昨日の夕食後、グラスを抱えてウッドデッキに、時刻は7時10分頃か、
梅雨空に浮かぶ雲の残照がとても美しい、
太陽はだいぶ前に沈んでいるので夕焼けではない、数分後には鉛色の夜空。
残照・・・10数年前にこの世のものとは思えないほど美しいとんでもない光景を見た、
ライトアップされたアルハンブラ宮殿、グラナダの夜景、ああ、あの残照の赤・・・
昨日の夕食後、グラスを抱えてウッドデッキに、時刻は7時10分頃か、
梅雨空に浮かぶ雲の残照がとても美しい、
太陽はだいぶ前に沈んでいるので夕焼けではない、数分後には鉛色の夜空。
残照・・・10数年前にこの世のものとは思えないほど美しいとんでもない光景を見た、
ライトアップされたアルハンブラ宮殿、グラナダの夜景、ああ、あの残照の赤・・・
晩秋の物悲しい雨の一日。
忘れたり、思い出したり額装してやらなければと・・・
それはずっと前、黒門で知れたドイツの街トリーア、
ふと立ち寄った画廊でその建物がなんであるかも分からずに手に入れたエッチング画。
その数日後、ブリュッセルの街歩きでサン・ミッシェル大聖堂に立ち寄ったとき、
エッチング画がそれであったと解った、驚くべき偶然。
時間を持て余す一日、物入れをかき回し、絵が上手く収まる額、マットを探し出し、
6年後の今、サン・ミッシェル大聖堂をやっと額に収め、壁に飾ることができた。
パリ同時多発テロ事件が起きた時、呑気にブリュッセルの街をほっつき歩いていたからハッキリ、
2015年11月13日(絵を手に入れたのはその数日前)
物入れからこれもすっかり忘れていた額が出てきた。
書道家である姉に書いてもらた「子規」の句、『酒のあらたならんよりハ 蕎麦の新たなれ』
ああ、また新蕎麦で酒が飲みたくなった。
ザルツブルク音楽祭でモーツアルトのオペラを観ること、その実現が積年の夢であった。
そのきっかけは1987年ザルツブルク音楽祭、カラヤンの『ドン・ジョヴァンニ』をTVで観てから。
さらにVHSに録画したものを、繰り返し繰り返し観た。当時既にツェルリーナ役のキャスリーン・バトルは
ウイスキーのコマーシャル(オンブラ・マイフ)で誰もが知る有名ソプラノ。
夫婦共々、ドン・ジョヴァンニ役のサミュエル・レイミーも特にお気に入りであった。
6年前、ザルツブルクを訪れる機会があった。まずはザルツブルク音楽祭会場へ。
既に、ウイーン国立歌劇場、パリオペラ座でオペラを鑑賞していたからか、ここでオペラという夢は薄れていた。
モーツアルト自身、ザルツブルクを愛していなかった、という事実も知っていたからでもある。
数年前、VHSを処分した時、間違ってこの大切な『ドン・ジョヴァンニ』を捨ててしまった。
おお、その映像がYouTubeにあった。
カラヤン、サミュエル・レイミー、キャスリーン・バトル、いいですぞ。
Mozart - Don Giovanni dramma giocoso K. 527 (Herbert von Karajan, Salzburg Festival, 1987)
„Don Giovanni“ from the Salzburg Festival in 1987. One of the last ope...
