11月10日 我が夫婦48回目の結婚記念日、
我々は昭和50年(1975年)結婚した。
式で点灯したウエディングキャンドル、20年数年ぶりに火を灯した、
そしてキャンドルの灯火をじっと眺めている、
披露宴の司会を努めてくれたのが前出、悪友のK・・・
キャンドルに刻まれた年数、今では飾りともに消えてしまっている。
結婚記念日の10数年は必ず点灯したものだ、が、
いつしかその年数のメモリを燃やすのが面倒となり、止めてしまった、
そしてキャンドルの存在すら・・・
11月10日 我が夫婦48回目の結婚記念日、
我々は昭和50年(1975年)結婚した。
式で点灯したウエディングキャンドル、20年数年ぶりに火を灯した、
そしてキャンドルの灯火をじっと眺めている、
披露宴の司会を努めてくれたのが前出、悪友のK・・・
キャンドルに刻まれた年数、今では飾りともに消えてしまっている。
結婚記念日の10数年は必ず点灯したものだ、が、
いつしかその年数のメモリを燃やすのが面倒となり、止めてしまった、
そしてキャンドルの存在すら・・・
新橋駅から虎ノ門に向かう裏通りに「ふきだまり」という小さな居酒屋があった。
同期の飲み仲間Kと銀座の営業所からいつもは行かない新橋に向かってブラブラ、
(どうして新橋に行ったか動機不明)開店したばかりの「ふきだまり」に彷徨い込んだ。
L字カウンター、6、7脚の椅子、4、50代の和服、白い割烹着姿の女将、
店内は無駄な装飾なく簡素、清潔、女将ぽつねん、客は誰もいない。
確かメニューもなかった、女将が手早く少量の肴を作ってくれる、
女将が美人とか聞き手上手とか楽しい話題提供者ということはまるでない、が
それにもまして居心地が良かった、のだろう。
その後、同期飲み仲間のMも加わり何度「ふきだまり」に通ったことか。
我々は女将を「おばちゃん」と呼んだ、悪友3人揃うと「おばちゃん」に行こうか・・・
確か私の30歳の誕生日だったと思う、昭和49年(1974年)
おばちゃんに俺たち全員三十路、といった記憶が鮮明にある、
帰り際に棚に目にしたことがなかった盃、器はすべて陶芸をしている「おばちゃん」の作、
記念にもらっていくよ、「おばちゃん」の同意のないままそれぞれのポケットに。
そして現在もその盃は不思議に手元に存在し続けている。
行くと閉店過ぎまで飲むのが常、帰りは無線タクシーを2台呼んでもらう。
プッシュホンの普及してない時代、「おばちゃん」はジーコ、ジーコと何度もダイアルを回し続ける。
当時はその時間帯、呼ぶ客が多く無線タクシーセンターになかなか繋がらない、
ホットラインもあったがそれもやがて周知、だめに。
Mは松戸へ、3人「おばちゃん」中目黒、K、南青山、経て自宅、板橋へ。
私の転職、転居後、Mは毎年やってきてくれるがKは互いに都合がつかず、
年賀状のやり取りだけで終わっていた、一昨日Kのご遺族から喪中のハガキ、愕然。
毎年来るMから親しかった同僚、先輩の死を多く聞くショック、そして今度はKまで・・・
Kご夫妻には公私共に大変お世話になった、記さねばならない多くの思い出がある、が、
ここに記すことができない。
Mは盃のことを全く覚えていないと言うがKは覚えていただろうか?
今や確認することはできない、合掌・・・
ふらっと最近行ったことのないグランデコに行ってみる。
晩秋の風景の下、ゴンドラが運行していることを知る。
スキーを止めすでに25年近く、止めた理由は飲酒運転の取締が厳しくなり、
ビールが飲めなくなってしまった、シャトルバス利用な可能だろうが・・・
ゴンドラ終点のレストランではカクテル、そして
ゲレンデ中間点のレストハウスにはケンタッキーフライドチキンがあり、
ビールも飲める時代があった。
ケンタッキーフライドチキンでビールが飲める、
当時そんな場所は日本はここにしかなかったと思う。
今ではビールも飲める店舗はあるようだが。
スキー「年寄りの冷や水」どころか最早無謀、後期高齢者の戯言か。
ゴンドラをみていて昔の思い出とともにふとそんな気になった。
郡山買い物に行く途中、なにか突然「庭の千草」が聴きたくなった。
晩秋のしみじみとした、実に物悲しい気分、ハンドルを握りながら聴き入る、
我が人生の終焉、花もいつか散るように・・・・
そういえば庭の白菊がずっと咲いていたっけ、
今日も庭に立てば夕日を浴びて美しく咲き続けている。