沙羅双樹
2010年01月30日 | 旅
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯 春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ・・・
バンコク郊外の遺跡を歩いていたとき、現地ガイドがたどたどしい日本語でこの花が沙羅双樹の花です。崩れ落ちた遺跡、香り高く咲く白い美しい花、カイロ、ホ・チミンでも見た、これが沙羅双樹か。それは平家物語の書き出しにぴったりの雰囲気であった。
プルメリア=沙羅双樹、そうあってほしい。だが何かおかしい、とても気になる。帰国後すぐに調べる。沙羅双樹は別名サラノキ、写真で見る限り美しい花とは言いがたい、夢は、願いはもろくも崩れてしまった。
香り高きギンモクセイの花の前で夜来香です。
いくらこちらが無知とは言え、いい加減にしてほしい。
バンコク郊外の遺跡を歩いていたとき、現地ガイドがたどたどしい日本語でこの花が沙羅双樹の花です。崩れ落ちた遺跡、香り高く咲く白い美しい花、カイロ、ホ・チミンでも見た、これが沙羅双樹か。それは平家物語の書き出しにぴったりの雰囲気であった。
プルメリア=沙羅双樹、そうあってほしい。だが何かおかしい、とても気になる。帰国後すぐに調べる。沙羅双樹は別名サラノキ、写真で見る限り美しい花とは言いがたい、夢は、願いはもろくも崩れてしまった。
香り高きギンモクセイの花の前で夜来香です。
いくらこちらが無知とは言え、いい加減にしてほしい。
雪、晴れ、そしてまた雪。めまぐるしく変わる天気。
太陽が出ると、窓越しの強い陽光を受けティーローズ、ミス・アトウッドが一杯の若葉を広げ、とても気持ちよさそうだ。枝先にはたくさんのつぼみ、早くもその一つがほころび始めた。
窓の外は氷点下の世界。
太陽が出ると、窓越しの強い陽光を受けティーローズ、ミス・アトウッドが一杯の若葉を広げ、とても気持ちよさそうだ。枝先にはたくさんのつぼみ、早くもその一つがほころび始めた。
窓の外は氷点下の世界。
きのうネットで注文した外付けのハードディスクが届いた。早い、安い。田舎に住むものにとってネットでの買い物は今やなくてはならない手段となってしまった。バッファロー、1TBのHDDがなんと送料、代引き手数料込みで1万円で買えてしまう。初めてパソコンを手に入れたときのHDDが確か8Gぐらいだったと思う。それを思うと・・・
HDDとひかりTVのチューナーをUSBケーブルでつなぐとハイビィション録画が出来る今月からの新しいサービスだという。それで早速・・・
録画予約、録画、そして再生。
ハイビジョン映像がいとも簡単に記録されてしまう、140時間のハイビジョン映像、驚きである。
HDDとひかりTVのチューナーをUSBケーブルでつなぐとハイビィション録画が出来る今月からの新しいサービスだという。それで早速・・・
録画予約、録画、そして再生。
ハイビジョン映像がいとも簡単に記録されてしまう、140時間のハイビジョン映像、驚きである。
穏やか。
雪を踏み抜き、甲府沼へ。
湖上の中心部に立ち、いつもは見る事の出来ない白き西吾妻山を眺める。西大巓、西吾妻山のなんとも穏やかな双耳峰・・・双耳峰といえば後立山鹿島槍、ああ、懐かしい・・・
白馬八月 残りの雪を 割りて咲き出す 花の数
夏も凉や 木崎湖ゆけば 岳の白雪 船で越す(この岳とは鹿島槍のことだ)
苦しいほど、あまりに思い出の詰まった後立山、
白馬岳、唐松岳、五竜岳そして鹿島槍ガ岳の吊り尾根でのキャンピング、もうやめよう、あまりにも苦しい・・・雪倉岳、朝日岳。
雪を踏み抜き、甲府沼へ。
湖上の中心部に立ち、いつもは見る事の出来ない白き西吾妻山を眺める。西大巓、西吾妻山のなんとも穏やかな双耳峰・・・双耳峰といえば後立山鹿島槍、ああ、懐かしい・・・
白馬八月 残りの雪を 割りて咲き出す 花の数
夏も凉や 木崎湖ゆけば 岳の白雪 船で越す(この岳とは鹿島槍のことだ)
苦しいほど、あまりに思い出の詰まった後立山、
白馬岳、唐松岳、五竜岳そして鹿島槍ガ岳の吊り尾根でのキャンピング、もうやめよう、あまりにも苦しい・・・雪倉岳、朝日岳。
ベトナムの旅から帰って以来、バッチャン焼きのマグカップを手放す事が出来ない。お茶、コーヒー、紅茶、すべてこれで飲んでいる。とてもしっくり手に収まり、飲み心地がよい。
