛りのロシアンセージのブルーが美しい。
早速、いつもの園芸店に立ち寄り、探し買い求める。(四季の里にて)
四季の里を歩く。一面のラベンダー、風に乗って香りが漂う。真夏日とは言え、とても爽やか。花盛りのロシアンセージのブルーが美しい。
早速、いつもの園芸店に立ち寄り、探し買い求める。(四季の里にて)