youtube#video
9月17日~20日
7年ぶりに沖縄に行く。
前回はこれが妻との最後の旅になるかもしれないという、
亜熱帯の明るい風景とは反対の悲壮感を抱いての旅だった。
その重苦しい沖縄の思い出を払拭するための旅、明るい南国を心底楽しみたいと思っての旅だった。
那覇の同じホテルに3泊、レンタカーで観光スポットを訪ねまわる。
駐車場空き待ちにしびれを切らし、フェリーで久高島に渡ってしまって諦めた斎場御嶽にまず、
あとはほとんどお決まりのコースを巡る。
沖縄美ら海水族館、沖縄ワールド、玉泉洞、首里城、備瀬フクギ並木、古宇利島、その他たくさん・・・・・
夜は前回毎晩通った大賑わいの国際通りは避け、ホテルのすぐそばの静かな食事何処、飲み何処に行く。
癒心家酒場 一縷、中華料理燕郷房、小料理や良、いずれも近くにあったら通いたい良い店だ。
20日無事17号台風から逃げ切り帰宅、危うくセーフ。
前回同様4泊していたら台風17号にまともにぶつかり、数日帰ることができなかっただろう。
2度目の沖縄の印象は・・・
ふとした瞬間、今自分は外国、東南アジアを旅していると勘違いすることが度々あった。
それは気楽な気分、気候、植生、建物、多い外国人、燕郷房の食事などから受けた影響だろうか。
台湾一週間、台北から高雄、駆け足の旅。
ほとんど国内を旅しているような流れ行く風景、違いは田園の緑の中のバナナ、椰子の林、
そして街中のガジュマル、あふれる大陸の略字漢字と違う正字の漢字看板。
大きく感性を刺激される事もなく淡々と過ぎゆく時・・・
そんな感動の少ない旅の中で残った事、
日本の若者たちで溢れた細い道幅の急階段、夜の九フンの街、そして圓山ホテル。
シノワズリの真骨頂、その異様な外観、ラウンジ、廊下、室内装飾・・・
若者が台湾を旅していたのは宮崎駿の世界、千と千尋の神隠しのイメージを追っての旅だったのか・・・
だがジジイもババアも大した違いはない。帰国してやったことは千と千尋のDVDを観ることだった。
旅から帰って3日、もう時差ボケ、旅ボケはない。
ようやく撮った写真やビデオをゆったりと観ている。
今回の旅で心に深く刻み込まれたもの、3つ。
Ⅰケルン大聖堂のミサ
Cologne Cathedral Mass
オルガンの聖堂を揺るがす重低音、少年合唱団の清らか歌声、流れる香の煙。
こらは単なる感激という領域を超え、遥か高みに存在するものを意識、思わず肌粟立つ。
家でよく聴く教会音楽の虚しさを思う。
Ⅱブルージュ
運河の船上から、転げ落ちそうな急な螺旋階段を太いロープを頼りに登りつめた鐘楼の頂きから眺めたブルージュの美しい街並み、カリヨンの響き。
それはフィレンツエのドゥオーモから俯瞰した風景と勝とも劣らないものであった。
Ⅲ レンブラント、夜警
ハーグ・マウリッツハイツ、アムステルダム美術館、アントワープ・ノートルダム大聖堂で絵画の数々を観た。
フェルメール・真珠の耳飾りの少女、デルフトの眺望、牛乳を注ぐ女
レンブラント・テュルプ博士の解剖学講義、自画像、夜警
ルーベンス・キリスト昇架、降架
だがレンブラントの夜警は別格、問答無用、観る者を強引に圧倒する。
短い時間に3度この絵の前に立った。観る人の全くいない時もあった、この名画を間近に独占して観る至福の時間があった。
岩手の短い旅から帰った。
この旅の目的は妻の実家の墓参、津波で流されてしまい、ようやく完成なった義兄夫妻の新居を訪れること、
さらに盛岡のバー、SPEAK LOWに行くこと、その3点であった。
旅のスタートはいつも通り宮沢賢治記念から。
リニューアルされた館内はより深く賢治の世界に踏み込み、更に魅力を増し、興味は尽きず、いつまでも離れがたい。
復興なった釜石、表面的には津波のあの爪痕はほとんどない。夜は兄夫婦と痛飲。
翌朝、小雨の中、立派に整備された木道を歩み、変わらず美しい浄土ヶ浜。
遠回り、いつものように岩泉龍泉洞に立ち寄り盛岡へ。
夕食(昨夜同様相当量のアルコール摂取)後、念願のバー、SPEAK LOWへ。
経営者ご夫妻は妻の学生時代からの友人、ご主人は知る人ぞ知るミュージーシャン、時々ジャズの演奏会も行われるらしい。
静かにジャズの流れる落ち着いた空間で飲むシングルモルト、そしてバーボンは格別の味わいであった。
盛岡を訪れたら是非訪ねてほしい素晴らしいバー。
翌日は二日酔い気味、賢治縁の光原社に立ち寄り、さらにいつも通り小岩井農場に車を走らせる。
雲に隠れ見えないものの岩手山にまっすぐ伸びる牧場の道、一面のひまわり、狼森、すっかり気分回復、爽快。
今回の岩手の旅も賢治の世界から抜け出ることができなかった、だがそれでいいのだ、と心から思う。