紅河の長い橋を渡り、車のすれ違いもままならぬ、でこぼこの悪路、フランスパンを売る人、青いグアバを売る露天商、やっと紅河の土手の下に広がるバッチャン村、陶器の村に。
埃っぽい、トラック、バイクで溢れる狭い村のメインストリートの両側はすべてバッチャン焼きを所狭しと並べた店、店、そして工房。薄暗い工房ではたくさんの絵付けを人、釉をかける人、運ぶ人・・・
そんな雑然としたベトナムの村からやってきた今やお気に入りのマグカップ、割ってしまったらどうしよう、すぐ手に入れることは出来ない・・・
重いを我慢してもっと買ってくればよかった、などと後悔している。
紅河の長い橋を渡り、車のすれ違いもままならぬ、でこぼこの悪路、フランスパンを売る人、青いグアバを売る露天商、やっと紅河の土手の下に広がるバッチャン村、陶器の村に。
埃っぽい、トラック、バイクで溢れる狭い村のメインストリートの両側はすべてバッチャン焼きを所狭しと並べた店、店、そして工房。薄暗い工房ではたくさんの絵付けを人、釉をかける人、運ぶ人・・・
そんな雑然としたベトナムの村からやってきた今やお気に入りのマグカップ、割ってしまったらどうしよう、すぐ手に入れることは出来ない・・・
重いを我慢してもっと買ってくればよかった、などと後悔している。
30℃を越す熱帯から雪深き現実の世界に戻って数日、ようやく体調も元に戻りつつある。今日は一日青空、とても気分がよい。暮れ行く雪の森に沈み行く太陽、この雪に囲まれた生活にあこがれてこの地にやってきたはずであるのに、このごろは何かと・・・
初心に戻る必要を痛切に感じる。
初心に戻る必要を痛切に感じる。
激しい雪の中、会津若松に行く。時々視界を失う。気温-5℃の真冬日。寒い。
明日から雪、氷の世界から解放されて一年中30℃を越す、半袖で過ごせる地方を旅する予定。22日までカーティスクリークの短い冬休み。
明日から雪、氷の世界から解放されて一年中30℃を越す、半袖で過ごせる地方を旅する予定。22日までカーティスクリークの短い冬休み。
外出予定だったが、出かけるころには吹雪、やめにする。荒れる庭を見ながらストーブの前で今日も音楽。グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲。こんなにゆったり聞いたのは久しぶりの事だ。音楽に完全に引き込まれてしまう。この曲のCD、LPあわせ4,5種類手元にあると思う。だが、グールドの演奏は別格にすばらしい。もはや比較する意味がない別次元に到達してしまった演奏、そして曲。バッハの偉大さを思う。この曲を聴くと映画、羊たちの沈黙を思い出してしまう。ハンニバル・レクターが檻の中でグールドのゴールドベルグ変奏曲を聞いている、そのうっとりしした表情・・・ グールドのゴールドベルグ変奏曲聴いてみてください。
ダイニングルームの掃除も終わった。ストーブの灰の処理、薪もたっぷり運び込んだ。チェンジャーに2枚のCDをセット、これで途中立つ必要もない。気持ちよく燃えている薪ストーブの前でマーラー9番を聴く。オレンジ色の炎を見つめている。激しいマーラー、妻がコーヒーを運んでくる。時が過ぎる。いつしか曲は第4楽章アダージョ、魂を浄化するかのような天上のこの上ない美しい調べが流れている。思考は数日後に出かける30℃を越すホーチミン市の熱帯の太陽を夢想し、彷徨ている・・・
雪が降り出した。明日はまた冬型が強まり、荒れそうである。
雪が降り出した。明日はまた冬型が強まり、荒れそうである。
冬の窓辺て咲かせるバラ、今年もMiss Atwoodになってしまった。
いつまでも咲いている、そこで温室に入れる機会を失ってしまったためだ。
切り詰めて運び入れたが、新芽はすでに10cmほど伸び、小さなつぼみも数える事が出来る。今月中には花開く事だろう。
雪に囲まれた暮らしの実にささやかな楽しみ・・・
今日も重苦しい雪雲に包まれ、一日雪がちらついている。
いつまでも咲いている、そこで温室に入れる機会を失ってしまったためだ。
切り詰めて運び入れたが、新芽はすでに10cmほど伸び、小さなつぼみも数える事が出来る。今月中には花開く事だろう。
雪に囲まれた暮らしの実にささやかな楽しみ・・・
今日も重苦しい雪雲に包まれ、一日雪がちらついている。