投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 6月 4日(木)01時06分3秒
アマゾンに注文したJames N. Loehlin氏の"Chekhov: The Cherry Orchard"がなかなか来ないので、少し手持ち無沙汰気味です。
代わりにと言っては何ですが、今日はチェーホフが日本でどのように受容されてきたかを知るために、菅井幸雄氏の『チェーホフ 日本への旅』(東洋書店、2004)を読んでみました。
しかし、納得しがたい箇所がいくつかあり、暫く紹介は控えます。
また、白倉克文氏の「『桜の園』の世界─チェーホフ最晩年の眼差し─」(『芸術世界 東京工芸大学芸術学部紀要』第12号、2006)も読んでみましたが、素人の身で僭越ながら、こちらは思考のバランスがとれた、非常に良い論文だなと思いました。
この論文の「おわりに」から、少し引用してみます。
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『桜の園』は19世紀末から20世紀初頭のロシアの社会状況を背景とした戯曲であり、チェーホフの歴史観が、主としてトロフィーモフの形象を通じて、投影されている。ロシアのある地方の劇場で、チェーホフの存命中に、この歴史観に直截に反応した一人の観客がいた。1904年3月にカザン劇場で『桜の園』を観たカザン大学の学生パラノフスキーが、チェーホフに宛てて3通の手紙を認め、貴族制度を批判するトロフィーモフの主張に強い共感を示したのである。観客のこのような反応は、この戯曲がロシア史の一時期の特殊な状況をテーマにしていることへの反応であった。トロフィーモフの貴族制批判は当時のロシアにあってこそ観客に訴える力を持っていたが、現代においてはもはやその意味をほとんど失っている。
その一方で、『桜の園』には、時代や場所とは無関係にあらゆる人々に訴える要素が多々含まれている。それは主として、登場人物の多彩な台詞に観客が共感することによってもたらされる。台詞の一節が、すでに最初期の上演時に、観客に深い感銘を与えた事例を、宗教哲学者セルゲイ・ブルガーコフの場合に見出すことができる。彼は1908年に行った講演で、全ての人間が幼児期には神的な穢れなさを持っていると強調しつつ、その例証として、ラネーフスカヤの台詞「ああ、わたしの清らかな、幼い日々!」を引用したのである。
このように、発表された当初から『桜の園』は観客に多様な反応を呼び起こしており、その流れは今なお続いている。それはこの戯曲にチェーホフの豊かな人生経験が全篇隈なく擦り込まれているからであろう。登場人物の多くの台詞に深長な意味が込められているし、その上、辞世の挨拶を述べているかのような、暖かい眼差しが終始舞台に注がれている。ラネーフスカヤが最後に発する言葉「ああ、わたしのいとしい、なつかしい、美しい桜の園!わたしの命、わたしの青春、わたしの幸せ─さようなら・・・、永遠にさようなら!」には、死を意識したチェーホフ自身の感懐が込められているようにも思われる。この戯曲に流れている、人間の営みに対する暖かい眼差しは、彼自身が到達しえた高みからのものであり、それを可能にしたのは幼年時代からの艱難辛苦、サハリンを含む世界各地での人間観察、そしてまた、医業を通じての多様な人々との接触であったのだろう。(後略)
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アマゾンに注文したJames N. Loehlin氏の"Chekhov: The Cherry Orchard"がなかなか来ないので、少し手持ち無沙汰気味です。
代わりにと言っては何ですが、今日はチェーホフが日本でどのように受容されてきたかを知るために、菅井幸雄氏の『チェーホフ 日本への旅』(東洋書店、2004)を読んでみました。
しかし、納得しがたい箇所がいくつかあり、暫く紹介は控えます。
また、白倉克文氏の「『桜の園』の世界─チェーホフ最晩年の眼差し─」(『芸術世界 東京工芸大学芸術学部紀要』第12号、2006)も読んでみましたが、素人の身で僭越ながら、こちらは思考のバランスがとれた、非常に良い論文だなと思いました。
この論文の「おわりに」から、少し引用してみます。
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『桜の園』は19世紀末から20世紀初頭のロシアの社会状況を背景とした戯曲であり、チェーホフの歴史観が、主としてトロフィーモフの形象を通じて、投影されている。ロシアのある地方の劇場で、チェーホフの存命中に、この歴史観に直截に反応した一人の観客がいた。1904年3月にカザン劇場で『桜の園』を観たカザン大学の学生パラノフスキーが、チェーホフに宛てて3通の手紙を認め、貴族制度を批判するトロフィーモフの主張に強い共感を示したのである。観客のこのような反応は、この戯曲がロシア史の一時期の特殊な状況をテーマにしていることへの反応であった。トロフィーモフの貴族制批判は当時のロシアにあってこそ観客に訴える力を持っていたが、現代においてはもはやその意味をほとんど失っている。
その一方で、『桜の園』には、時代や場所とは無関係にあらゆる人々に訴える要素が多々含まれている。それは主として、登場人物の多彩な台詞に観客が共感することによってもたらされる。台詞の一節が、すでに最初期の上演時に、観客に深い感銘を与えた事例を、宗教哲学者セルゲイ・ブルガーコフの場合に見出すことができる。彼は1908年に行った講演で、全ての人間が幼児期には神的な穢れなさを持っていると強調しつつ、その例証として、ラネーフスカヤの台詞「ああ、わたしの清らかな、幼い日々!」を引用したのである。
このように、発表された当初から『桜の園』は観客に多様な反応を呼び起こしており、その流れは今なお続いている。それはこの戯曲にチェーホフの豊かな人生経験が全篇隈なく擦り込まれているからであろう。登場人物の多くの台詞に深長な意味が込められているし、その上、辞世の挨拶を述べているかのような、暖かい眼差しが終始舞台に注がれている。ラネーフスカヤが最後に発する言葉「ああ、わたしのいとしい、なつかしい、美しい桜の園!わたしの命、わたしの青春、わたしの幸せ─さようなら・・・、永遠にさようなら!」には、死を意識したチェーホフ自身の感懐が込められているようにも思われる。この戯曲に流れている、人間の営みに対する暖かい眼差しは、彼自身が到達しえた高みからのものであり、それを可能にしたのは幼年時代からの艱難辛苦、サハリンを含む世界各地での人間観察、そしてまた、医業を通じての多様な人々との接触であったのだろう。(後略)
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