走行距離およそ1,000㎞、目的を果たし、斯くして短い岩手の旅は終わった。
東欧を訪れた旅から帰った。
旅の間中ネットで知る裏日本の豪雪がずっと心配であった。
果たして帰宅したとき家にすんなり入ることができるだろうか。
ボイラーは凍結してないだろうか?、室内の植物は?温室は?野鳥の餌は足りているだろうか。
すべて杞憂であった。
食べ尽くされていたが餌台にヒマワリを入れるや待ち構えた野鳥たちが羽音を立ててやってくる。
明日から薪ストーブに火を入れ、本を読み、音楽を聴き、映画を観、雪掻きし、おいしい日本の食事をし、ほんのちょっと仕事をし・・・・
雪の中の平凡な日常生活がまた始まる。
旅とは平凡とはいえ淡々と流れる日常生活の中に喜び、楽しさ、大切さを再確認させてくれる行為、
過ぎ去る日々・・・大切にじっくり味わい過ごそうと、つくづく思う。
山陰、山陽を訪れた旅、鳥取、島根、山口、広島、岡山を巡る旅から帰った、
出雲、津和野、安来、萩、宮島、倉敷・・・初めて訪れた地から帰ってきた。
特別感動的な出雲大社、足立美術館の横山大観と庭園、これはまさに日本の美の極致、といったら褒め過ぎだろうか。
そして美しい街並み、知的に美しい街並みの萩・・・
近年これほど美、美しいものに心動かされたことは少ない。
今回訪れた好対照な地・・・出雲大社と厳島神社、萩と津和野・倉敷、足立美術館と大倉美術館。
これについて多くを語る必要はないだろう。
北イタリアの旅から帰ってすでに2日?気力がない、なにもする気がしない。
ただボーと起きて食べて寝て・・・
妻は昨日からスーツケースを開いて洗濯物の山を片付けている。
私はといえば薪を運び込み、やっとストーブに火を入れ、買いこんだマルケージ・ディ・バローロのボトルを眺めている。
そしてこよなく美しいバローロの村、一面に広がる葡萄畑をぼんやり思い浮かべている。
ワインをほとん知らない私、だがイタリアワイン(数十年前に起きた事件、キャンティワインにグリセリンその他の薬品を混入させ販売したイタリアワインの信用を失墜させたとんでもない事件)に漠然とした不信感があった。
今回の旅のスタートはトリノ、夕食時に飲んだワインの香り、味、そして訪れたバローロ、老舗中の老舗のアンティーケカンティーネ・マルケージ・ディ・バローロ、そこで試飲した3種類のワインの素晴らしさ、それはすべての不信感を払拭した。
その後訪れた街街、昼、夜、ずっとワインを飲み続けることとなる。それにしても飲んだ・・・
ボトルを手に取り考える。訪れた北イタリアの街々の撮りだめた映像を見ながら開栓しようかなどと・・・
あっという間の一週間、北海道の旅が終わった。
新潟港から日本海フェリー(船中泊)、早朝の小樽、一気に阿寒湖、摩周湖、川湯温泉(泊)
屈斜路湖、上野ファーム、層雲峡温泉(泊)
大雪山黒岳ロープウエイ、美瑛、富良野、そして定山渓温泉(泊)
ルフツ、洞爺湖湖畔温泉(泊)
洞爺湖、支笏湖、そしてユニガーデン、苫小牧港から太平洋フェリー(船中泊)仙台港。
日本海から太平洋の船旅、およそ1500kmの北海道、小雨の原生林、青空の下の湖のドライブ、思考力を失ったままナビの命じるままに車を走らせた。
記憶に長く残る、感性を強く刺激するシーンの少ない旅、だがその少ない中に珠玉の瞬間もあった・・・
船上から眺めた日本海に沈む夕日・・・
青空、静寂の下、摩周湖の吸い込ませそうになる湖水の青・・・
上野ファームの庭・・・
札幌に住む長男夫婦、2人の孫と合流、定山渓温泉の一泊、
ルスツの広いテーマパークのアトラクション、2年ぶり、一層かわいさを増した2人の孫娘たちと一日遊び戯れた無上の楽しい短い時間・・・
一時期、モームの小説を夢中になって読みふけった、そんな若い頃があった。人間の絆、月と6ペンス、要約すると、コスモポリタンズ、レザーズエッジ、お菓子と麦酒、雨、手紙・・・
特に人間の絆は何度読み返したであろうか、4冊(中野好夫訳 出版当時の新潮文庫は4分冊であった)の文庫本がボロボロになるまで。これほど何度も読んだ本も少ない。
主人公、フィリップが画学生としてパリで生活していたとき、サロンで入選したスキャンダラスなマネのオランピアが画学生の間でよく話題になる。
フィリップ自信もオランピアの絵の前でジョコンダ(モナリザ)を観たいという友人に、彼自身信奉したばかりの革新的見解を滔々と述べ立てる。
君、ジョコンダは文学に過ぎんよ。オランピア一枚さえあれば古い大家連中は一切合切くれてやってしまってもいい。ただ例外はベラスケスとレンブラントとフェルメール。
フリップ(モームといっていいかもしれない)にそう云わしめたオランピアとはいったいどんな絵か、当時私は見たことがなかった。いったいどんな絵なのだろうか?
その後、複製画でオランピアを見、本物はオルセーに存在することも。
数年前、オルセーを訪れる機会があった。何はさておきオランピアを、一目散、だが馬鹿なことだ、いつもあるべきオランピアの壁は空白、小さな複製画と貸し出し中文字が・・・
草上の昼食とは対面したものの・・・
今年のイタリアの旅・・・ナポリのホテルの部屋に入るや、思わずぎょっとする。なんと・・・
それはベッドの上の壁一面にオランピアの模写が描かれていたからである。憧れのオランピア・・・
実際のオランピアのサイズはおよそ130 cm × 190 cm、壁の模写は一回り大きく、さらに左右逆に描かれている。どうして逆に描いたのだろうか?
ナポリの2日間、このオランピアとにらめっこする事になる。(ホテルの壁に描かれたオランピア、写真ではつぶれてしまっているが黒猫もちゃんと描かれている)
あわただしい北海道の旅から帰る。
台風12号上陸のさなか、何とか欠航することなく千歳に飛び立つことができた。
追うように北上する台風の影響下、釧路湿原、霧多布湿原、納沙布岬、知床、野付半島、阿寒湖を巡る旅は毎日小雨降る霧深い中の旅となった。
それでも暗い原生林の中で草を食むエゾシカ、湿原にじっと佇むタンチョウに何度も出会えた。
霧の流れる知床の湖、見え隠れする羅臼岳、鉛色の海の向こう、見えぬものの霧の向こうたった20数キロ先の国後島の存在、領土問題の重さ、
うねうねと連なる牧草地、美瑛の美しさ、それら道東のさまざまな風景を深く心の底に焼き付けることができた旅でもあった。
中でも野付半島の散策中、原生花園で出会った風景、花々の盛りはとうに過ぎていたが霧に濡れ、風に震えて咲いていたエゾフウロの美しさは特別であった。
旅行の目的、孫たちと過ごした札幌の2日間も特別楽しい時間、幸せな時間であった・・・
NHKオンデマンドを光TVでよく観る。見逃した番組、もう一度見たい番組、選りすぐった興味深い番組をすきな時間に何度でも観ることができる。
最近、そのオンデマンドで世界ふれあい街歩き、北京后海界隈の胡同を観た。同時にその場に身を置いてみたい、路地歩きしてみたい、というどうしようもない強い願いに襲われる、是非行ってみたい・・・
そして北京へ。
疾走する人力三輪車上から眺める埃っぽい、ごみごみした生活感あふれる路地、遠くに見え隠れする鼓楼、氷上でスケート、ソリ遊びを楽しむ市民であふれる凍りついた后海・・・それは映像で観た胡同そのものであった。
北京郊外に乱立する高層マンション、周口店に向かう途中、目にした荒野に立ち並ぶ無数の建設中の橋梁、聞けば3,000kmを超える香港、マカオに達する高速鉄道の建設であるという。
北京猿人の発掘されたその地に立ってみれば強い異臭、なんだろうか?それは懐かしい石炭を焚く煙の匂いであった。白いコートが煤けるほどの煤煙・・・
黄色い北京の太陽、街にあふれる車、渋滞する道路、
万里の長城、紫禁城、そして盧溝橋、石畳に刻まれた深い轍、歴史の深い傷跡・・・梨園劇場で観た京劇・・・
古いもの、新しいものが雑然と違和感なく混在する。
重厚長大を愛する14億人を超える国民を抱え、無際限に膨張する大国中国・・・はたしていったいどこに向かって、どこまで突き進むのか・・・
ゆっくりまた中国を訪れてみたい。